星見の塔で聞いた旅行話

 ある夜、星見の塔にいた青年が目を見開くと、そこには風来坊の男がいた。
 青年は天文学者であり、この日は夜通し西の空に浮かぶ金星の観察に勤しんでいた。ところが、突然頭を殴られたかのような衝撃が体に走ったかと思うと、次の瞬間には天文台の天井が見えており、視界の端には汚らしい見た目の男がチラチラと見えていた。
 どこか青年を心配しているようにも、笑いを堪えているようにも見えるその男は、まさに“風来坊”という表現が似合う見た目であった。天文学者の青年は起き上がると、その男と向き合う形になった。不思議と、体はどこも痛みを感じない。
「なぁ、あんた。何してるんだ?」
 先に口を開いたのは風来坊の方だった。「こっちのセリフだ」と言いたいはずなのに、思わず青年の口をついて出たのは
「星を見ていたんです」
 という、実に素直な返事であった。
「星?なんで星なんて見ている?」
「それが僕の仕事だからです……あの、あなたは一体誰ですか?」
「俺?俺は旅の者。たまたまこの街に立ち寄って、ふと見たら面白そうな塔があったから登ってみた」
「勝手に登ってはいけませんよ。関係者以外は立ち入ってはいけないんですから」
「悪い、悪い。でも、今日泊まる場所がなくてな。せっかくなら、見晴らしのいいところがいいと思ったんだ」
「勝手なことを……」
 青年が立ち上がって、望遠鏡の側に移動すると、それと共に風来坊も身を乗り出して望遠鏡を覗いてきた。
「何してるんですか、ここには泊まれませんよ。ただの星見の塔なんですから」
「天文台を見るのは初めてだからな……なんだか面白そうで」
「本当に行く場所ないんですか?」
「旅するものに行くアテなんて無いさ。他のヤツはいないのか?」
「いない。今日は僕一人で星を見ている。だから邪魔しないでほしい」
「邪魔なんかしない。ただ一晩、ここにいさせて欲しいだけだ」
 風来坊に負けて、青年はため息を付いた。それを、風来坊はすぐさま了承と捉えて、三日月のようにニッカリと笑いながら、青年の手をひったくって握った。
「ありがとう!アンタが話の分かるやつで良かったぜ!」
「夜明けには出ていってくださいよ。他のヤツにバレたら、僕がどんな目に合うか!」
「大袈裟な……」
「大袈裟じゃありませんよ。王は星見の研究を極秘としているんですから」
「星を見るだけなのに、アンタんとこの王はなんでそんなものを秘密にしたがる?」
「王は魔術に強い関心を寄せています。世界中から錬金術師や僕のような天文学者、哲学者、はたまた芸術家や音楽家までを呼び寄せ、この街に住まわせているんです」
「目的は?」
「それは言えませんよ……早く寝てください」
「過ぎ去る風のような男だぜ、俺は。俺に何かを打ち明けたところで、誰も困らん。俺の話なんか誰も聞きやしねぇよ」
 青年は風来坊の男の顔を見た。垢やホコリで汚れた顔に、黄金虫のような目だけがキラキラと輝いていた。
「本当にそう思うんですか?」
「何がだ?」
「誰もあなたの話を聞かないと?」
「アンタだって聞く気はないだろ?」
 風来坊の男の発する言葉と表情がちぐはぐで、青年は居心地の悪さを感じた。
「……旅をしていると言ってましたね」
「おう、そりゃあもうあちこち行ったぞ。兄ちゃんは旅には行ったことないのか?」
「無い、一度も」
「もったいないなぁ。世界は広いぜ。まぁ、アンタの見つめる宇宙ほどじゃないかもしれないけどな」
「宇宙とは?」
 青年の発した言葉に、風来坊の男は面食らった。
「知らないのか?」
「知らない。はじめて聞いた言葉だ」
「そうかい……」
 風来坊の男は、先程とは打って変わってバツの悪そうな顔をしたので、青年は不思議に思った。
「星を見るのは、高い集中力を要します」
「ん、ああ。邪魔だよな。寝ることにするよ。朝になったら起こしてくれ」
「いえ、普段ならこのグラスで音楽を奏でながら気持ちを紛らわせるのですが、今宵はあなたの話を聞かせてください」
「俺の?」
「えぇ、あなたの旅の話」
 風来坊の男は一瞬遠くを見つめて、そして星見の青年に向き直った。
「一晩で語りきれるか分からんが、できる話をしてやろう」


