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【パースワーホリ渡航前】昔の挫折、英語は嫌だ

こんにちは。今日は私の過去の挫折について、振り返りたいなあと思い文章を書いてみます。

留学=英語が話せるようになる


私が初めてオーストラリアへ滞在したのは今から約10年前、高校1年生の夏休みでした。

もともと中学の時から英語が大好きで、得意だった私。
ハイスクールミュージカルの影響をかなり受けて、私も英語話せるようになりたい!と思ったのがきっかけでした。
思い立っては即行動、両親に学校の夏休みを利用して短期留学に行きたいとお願いしました。

自分で航空券の手配やエージェントの手配をしたことは我ながら行動力があったなと思いました。

留学=英語が話せるようになる
誰もが通る誤解。

わたしもその一人でした。

初めての一人海外。
もともと家族が大好きな私は離陸した直後、飛行機の外から窓を眺めて涙を流したのを覚えています。
不安とワクワク。ドキドキ。そんな気持ちでした。

シドニーにいるのにほぼ日本語を話す毎日

滞在期間はたったの三週間。
もちろん。英語ペラペラになるはずもなく。私が得意だった英語は使えない英語だった。
もちろん受験勉強ではかなり役に立ちました。でも日常会話で活かすことは全く出来ませんでした。

語学学校のクラス分けテストで、重きを置かれたのはreadingやwriting 、文法テスト。
かなり点数がよかったおかげ(?)で先生に上のクラスにも入れるよと言われたんです。

・自分より少しレベルの高いクラスで頑張る
・自分より少しレベルの低いクラスで楽しむ

先生にこの二択を出されて、負けず嫌いだった私は自分より上のクラスでお願いしました。

見事に撃沈。

当時17歳だった私は、大人が怖かった。(笑)
英語も怖かった。先生もクラスの生徒さんも何を言っているのかついていけず、

ああ、どうしよう。分からない。

そんな毎日を繰り返していました。

今思えば、先生にクラスを変えてもらうようにお願い出来たんじゃないか、とかもっと勇気をもってクラスの生徒さんたちに話しかけて質問したら良かったんじゃないか、とか。

色んなことが思い浮かぶけれど当時の私はもう学校でクラスを受けることで精一杯でした。

そこで私は英語全然話せないんだ。

と、痛感した瞬間でした。
結局シドニーの三週間の滞在は、日本人の方と大半の時間を日本語話して終わりました。笑
でも今思えば日本人の方々が助けてくれなかったら、私はこのシドニー留学をトラウマになっていただろうなと思います。

結局三週間英語を使う機会はほぼなく、帰国までの日をカウントダウンしていました。

もう英語はいい。私には無理。
そう思ったシドニー留学。

本当に今思えば両親のお金でお願いして留学に来ているんだから、もっと出来ることはあっただろうと思ったけど。私の挑戦したいことにいつでも前向きに応援してくれた両親には本当に感謝です。

やっぱり私はこの素敵な国オーストラリアでもっと英語上手くなった状態でリベンジ留学したい!と思ったのは、ずっと先のお話です。

私が何故ワーホリにオーストラリアを選んだか、その理由の一つにこの経験があります。

だから大人になった今は当たり前ですがお金を貯めて英語をたくさん勉強して、素敵なワーホリにしたいなあと思っています🌷

唯一の楽しみはオペラハウス周辺を散策することでした


それでは!

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