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映画『裁かるゝジャンヌ』 (ネタバレ感想文 )Jesus!

「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」にて、デジタルリマスター版を鑑賞。ザジフィルムズさんありがとう!

本上映は2015年にゴーモン社によってデジタル修復された素材によるもので、伴奏音楽はオルガン奏者のカロル・モサコフスキによって作曲・演奏、リヨン国立管弦楽団のコンサートホールのオルガンを用いて録音されました。

公式サイトから

私がこの映画を観るのは2003年に上映された「修復無音声版」以来。
その時は(移転前の)ユーロスペースだったけどね。
今回は上述した通りオルガン伴奏入りでしたが、前回は「無音声」。
なんでも、長らく過剰な音楽と説明字幕版しかなかったこの映画(上映当時、カトリック教会の思惑で大幅改編されたとか)、紛失していたオリジナルフィルムが1980年代に発掘されたそうです。
その限りなくオリジナルに近いバージョンを鑑賞したんですよ。
その時の体験が凄かった。
当時はフィルムでしたから、聞こえるのは映写室から微かに漏れ聞こえる映写機の音だけ。張りつめた静寂。観客は音を立てることも出来ず、息を飲んでスクリーンを見つめるしかない。もの凄い緊張感。

Jesus!なんてこった!

今回改めて観ても刺激が強い映画です(衝撃はさすがに薄れましたが)。
元来、無声映画はオーバーアクトとも言える演技で「全身を使って」表現するものです。音声という表現方法を持ち合わせていないのですから、当然と言えば当然です。
ところがこの映画は「アップの連続」で語ります。なんという緊張感。なんと前衛的。この映画、実はアヴァンギャルド。

神よ!Jesus!
そう呟いて絶命する表情に、アップの連続が収束します。
まるでこの表情を、この一瞬をカメラに収めるために本作は作られたかのよう。映画的なものから対極にあるようで、最も映画的な瞬間。

伝説ではなく苦悩する生身の人間

この映画は冒頭で、「ジャンヌ・ダルク裁判の記録を元にした」旨を明示します。
カール・テオドア・ドライヤーは、ジャンヌ・ダルクの「聖少女伝説」を完全排除し、実際の裁判記録から死の恐怖におののく生身の人間を描きます。
私は『怒りの日』(1943年)の感想で、ドライヤーの視点の客観性について触れましたが、この映画の視点はまさにそうです。カトリック教会における聖人ジャンヌ・ダルクを決して美化しません(それ故、カトリック教会に大幅改編されたのでしょう)。

この映画は聖人(聖少女)伝説ではなく、自分の信念を貫いたが故に命を落とす「愚かなほど純真な物語」です。
その点に於いて、私はこの映画の進化系が同じデンマーク人監督ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)だと思っています。

21世紀のいま観ると違う意味も

私は『怒りの日』の感想で「監督は誰の味方もしていない」「主義主張しない」と書きましたが、この映画では明らかにジャンヌの味方です。
いや、正しくは「無垢な信仰の味方」かもしれません。
ドライヤーは、「神は信じるが、宗教(団体)は信じられない」と静かに主張している映画に思えます。
(だからカトリック教会に大幅改編されたんでしょうけど)

21世紀のいま観ると違う意味も見えてきます。
若い女性の台頭(新しい力)を権威にしがみつくオジサン達が阻む物語

監督:カール・テオドア・ドライヤー/1928年 仏

(2021.12.26 渋谷シアター・イメージフォーラムにて鑑賞 ★★★★★)


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