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宇宙人の生物学者が地球人を調査したら驚くこととは?

宇宙人の生物学者の一団が地球人を調査しに来た。

地球人のSF映画に出てくる、人を捕まえて切り刻んだりするような残酷な宇宙人ではない。

彼らは極めて倫理観の高い科学者たちだ。他文明に干渉しない、たとえ下等生物であっても決して殺めないといった銀河系共通ルールを忠実に守る。

だから地球人に気づかれないようにこっそりと下水管から頭髪のサンプルを集めたり、蚊ロボットを使って血のサンプルを採ったり、妖精のふりをして子どもの抜けた乳歯を収集した。七大陸や日本をくまなく巡った後、太平洋に散らばるポリネシア人やヒマラヤに暮らすシェルパ、シベリアの永久凍土に住むチュクチや灼熱のサハラに住むトゥアレグまで、世界中のありとあらゆる人たちのサンプルを集め、クロマグロに偽装した宇宙船に持ち帰った。

そしてそれを分析装置にかけ、DNAを解読した。その結果に生物学者たちは首をかしげた。ほう、これは予想外だ。興味深い。いったいこれは何を意味するのか・・・。そして銀河系進化生物学会誌に一遍の論文を投稿した。そのタイトルは

「地球人の驚くべき遺伝的均一さ」

であった。

「太陽系第三惑星に住む『ホモ・サピエンス』を自称する地球人は皆、驚くほど似通っている。その均一性は特筆に値する。」

宇宙人の生物学者はそう結論づけた。

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ちょっと待て。この論文を読んだ地球人はそう思うだろう。地球には様々な人種や民族が住んでいる。肌の色、髪の色、目の色は様々だし、顔の形や体格も違う。文化的にも非常に多様だ。どこが「均一」なんだ?

ところが、我々のDNAを比べてみると、たしかに宇宙人の言う通りなのだ。

ホモ・サピエンスは生物種に比べて驚くほど遺伝的に均一なのである。それが人類の最大の生物学的特徴の一つと言ってもいい。たとえば中央アフリカに住むチンパンジーのたった一亜種だけで、世界中の人類よりもはるかに大きな遺伝的多様性がある。それに比べて人間は、アフリカの希望峰から南アメリカのホーン岬まで、世界中どこの民族を比べても遺伝子に0.1% 以下の違いしかないのである。

宇宙人の科学者はこの発見の後、疑問に思った。どうして地球人はこれほどまでに皆同じなのだろうか。

種の遺伝的多様性は、その種ができてから時間が経過するにつれ、ランダムな変異が蓄積し増大する。

だが人類の場合は少し変わった事情がある。外見的に現代の人間と変わらない人類(anatomically modern human, 解剖学的現生人類と呼ばれる)はおよそ20万年前から30年前にアフリカで発生した。ところが世界中の人の遺伝子を調べてみると、現在の全ての人間は皆、およそ5万年前から6万年前にアフリカにいた僅か数千人程度のグループの子孫らしいのである。

つまり、人類の遺伝子にはたった5〜6万年分の変異しか蓄積していない。だから人類はこんなに均一なのだ。これを「ボトルネック効果」と呼ぶ。

しかし、それよりはるか昔から存在していた他のホモ・サピエンスのグループはどこへ行ってしまったのか?いったい5〜6万年前に何があったのか?

ひつの仮説は、この時期に人類が一度絶滅しかかったと考える。たとえば巨大な火山の噴火による気候変動で、ごく一部の幸運なグループを除いて人類が死に絶えた、というのだ。

実はちょうどこの時期に、もう二つの重要な変化が人類に起きていた。

一つは「出アフリカ」である。アフリカ生まれのホモ・サピエンスは、実はこれ前にも何度かアフリカから出た形跡があるのだが、適応できずに拡散に失敗した。ところが5〜6万年前に再び人類が出アフリカに再挑戦すると、なぜか今度は急速に世界中の環境に適応し拡散していったのである。

もう一つは「ソフトウェア・アップデート」である。20〜30万年前に誕生した解剖学的現生人類は、脳の容積を含め姿や形(つまりハードウェア)は現在の人類と変わりなかった。しかし彼らが残した道具などはとても単純で、ホモ・サピエンスの先祖であるホモ・エレクトスと大差なかった。

