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人生で一番大切な日

いつか自分が死ぬ時、最期に何を思い出すだろう。

この先どれほど良いことや悪いことがあっても、必ず思い出すに違いない日がふたつある。ひとつは娘のミーちゃんが生まれた日。もう6年半も前のことだ。

もう一つは、つい先月のことだ。ミーちゃんの弟が生まれたのである。

ミーちゃんとの三人家族でも僕は十分幸せだったし、十分忙しかった。でも、まだ何か足りない気もしていた。理由は二つあったと思う。
一つ目は、僕が四人家族で育ったから。「家族」といえば何となく食卓に四人いるイメージが頭に浮かぶのである。

二つ目は、名前がすでにあったからだ。それも11年も前から。
結婚して間もない頃、僕たちは女の子なら「ミーちゃん」、男の子なら「ユーちゃん」と決めた。それから5年して女の子が生まれ、決めた通りにミーちゃんになった。使われないままの「ユーちゃん」の名前は、まだ実現していない予言のように、家族の中に浮かんで漂っていた。

ユーちゃんはなかなかできなかった。結局、不妊治療に三年半も費やした。何百本もの痛い注射を妻は我慢した。ユーちゃんがお腹に宿ったと知って、二人で抱き合って喜んだ。ちゃんと生まれてくれるか心配しなかった日は一日もなかった。

臨月になると、毎日まだかまだかとソワソワして過ごした。ほんの小さな兆候に一喜一憂した。

二人目はお産が早いとは聞いていたが、驚くほどスムーズだった。いきみ始めてから30分ほどして、ユーちゃんの頭がぴょっこりと現れた。次にいきむ時に医者が頭を引っ張ると、体もずるずるっと勢いよく出てきた。

ずっとユーちゃんに会いたかった。11年も待った。最後の3年は猛烈に待った。やっと会えた嬉しさに、妻も僕も涙した。

命の誕生とは、この宇宙のもっとも深淵な神秘である。昔の人たちが肉体に魂が宿ると考えたのも不思議ではない。「魂」とはつまり、説明不可能なものを全てまとめて抽象化した概念なのである。

体は死んでしまえば物と何も変わらぬ物質だ。その物質に命が宿ると、感じ、考え、動き、育つ。生命と非生命の間にあるこの質的な違いを説明する術を、昔の人たちは持ち合わせていなかった。だからその差分を「魂」と呼んだのだ。

現代人も、この問いについていえば、分かっていることは実は近代科学以前の人たちとそう大きくは変わらない。たしかに生命科学の進歩によって人間の体の機械的な仕組みについては多くの知見を得た。ところが、物質からいかに命が生まれるのか、そしてなぜそこに心が現れるのかという根本的な疑問について、人類はまだほとんど何も答えることができていない。

そして、現代の最高峰のロボットや人工知能の技術を以ってしても、人間の体や心ができることのほんの僅かしか真似できない。おそらく、科学に残る最後の難問の一つは、「意識とは何か」だと思う。(これについては、最近読んだMark Solmsによる著書 “The Hidden Spring”に書かれた洞察が非常に興味深かった。)

命と心の神秘は宇宙の果てと同じくらい遠くにある。あの日、僕は病院の分娩室でその神秘に触れたのである。

物質からいかに命が生まれるのか。
その謎を解く鍵となるのが、地球外生命探査である。地球以外の天体に生命は現れたのか。それはどのようなプロセスで発生したのか。異文化と比較することでより日本を深く理解できるように、地球外生命との対比で見た時に我々は地球の生命という現象をより深く理解できるだろう。

また、エウロパやエンセラドスなど、外惑星の衛星には地下に海を持つと考えられている天体が多くある。そのような海には、もし生物がいなくとも、生命発生前の地球の海と似たような環境が残っている可能性もある。

宇宙探査とは、我々自身を理解するための探究でもあるのだ。

ちょうどユーちゃんが生まれた週に、以前に書いたEELSプロジェクトの実験がカナダの氷河で行われた。EELSとは、ヘビ型ロボットを使ってエンセラドスの氷の割れ目に入っていき、地底の海に到達しようという野心的な構想である。

