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あたしンちのみかんは、私だと思ってた

私は、小さい頃から「あたしンち」が大好きだった。

「あたしンち」に出てくる父はお父さんに似ていて、母はお母さんに似ていて、ユズヒコは弟に、みかんは私に似ていると感じていた。

家族でも、「あたしンち」はなんだかうちみたいだね。とよく話した。
しかし気がつけば私はもう21歳で、高校2年生のみかんより5つも年上になっていた。

やりたいことは色々あるんですけど……ぜんぜん自信ないし…勉強キライなのに大学行って勉強するために受験勉強するとか本当イヤ

 というみかんの言葉に漠然と共感を覚えていたが、今の私はみかんよりももっと先の未来に向き合っていかなければならないのだと気づくと、とても不安になった。

自分は、好きなことややりたいことをたくさん持っているような気がしていたが、嫌いなことややりたくないことが少ないだけで、好きなものもやりたいことも特にはないのかもしれないと最近になって気づいた。

私は、好き嫌いは無い方がいいと思っていたし、「私はこだわりが強いので」と他人の意見を受け入れない人は、独りよがりで身勝手であると思っていた。

しかし、自分の未来について考え始めると、好き嫌いがはっきりしている人や、こだわりを持っている人がとても羨ましくなった。

目の前のものをなんでもかんでも受容することは、必ずしも長所ではないと感じたのだ。

行き先にこだわりがない人は、どこへでも行けるような気がしていたが、実はどこにも行けないのかもしれないと感じ始めた。

私は、どうしてもやりたいことがなかなか見つけられなくて、もやもやもやもや考えて、試しにいろんな場所に行ってみたりした。

結果、興味があることは見つけられたが、どうしてもそこに行きたいとは、未だに思えていない。

どこへ行っても幸せになれる人は、どこへも行けないんだろうか。
人は、こだわりや好き嫌いを持たなければいけないんだろうか。

もやもやすることはたくさんあるけど、たぶんもやもやするのが好きなんだ思う。

あーでもないこーでもないともやもや考えて、できる限り多くもやもやを言葉に変換することで心が少し楽になって。

きっと、あと50年くらいはそうやって生きていくんじゃないかと思う。
51年後からは、わからない。

※21歳のときに書いた文章です。若かったな。今も若いけど。

 

 

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