ところが5〜6.5 万年前に突然、精巧な道具、弓矢のような武器、釣り針、土器など、現代文明に通じるような文化とも呼べるものが発生したのである。さらには洞窟の壁画のようなアートも誕生した。

これをジャレド・ダイアモンドはGreat Leap Forward, 「大躍進」と呼んだ。

いったい、この時の人類に何があったのだろうか?体も脳の大きさも変化していないのだから、脳の中の「ソフトウェア」がアップデートされたと考える他ないだろう。

では、5〜6.5 万年前万年の人類に「大躍進」をもたらしたソフトウェア・アップデートとは、一体何だったのだろうか?ソフトウェアは化石に残らない。だから様々な想像を巡らす余地がある。ある科学者は複雑な言語能力の獲得だと想像する。ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』の中で、人類がこの時に「フィクションを生み出す力」を得たのだと論じた。それはもしかしたら、僕が『宇宙に命はあるのか』『宇宙の話をしよう』で「イマジネーション」と呼んだものかもしれない。

たった数千人の祖先。出アフリカ。そしてソフトウェア・アップデート。この3つのピースをどう繋げるかにも、様々な想像の余地が残されている。

もしかしたら絶滅しかかった人類の中で、ソフトウェアが高度化されたグループのみが生き残り、世界に拡散したのかもしれない。

あるいは、数千人の「ニュータイプ」の子孫が拡散する過程でオールドタイプを駆逐していったのかもしれない。

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話を最初に戻そう。どうして人類のDNAはこれほど均一なのに、我々は人種間に大きな隔たりがあるように感じているのだろうか。どうして我々は「人種」をここまで気にするのだろうか。

僕は家庭でちょっとした実験をしている。ミーちゃんに人種の概念を一切教えずに育てているのだ。もちろん何人は何人より優れている、劣っているという下劣な話はしない。かといって、人種差別はいけない、どの人種も平等だ、そんな崇高な話もしない。ただ単純に人種の話をしないのだ。誰々ちゃんは白人だ、黒人だ、アジア人だという会話はしない。ただ誰々ちゃんの話をする。それだけである。

ここロサンゼルスは人種のるつぼで、保育園や学校の先生や生徒にはありとあらゆる人種がいる。その中にあって、彼女は教えられずとも人の身体的特徴を類型化し、人種の概念を自然に獲得するだろうか?

結果は、今のところ、ノーである。

もちろん友達の肌や髪の色に違いがあることは知っている。だが、彼女はそれをもって友達をグループ分けをすることはない。一方、あの子はいい子だ悪い子だ、誰が優しくて誰が意地悪だ、誰がベストフレンドで誰がフレンドだ、そんな話は四六時中している。

考えてみれば当たり前の話だ。日本の小学校だって顔が丸いこと四角い子でグループに別れたりしない。誰と気が合うか、話が合うかということだけだ。子どもにとって大事なのは外見よりも心なのである。

ある意味、子どもは宇宙人みたいなものだ。この地球にやってきてまだ日が浅い。子どもたちは遊びながら、毎日興味深くこの惑星を「観察」しているのである。きっと彼らの目には、様々な偏見を植え付けられ曇ってしまった大人の目には見えない、この世界の客観的な姿が映っているのだ。

もし人類が宇宙的視点から地球を見たければ、我々はまず、子どもたちから学ぶべきなのかもしれない。

この惑星の全ての子どもたちが幸せな明日を享受できる日を夢見て。メリークリスマス!

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※こちらの記事は『宇宙メルマガTHE VOYAGE』に掲載された記事を転載しています。『宇宙メルマガTHE VOYAGE』は、毎月19日無料で配信中の宇宙に関するメルマガです。小野雅裕さんが執筆するコーナー他、宇宙に関する研究・開発・ビジネスについての特集記事/取材記事、アートや星空案内、情報案内など、分かりやすくお届けしています。ご登録はこちらから↓↓↓
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小野雅裕、技術者・作家。

NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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