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青春

駅に着いたら寂れた飲食店街を抜けていく。約束の時間にはぎりぎりだ。

参考書とノートPCがパンパンに入ったトートバックの紐はもうとっくに限界を迎えているけれど、今の私みたいだなと思ってからはそのままにしている。

そこだけ光が差し込む時計広場に着いたら、友人が手を振っていた。

「久しぶり!」

「ごめん、今日は私が遅れました・・・。」

「いえいえ。」

発達障害とか、その“け”があるとかなんとか言っていた友達と、確実に発達障害の私は変わりばんこに遅刻しているwin-winの仲。

「ミスドでいいよね?」

「もちろん。コーヒーのおかわりができるってすごいよね。」

唯一明るく照らされている店に入り、ドーナツ2つとコーヒーを注文して座った。

「引越ししたんだよね?こっち(大阪)に。」

「うん。実家帰ったの。」

「妹ちゃんは大丈夫なの?」

「うん、なんとか。」

「心配だねえ・・・。」

最近はそのことばかりで、大学4年なのに自分の将来について考える時間も余裕もない。毎日毎日妹と対話を繰り返して、彼女の心のモヤモヤを取り除いている。

「精神的には良くなってきてる。色々話をしてるしね。だから本当、私は時間がなくてやばい。」

「そりゃ大変だ。中間発表、先生なんか言ってた?」

「いいや。先生優しいし怒られたりはしてないけど、みんななんやかんやちゃんとやってる。ヤバいのは、ゼミにきてないギャル男と私だけ。」

「oh・・・福祉学科なんだしさ、家族の事情とか自分の病気とか先生に話してみれば?テーマも自分のことなんでしょ?」

「そうそう、元々書きたかったテーマは別にあったんだけど、もう余裕がなくて。自分が発達障害だってことがわかったし、テーマもそれにしちゃえと思って。そんなの相談してもいいのかな。」

「流石にいいでしょ。学生の悩み事聞くのも教授の仕事じゃない?」

「うーん、たしかに・・・。」

幸か不幸かうちのゼミは障害福祉を専門分野としている。元々はそこで国家試験の勉強をしながら精神障害について研究するつもりでいたのに、自分が鬱になってしまった。

それにしても、病気になるまでに単位を取り切っていたのは不幸中の幸いだ。だからなんとか卒論を提出して、みんなと卒業したいと思っているのに。

鬱になると、活字は読めないわ頭は回らないわで思うように進まない。好きなマンガやアニメでさえも、頭の中で内容を組み立てることができなくなってしまった。

だけど私は福祉の分野が好き。この道で頑張りたい。その想いは鬱でもちゃんと持っている。

「じゃあ少し進めよっか。」

時間もない。早々にドーナツをたいらげてPCを睨む。

私が福祉学科に入ったきっかけは、高校時代にやっていたボランティアの経験から。

教育パパに諭され美容師になることを諦めた私は、仕方なく良い大学に行こうと、私立の進学校に入学した。

もちろん多額の奨学金を借りた。お下がりのシャネルで登校してくるクラスメイトに日々金持ちマウントを取られながら、冴えない学生生活を送ることになる。

それでも、自分に備わっていた唯一の才能、音楽を通して人生を楽しんでいた。

オーケストラサークルで出会った両親の影響をモロに受け、ピアノや歌、吹奏楽なんかをやって、沢山のステージに立ってきた。高校では新しい音楽に挑戦しようとギターを買って、軽音楽部に入部した。

当時はロキノン全盛期。ありとあらゆる有名バンドが続々とその世界観で世間を魅了し、ギターやベースを始めた人も多かった。またバンドに纏わるアニメなんかも大流行。私もバンドをやって、輝かしい青春時代を送るんだ!そんなふうに考えていた。

ところがここの軽音楽部、どうやら公的な大会で優勝することに重きを置いている。歌ったり楽器を演奏したりする時間よりも、応援団の練習をしている時間が長い・・・。音楽も顧問の好みの古い課題曲ばかりやらされた。

自分の思うような音楽ができないのって、とても苦しい。

「私はもっとさ、YUIとか、あべまとか、椎名林檎とかさ、そういう風になりたいんだけど!」

これが17歳の本音。

だけどここは所詮、いい子ちゃんの集まる学校。皆自分の自由な音楽を表現する前に、まずは真面目に課題に取り組んでいる。先輩のためにお揃いのTシャツやポンポンなどを自作する日々。なんて品行方正なんだ。