 その国では、卵を見世物にしている男がいた。母親の体から生まれ出た子供は、本来ならば赤ん坊の形をしているはずなのだが、どういうわけだか時折卵のまま生まれてくることがあった。多くの場合、卵として生まれたものはまともに育つことはないとされ、捨てられていた。その男は、その卵を大事そうに拾っては、温かいガラス張りの容器の中に入れて、人々に見せて回っていた。
 興味本位と残酷な好奇心で、男の興行はいつも盛況であったが、ある者たちはその行いを非人道的であると訴えていた。男はそんな人々の声に耳を貸さず、卵を見つけては拾い、新しい容器に入れ続けた。
「卵とはいえ、命は命だ」
 と言う人が多い中で、男は頑なにこう発していた。
「もちろん、命だ。だから、私はこうしている」
 ある時、男の見世物を見ていた人が悲鳴を上げた。卵にヒビが入り、中から人間の赤ん坊が生まれてきたのだ。男は卵から赤ん坊を取り上げると、人々に見せてこう言った。
「神秘における人の努めとはかくあるべし」


 その国はまもなく海の底に沈もうとしていた。かつて、周辺国への貿易中継地としての栄華は遠く、日に日に満潮時の潮の位置は高く、とうとう広場も常に水浸しになるほどであった。人々は常に遠くを見つめ、足元を埋める水を見るものはいなかった。
 ある男が街を埋める水のせいで、あちこちの家が崩れそうになるのに気付いた。男は苦心して、あちこちの家に釘を打ってまわり、そして、町外れの一番被害の大きなところに言ってまじないを唱えた。
「海よ、どうかこの街を埋めるな。どうしても埋めたいというならば、せめてこの家だけは支えてくれ」
 海はそれに応え、町外れの大きな家を支えるように手を生やした。それ以降、その街は海に沈むことはなくなったが、今でもその家を支える白く巨大な手が見えるという。
 しかし、不思議なことにその男を知るものはその街には一人もおらず、家を支え続ける白い手は見向きもされていなかった。


 その国は白い旗を持つ人が裕福で、それ以外の色の旗を持つものは貧しかった。白旗の人々は望めば医者にも宇宙飛行士にもなれて、富はいくらでも自由に稼げた。白旗以外の人々は夢を持つことも叶えることもできずにいたが、持てる旗は生まれたときから決められており、その後旗の色を変えることはできなかった。
 白旗の人々は特別な努力をせずとも生活も仕事も賄われていたので、いつしか面倒なことはすべて他の色の旗を持つ人々に任せていた。
 そのうち、他の色の旗を持つ人々は様々な分野において高い技術を持つようになり、いつしか白旗の人々は置きざりにされていった。白旗の人々は居場所を失い、誰にも相手にされなくなった。
「俺たちはもっと恵まれてもいいはずだ」
 と白旗の人々は叫んだが、いつの間にかその国には色とりどりの旗を持つ人々が歩くようになり、白旗はその一部として溶け込んでしまっていた。しかし不思議と、慣れてしまえばこれもいいかもしれないと、受け入れられるようになったという。


 その国は地獄と天国が常に隣り合っていた。地獄の悪魔や鬼が悪人どもを懲らしめている隣で、天使や如来が善人をもてなしていた。その境目に立ち、互いに行き来できないように見守っているのは無数の虎だった。虎は、境界線を渡ろうとする者を見つけると容赦なく爪で引き裂き、食べてしまっていた。
 ある時、一人の老女が一匹の犬を連れて天国と地獄の境界線を歩いた。虎たちは手出しをすることなく、ただ老女の行く末を見守るばかりである。
 老女は境界線のとある場所に座り、地獄に向けて3体、天国に向けて3体の人形のようなものを作り上げ、丁寧に色まで塗った。6体の人形が老女の手から離れると歩き出し、地獄の獄卒たちや天国の使いに向かっていった。人形を手放すと老女は立ち上がって、また境界線の上を歩き出した。
 老女の正体は最後まで分からなかったが、地獄に住む男が言うことには、時々国道沿いのラーメン屋で見かけることがあるらしい。


