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「ことばの有効期限」問題

ことばには有効期限があるのか、それはどうやって判断したらよいのか。
物わかりの良い大人になってから、実はずっと考え込んでいる。
前述の通り、ムダに記憶力がよいからかもしれないし、ことばの力を信じていて、それに救われてきたからかもしれない。

この場合の「ことば」は小説や詩などのフィクションではなく、実在する人物から発せられたものに限り、形態は問わない。
平たく言うと、「誰かに(かけて)もらったことば」のことである。

例えば、「一生愛し続けます」といってプロポーズされた場合。
このことばの有効期限は「一生」なのだろうか。
そうやって言った当人が忘れてしまったり、覚えていないことはよくあることで、特に咎められることではないと思う。
けれど、言われたほうが覚えていたら、それをずっと信じていたら。
どうしたらよいのだろうと、一見どうでもよく、実にくだらない、考えるに値しないことかもしれないけれど、悩んでしまうのだ。

人のきもちはころころと変わってしまうものだけど。
放たれたことばは同じように意味が変化したり、無効になるのだろうか。
それはどうやって見極めるのだろうか。

なぜそんなに悩むかというと、”あの時”もらったことばを支えにしていることが多々あるからだ。
それは、実に何気ない日常の一コマにすっと流れているもので、”さようなら” ”またね” くらいのニュアンスであったりする。
そんな”あの時”もらった、支えにしていることばたち、実は有効期限が切れているのではないだろうか。そう思うと、不安でたまらなくなる。

そんなことを不安に思うわたしが馬鹿げているのかもしれない。いや、そんなことは十分わかっている。気にしたって仕方がないし、実際に確かめることなんてできやしない。確認したところで、「はい、期限切れです」と宣告され、「そっか、じゃあ支えにするのをやめよう」、なんて、おかしい。

「ことばの有効期限」に悩むなんて、他人に囚われていると思う人もいると思う。けれど、何にも囚われていない人なんて、いるのだろうか。

この問題について思い悩むとき、こたえはいつも堂々巡りなのだけど。
現在放送中の朝の連続テレビ小説「エール」のとある話を見たとき、自分がその時大切な誰かからもらったことばを支えにしている分には、有効期限はないのかもしれないと思えた。
あと、「”あの時” ○○さんにこう言われてなかったら、今の私は存在しません」というのも、同じような事象のように思う。
つまり、受け手が支えにしたり、何かのきっかけにしている分には、有効期限なんて存在しないのだろうと。

その代わり。
自分が何気なく放ったことばを、同じように誰かが大切に、支えにしてくれているかもしれないから。
話すときも、メールやSNSなどに書くときも。
少し考えながらことばを使うように気を付けている。
考えすぎるのはよくないけれど、全く考えないのもダメだと考えている。

すごくどうでもいい問題に感じる人も多いと思うけれど、人間は言語でコミュニケーションを取るから、こういう視点で考えて、無責任にことばを発しないように気を付けたいと思っている。
大事なことばをくれた、この先くれるかもしれない、大事なひとを傷つけないためにも。
「ペンは剣よりも強し」とは、よく言ったものだ。
わたしはこの言葉を「アンネの日記」で知ったのだけど、だからこそ、発する際にはいろんなことを一瞬頭によぎらせるようにしていたいと思ってる。

おしまい


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