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映画『怒りの日』 (ネタバレ感想文 )なぬっ!?邪悪な力となっ!?

テオドールなんだかセオドアなんだか、ドライヤーなんだかドワイヤーなんだか、日本語での呼び名がいまいち確定していなかったんですが、カール・テオドア・ドライヤーでいいんですかね?昔はカール・ドライヤーって教わってたんですけど、検索してもパナソニック製品しか出てこないし。
ま、ショーン・コネリーも昔は「シーン・コナリー」だったしな。

「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」にて鑑賞しました。ザジフィルムズさんありがとう!

1943年のデンマーク映画ですが、映画の舞台は1600年代(?)のノルウェーです。最近知ったんですが、デンマークとノルウェーは2000年頃に橋と海底トンネルで繋がったんだって。オーレスン・リンクっていったかな。
あ、どうでもいい話ですね。

例えばこれがフランス映画で、エマニュエル・ベアール姉さんとかリュディヴィーヌ・サニエ嬢とかが主演だったら、「さもありなん」と腑に落ちた気がします。彼女たちは小悪魔ですからね。小悪魔女子大好き(<何の話だ)。
でもこの映画はとってもモヤモヤするんです。これが邪悪な力なのか?

カメラがよく動く。移動大好き伊藤大輔くらい動く。これはドライヤーの特徴なんでしょうか?
もう一つ印象的だったことがあります。女優の顔に影を落とすんですよ。確実に、わざと。
ハリウッドだったらあり得ません、女優の顔に影を落とすなんて。
私は、その表情に「白と黒=善と悪」が混在するという意図じゃないかと思うんです。

つまりこの映画、「白か黒か」をハッキリさせない。
そして、監督は「誰の味方でもない」。
誰の味方でもない?んー、正しい言い方じゃないな。
監督は、観客を登場人物の誰かに感情移入させる意志がない。客観的に、第三者の視点で「見つめる」ことに終始しているように思えます。

たぶん、これらが「モヤモヤ」の原因でしょう。
ハリウッド型作劇に身体が慣らされていると、「白黒(善悪)ハッキリ」「主人公に感情移入」が当たり前だと思ってしまう。
期せずして、今年観たデンマーク映画『わたしの叔父さん』でも同じこと言いましたが、世界は広いんですよ。ハリウッドだけが映画じゃない。
(映画製作数1位はインド、2位は中国、アメリカは3位らしい)

もっと言えば、先に例に出したフランス映画と違って、女のさがを描くことが主眼ではないように思います。ましてや「なぬっ!?邪悪な力となっ!?」と寝返ってしまうボンクラ男を描くことでもなく、男と女の機微を描くことでもないように思えるのです。ダバダバダ。

繰り返しますが、ドライヤーは、神の視点で人間ドラマを客観的に見つめます。そしてそれを、良いとか悪いとか、何が善悪かとか、彼の基準で「白黒つける」ようなことをしない。主義主張はおろか、何も意見を述べていないように見えるのです。
でも、アレクサンドル・ソクーロフみたいに、まるで実験容器のような設定に人物を置いて観察するだけの映画とも違う。
前述した「カメラ移動」に、「これを撮る」という作家性がある気がします。

さて、カール・テオドア・ドライヤーの客観的な(冷静な)視点と作家性を語った上で、「魔女狩り」と「怒りの日」というタイトルに目を向けてみたいと思います。

この映画が撮られた1943年のデンマークは、ヒトラーの占領下でした。

おそらく、魔女狩りに似た状況が世間を支配していたのでしょう。
そして、聖書の一節である「怒りの日」というタイトルは、文字通りドライヤーの冷静な「怒り」の現れだったのではないでしょうか。

(2021.12.26 渋谷シアター・イメージフォーラムにて鑑賞 ★★★★☆)

監督:カール・テオドア・ドライヤー/1943年 デンマーク


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