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創価学会・信仰体験 人間革命第3巻 池田大作著 引用

 体験の内容は、さまざまであった。
 ある若い女性は、親に言われるままに、一応は入会したが、青年には宗教など必要ないと反発していた。そのうちに、だんだんと病気がちになり、敗戦を迎えた時には、自分の人生は闇の底に突き落とされたように思えた。
 その時、姉から、真剣に信心に励む以外に、宿命を転換する道はないと諭された。彼女は、言われるままに唱題に励んだ。すると次第に健康を回復し、自分の将来にも希望がもてるようになった。彼女は、宗教は生活の根源であることを実感したと、その喜びを語ったのである。
 また、年配の壮年は、退職して、まとまった金が手に入り、妻と安定した生活を送り、満足していたが、いつの間にか賭博に手を出し始めた。気がついた時には、すべてを失っていた。そのうえ空襲で家まで焼かれてしまった。しばらくは、わずかに残った妻子の着物を売って生活していたが、それも尽きてしまった。
 〝もはや、一家心中をする以外にない……〟
 そう覚悟した時に、知人から折伏を受けて入会した。彼は、藁にもすがる思いで懸命に信心に励んだ。願った通り、二カ月もたたないうちに就職先が見つかった。彼は、懸命に働いた。そして、入社六カ月で、給料は初任給の三倍になり、その後、借金もすべて返済できたのである。まさに生活革命の実証であった。
 さらに、ある壮年は、自分の哲学遍歴を語った。彼は、自分の空虚な精神を満たしたかった。まずキリスト教を求めたが、矛盾を感じてマルクス哲学に走った。そこでも矛盾を覚えて、デカルト、カントの哲学を学び、西田幾多郎、三木清の哲学も学んだ。しかし、彼の心が満たされることはなかった。結局、日蓮大聖人の仏法に巡り合って、最高の人生の道、幸福への道は、ここにあることを、彼は発見したのである。壮年は、人生の根本哲学と出あえた歓喜を、力強く訴えた。
 これらの体験には、戦後の混乱期の、さまざまな人生の縮図があった。
 このころから学会では、日蓮大聖人の仏法の正しさを実証するため、いろいろな人の体験談に力を入れていった。それは、体験ほど強いものはないからである。理論だけで正邪を争おうとすれば、観念の遊戯に陥りがちで、いつまでも平行線をたどってしまうことが多い。
 数多くの体験は、単なる観念ではなく、事実のうえからも、仏法の正しさを証明するものであった。美辞麗句の指導や、観念の理論よりも、現実の体験の方が人の心を強く打った。そんな話は偶然にすぎないと考える人が、いるかもしれない。しかし、それが何度も重なったり、多くの人びとが、一致してその実証を感じているのを知って、そこに何らかの必然的な法則性があることを、納得するであろう。

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