大会では見事に先輩たちが優勝し、応援団の賞までいただいた私は一瞬浮かれたふりをしたけれど、1年間を振り返って自分が何も音楽に触れていないことに気が付き

「何がおもろいねん!」と心の中で叫んで退部。キラキラの青春はあっけなく終了。もちろんギターはほとんど弾けないまんまだ。

高校生活も2年を残し、私はこれから一体何を楽しみに生きていけば良いのだろうかと途方に暮れた帰り道、校門の前で何人かの同級生が募金箱を持って立っていた。

「地震で被災された地域の方々のために、ご協力をお願いします。」


そう言われた私は考える。

「私がやりたいこと、これじゃね?」

結構な雷に打たれたような衝撃?あるいはこれも、なんらかのタイミングと衝動性の掛け合わせ、はたまた春の気圧の変化のせいかもしれない。その場で顧問を探し、すぐにボランティア部に入部した。

元々世話好きの性格ではあったし、毎日部活があるわけではないから、ただでさえ成績が悪い私にはピッタリ。

そこでは予想以上に濃い経験をした。

釜ヶ崎で炊き出しをしたり、ハンセン病療養所を訪れたり、児童養護施設に行ったり。

ありとあらゆる弱い立場に置かれた人との関わり。そのどれもが、普通に暮らしていれば得られないものばかりだ。

施設の子供たちも、ホームレスの男性も、一度会って話をしたからにはひとりひとりの顔が浮かぶ。一回きりの出会いもあったが、彼ら彼女らには幸せに生きてほしいと願った。そのために何かするなら、この国ではまず福祉なのかもしれないと考えたのだ。

そして大学に進学した。同じ夢を志した人と、学歴のために嫌々福祉学科に来た人が混在する教室。それでも高校までの勉強より楽しくて、青春をやり直しているような気分だった。

座学はとても好きだった。だけど実習では嫌がらせばかり受けた。私は模範的な生徒ではなかったらしい。「昨年度の実習生はもっと〇〇(素晴らしいかった、良かった)・・・」的なことを言われ、比較され、蔑まれた。

今思えば、アスペルガー特有のコミュニケーションの壁があったと思う。こちらに自覚はないが、それが向こうにはバレていたのかもしれない。緊張やプレッシャーもあって、終わった頃には生活もめちゃくちゃになっていた。担当の教授にも怒られた。実習簿に感謝の言葉を書けと言われ、泣きながら書いた。

「なんかもう、いいわ、福祉とか、障害者支援とか・・・」

そういう気持ちにもなってしまって。いつの間にかボランティアで出会った人たちの顔も、尊い経験も記憶から消えかかっていたみたい。

そこからはとんとん拍子で悪くなった。精神科へ行って、将来が見えなくなり、布団から出られなくなった。

「コーヒーのおかわりはいかがですか?」

「あ。」

屈託のない笑顔を浮かべたドーナツおねいさんがこちらの返答を待っている。

「すみません。お願いします。」

現実に引き戻された私はマグカップを差し出し、一息ついた。当然、課題は進んでいない。

「私のテーマは不登校といじめ問題なんだけど、内容に具体性を持たせるために学校現場のアンケートをとりに行くの。」

友人は猫舌らしく、チビっと飲むふりをしながらそう言った。

「すごいね。」

「受け入れてくれた学校が、土曜日の午前中に不登校の生徒の親の会をやってるんだよ。そこで色々聞かせてもらう。うちのゼミは結構、現場行かなきゃって雰囲気だよ。」

そうだったのか。やっぱガチゼミはちげえや。

私は天井を見上げて椅子から少しずり落ちた。

「午後は発達障害の親の会、やってる。良かったら、そっちも行っていいか連絡してみようか?」

「え。」

「本読んで書くんじゃ進まんでしょ。今もほら、何も進んでないっしょ?」

どきり。姿勢を正そう。

「た、確かに。図書館行くだけで疲れて帰っちゃうんだよな。」

情けない顔をしながら頭をぽりぽりの癖が出ている。

「じゃあ行こうよ。向こうの親御さんも、勉強になるかもしれないし。」

またも友人に導かれて、私はその会に行くことにした。

この時の出会いが、これまたのちの人生を変えることになるらしい。



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