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シャボン玉と心のスキマ

昨日は心療内科の診察日。

パニック発作が頻繁に起きてからというもの、電車やバスを使うことに恐怖を感じてしまい毎回 隣町にある病院まで自転車で通っている。
もともと公共の交通機関を使うより自転車での移動の方が好きだし、今は晴れていると外の空気も気持ちのいい季節なのでこの移動手段はまったく苦ではない。

それともう一つ自転車移動のいいところは、自由自在に速度を操れるところだ。

思い切り季節の風を感じたければスピードを出すことだって出来るし(安全運転を心がけましょうね。)、気になるものや景色の移り変わりを存分に楽しみたければのんびり進むことだってできる。

私は自転車での移動が大好きだ。



この日もいつもと変わらず自転車にまたがり心療内科に向かっていた。

少し家を出る時間が早かったので、私は周りの景色たちを楽しみながらのんびりと愛車を走らせた。

すると、見慣れた公園に見慣れない光景が飛び込んできた。

ベンチに一人で腰掛ける70代くらいのおじいちゃん。その手にはシャボン玉。

それを一人飛ばし、のんびりとシャボン玉を見つめ秋の風を楽しんでいた。

なんて長閑な光景なのだろう。

私はふと、数か月前にこの世から旅立った祖父のことを思い出した。

祖父もあのおじいちゃんのように、のんびりとただシャボン玉を楽しむための心の隙間があったら現状は変わっていたのだろうか。

そんな心の隙間があってほしかった。

いや、もし心の隙間がもしなかったとしても、ギュウギュウに埋め尽くされている心の中が、『幸せ』の割合が多くあってほしかったと。

生前、弱く老いていく自分の身体を嘆いていたらしい祖父。
結局老いにも病魔にも勝てずにこの世から去ってしまった。

病院の真っ白なベッドの上でいったい何を考えていたのだろうか。

老後の心配、自分の身体への心配、はたまた私含める家族への心配か。

考えても答えは出ない。

ただ、私のように弱さを見せることを怖がる祖父は、きっと心に隙間なんてなかったのかもしれない。

心に隙間がないと、四季の生み出す美しさや小さな生命の神秘にも関心が持てなくなってしまうような気がする。少なくとも私はそうだ。

アイデア、いい考えすらも1ミリも湧いてこない。

でも私は、幸せな思い出やヒビの入った希望たちを抱きしめて、なんとかここまで這い上がってきた。

心の隙間も、最近ほんの少し生まれてきたような気がする。

闇にばかり心のスペースを取られてしまうなんて、とても残酷だし悲しすぎる。祖父の人生、笑顔もあったはずなのに。

せめて、旅立った今は明るい思い出たちだけを腕いっぱいに抱えて歩いていてほしいなぁ、と。





人生なんて、たとえ踏ん張って大きく飛べたとしても、シャボン玉のようにㇲッと消えてしまうのかもしれない。

ならば、残された時間は無理せずに心の隙間を楽しみながら生きてもいいんじゃないのか。

私は壊れるまで風に乗りながらのんびり穏やかに飛び続けたい。

そんなことを、公園のおじいちゃんに教わったような気がした。


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