 その国では世界は皿のように平たいとされていた。世界の果ては滝のようになっており、行けば二度と帰ってはこれないと言われ、誰もがそれを信じていた。ある時、とある男があるはずのない書物を紐解き、世界の果てへと旅立った。
 数カ月後、旅立った男は出発地点の反対側の海から帰ってきた。男が語る物語を誰もが面白がり、そして誰もが信じなかった。男の見聞きしたものは、あるはずのない書物と共に地下に深くしまい込まれ、やがて男は「大衆を虚偽で惑わした」として処刑された。
 しかし、その男の真似をして世界の果てに旅立った者は跡を絶たず、そして帰ってきた誰もが手に手に様々な宝物を抱えて帰ってくるので、とうとうその国の王も世界の果てへと旅立ちたくなってしまった。
 王は数万の軍勢とともに世界の果てへと旅立ったが、大きな嵐に見舞われて王一人だけが海の外に投げ出されてしまった。王は深い海の底へと落ちていき、そして浮かび上がった。
 やっとの思いでたどり着いた陸地では、王は王と見なされず、万国に通用するとされていた王の話す言葉を、誰も理解できなかった。
 王は孤独に苛まれ、気が狂いそうになったが、その国の黄金色に輝く景色に魅了されているうちに、いつしか自分の言葉も忘れてしまった。しかし、王は気付いた。みんな反対側の海から帰っていたのなら、一方向に向かって旅を続ければ、いずれは故郷に帰れるのではないかと。
 王は黄金の国を出て、ただ一方向へと歩き始めた。その後、王の行方を知るものはおらず、王が元の国へ帰ってきたという話は未だにない。


 紺碧の空に、桃色の薄明かりが伸びてくる。
 青年は東の空に消えた金星を見送って、風来坊の男に向き直った。風来坊の男も、青年と同じように金星を見送っていた。
「これからどうするんですか?」
 青年が聞くと、風来坊の男は肩をすくめて応えた。
「さぁね、街に出て腹ごしらえでもするさ」
 風来坊の男は荷物を抱えると、星見の塔の階段に足をかけた。
「目的地は?」
 青年が聞くと、男は首を横に振った。
「ただ、歩くだけだ」
 青年は塔の麓から少し離れたところに見える、小さな門戸を指して言った。
「あの戸を出て、そこでしばらく待っていてほしい。朝食くらいご馳走しよう」
 風来坊の男は目を丸くして言った。
「なんで?」
「誰もが話を聞かず、そんなものはありえないと私も何度も言われたことがある。たまには、決められた枠を超えて、“与太話”の続きでもしないと、いつか心が荒んでしまうと思うんです。今度は私が話をする番だ」
 風来坊の男は俯いて肩を震わせた。
「何をご馳走してくれるんだい?」
「この国は朝食が美味いんで有名なんだ。きっと、どの国にも負けない!」
「そりゃあ、楽しみだ」
 風来坊の男は笑って階段を降り、門戸をくぐっていった。青年は手早く手記をまとめようとしたが、金星の消えた空を見上げて、取りやめた。荷物を雑多に片付けると、階段を駆け下り、風来坊の男が待つ門戸へと向かった。
 町中には焼きたてのパンと、淹れたてのコーヒーの香りが立ち込め、背伸びをした老人が街頭の明かりを消して回っている。石畳に染み込んだ夜露が空へと帰るかのように、めぐる一日の流れはこの街を静かに揺り動かし、気だるい空気を少しずつ起こしていく。
 この青年と、そしてこの国にとって一大発見となる星のかけらが塔の床に転がっているのを、この青年が知るのは次の日の夜のことであった。



Twitterのアンケート結果が「架空旅行記」とのことで書きました。
どこか別の時系列のプラハが舞台。旅はいいものですよ。
今度はどこに行こうかねぇ。

2020.2.15追記
pixivウィークリーランキング26位、ありがとうございます!
また、不思議なものを書きますね。

2020年2月11日公開
<こちらはpixivより引っ越ししてきた作品です>


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