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映画『左手に気をつけろ』『だれかが歌ってる』天才井口奈己新作(ネタバレ感想文 )

監督:井口奈己/2023年 日(2024年6月8日)

日本の女性監督を私が語る際、しばしば引き合いに出す井口奈己。
男だ女だ言っちゃいけない時代ですが、私は井口奈己作品を観た時に「男が逆立ちしても描けない何かがある」と感じたんです。

最初に観たのは『犬猫』(2004年)。
その後、『人のセックスを笑うな』(08年)、『ニシノユキヒコの恋と冒険』(14年)と、結果、全作品観ています。
自主映画時代の8mm版『犬猫』(01年)も観てますよ。
てゆーか、井口奈己寡作だな。撮らなすぎ。長谷川和彦じゃないんだから。

そういうわけで、『ニシノユキヒコの恋と冒険』以来5年振りに撮った
30分の中編『だれかが歌ってる』(19年)、
そこから4年振りの43分の新作中編『左手に気をつけろ』(23年)の併映を観に、いそいそと映画館に足を運びました。
この2本、うすらボンヤリ繋がってるんで、まとめて感想文を書きます。

併映作品『だれかが歌っている』

舞台挨拶もあって、井口監督は「公開する予定もなく自主映画感覚で撮っていた」と話していて、何か納得するものがあったんです。
井口奈己は映像だか演技だかの学校の講師をされてるんですよね。そのワークショップの延長のような感じだったのかもしれません。

実は私は井口奈己を、「等身大の目線で感覚的に切り取る」天才肌の監督だと思っています。自然体と言ってもいいのかもしれません。
冒頭で「日本の女性監督を私が語る際」と書きましたが、対照的なのは西川美和だと思うんです。彼女は「計算ずく」の秀才タイプ。年齢は少し下なのかな。
もう少し年齢が下になると、「本能で撮る」横浜聡子がタイプとしては似ているように思えますが、彼女の目線は等身大どころか、常人のそれとは異なる別次元なんで。私は横浜聡子は「真性」と称しています。
井口奈己は世代的には「カウリスマキイズム」荻上直子と同じくらいなんですかね。
あと同世代は、「別世界のフェミニズム」河瀨直美とか、「身近な自然体女子好き」大九明子とか。
女子好きで言えば、20歳も年下だけど「おんな大林宣彦」山戸結希とかいますね。面白い女性監督が目白押しだな。
(呼称は全部私の勝手な命名です)

ちなみに海外の女性監督は『バービー』(23年)で無駄に語っていますが。

えっと、何の話だっけ?
井口奈己と私が同い年だ、お互い年を取ったという話でした(<そんな話は一度もしていない)。

あの「男には逆立ちしても撮れない」「感覚的に切り取る」「等身大の目線」が見つめていた先が、20年前の『犬猫』の頃は「異性」だったんですよね。
それが年齢を経て、彼女の「等身大の目線」が向いているのは、子供や街や音楽なんだなあ、ますます自然体だなあ、と。

街なんてさ、松陰神社前や経堂を中心に、北は下高井戸、南は渋谷や早稲田辺りの範囲で撮ってるからね、2本とも。自然体の生活圏。

あと子供ね。
全然「子役」じゃないの。自然体の「子供」。
舞台挨拶に立った子供たち(エンディングのラップ歌ってる男子2人)も超自然体。映画の感想は「何が面白いのか分からなかった」って(笑)

音楽が象徴的で、2作品とも演奏シーンがあるんですけど、演奏前のチューニングや音合わせから始まって、自然に演奏に入っていくんですよ。
この映画自体がそんな感じなんです。
「公開する予定もなく自主映画感覚で撮っていた」というのと似た感じで、なんとなく始めた音合わせから曲が産まれるように、映画も出来上がっていったような感じ。

まあ、マダムロスというミュージシャンの演奏自体は、自然体と呼ぶにはほど遠い異次元感があって楽しかったけどね。

余談
無駄な知識披露をしますが、『左側に気をつけろ』(1936年)っていうジャック・タチ主演、ルネ・クレマン監督の短編があるんですよ。これは観てます。それのパロディータイトルで『右側に気をつけろ』(87年)というゴダールの作品があります。これは観ていない。ゴダール嫌いだから。
そして本作のタイトルは、おそらくパロディーなんだろうけど、内容は全然関係ない。

(2024.06.09 渋谷ユーロスペースにて鑑賞 ★★★☆☆)

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