今回はまだ1年目ということもあり、ロボット全ては持っていかず、センサーが詰め込まれたロボットの頭部のみを持っていってデータ収集をした。来年はいよいよ、ロボットを氷河に持ち込み実験をする。

EELSがエンセラドスへ行くのは、たとえそれが実現してもあと20年か30年後だろう。ミーちゃんもユーちゃんも立派な大人になっている頃である。その頃、我々人類は、命の神秘に少しは近づけているだろうか。

NASA  JPL

宇宙、そして命の神秘と同じくらい僕が興味を持っているのが、心の神秘である。いかにして命は心を生むのだろうか。

僕も一応、人工知能の研究者の端くれである。僕の仕事は宇宙探査ロボットを賢くすることだ。そして、この問題に取り組めば取り組むほど、絶望に似た気持ちに駆られる。

ミーちゃんの目を見張る心の成長を見るにつけ、人工知能が追いつくことなど到底不可能だと感じられるからだ。

よくメディアでは人工知能が人間を追い越す「シンギュラリティ」が恐怖と共に語られる。僕は、煽り立てるメディアや一部の「専門家」とは裏腹に、向こう数十年や数百年ではそれは起きないと考える。目指す場所がアンドロメダ銀河にあるとして、現代の人工知能の技術はやっと火星についた程度だ、というのが現場の感覚だ。

たとえば、生後すぐのユーちゃんが当たり前のようにやっている、おっぱいを吸うという動作を考えてほしい。単純なように思えるが、あれは触覚フィードバックと口、肺、食道の複雑な動作が絶妙に連携して初めて可能になる。もちろん、それを逐一プログラムすればロボットにその動作を再現させることはできる。しかし、ユーちゃんは誰にも教わることなく、例を示されることもなく、本物の乳首を一度たりとも触れずに習得する。そんなことを現代の人工知能ができるか?端的に言って、不可能だ。

小学校一年になったミーちゃんは、パパが「宿題をしなさい」という予兆を敏感に察知してタッチの差で姿をくらます。見つかってもあれやこれやの言い訳を瞬時に生成し、あるいはわざと鉛筆を落としたり頻繁にトイレに行ったりして逃げ続けるのだが、同時にパパのイライラ度合いを常にモニタリングし、怒りが爆発する前に寸止めする。人工知能に宿題を解かせるのはいとも簡単だ。だが、ミーちゃんのサボタージュ術を真似できるとは到底思えない。

人間と人工知能の隔絶した差はどこから生まれるのか。

僕の仮説は「時間」だ。

これには二種類の意味がある。一つは「開発時間」の差。人工知能もロボット工学も、始まってからせいぜい70年かそこらである。一方、宇宙のもっとも効率的なエンジニアである自然選択が人間を作り上げるまでに、40億年を要した。そうすぐに追いつけなくても、不思議ではなかろう。

もう一つは「学習時間」の差だ。僕はだいたい、平日は5時間、週末は12時間をミーちゃんに費やす。年2500時間。18歳になるまで4.5万時間。この膨大な時間を、ミーちゃんにカスタマイズされた形で、お喋りし、お手本を示し、アドバイスをし、善悪や常識を教え、喜怒哀楽を共有する。その全てが学習データとしてミーちゃんの脳の発達に寄与する。僕は人工知能を学習させるために4.5時間を費やすだろうか?もちろん、しない。なぜミーちゃんやユーちゃんにはそれをするのか?

愛しているからだ。

だから、人と同じことができる人工知能を作るには、それが我が子と同じくらい愛される必要があるのかもしれない。もしそうならば、人工知能が人に追いつくのは未来永劫無理なのかもしれない。

そんなことを、ユーちゃんのウンチのオムツを替えたりミルクをあげたりしながら考えた。育児休暇も残すところ、あと2週間だ。

ひとつ、やらねばならぬことが増えた。『宇宙の話をしよう』にはミーちゃんしか登場しない。ユーちゃんが登場する続編を書かなくては、と思う。


小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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