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手書きの日記で脳が整う!

今年になって何か新しい事を始めようと思い立ち、五行日記をつけ始めた。
五行日記と言いながら、大体10行くらいは書いている。2023年1月1日につけ始めて、本日11月27日まで1日も欠かさず、書いて来られたので、これはもう私の立派なルーティーンに組み込まれているのではないかと思う。
また、この日記を手書きで書いていく作業の効用のようなものを少しシェアしたいと思う。

そもそもなぜ手書きにこだわったのかと言うと、私は紙の手帳が嫌いで、スケジュールなどは全てスマホで管理している。スマホがぶっ壊れたら一発アウトだ。それでも毎年買い替える必要はないし、カバンは嵩張らないし、何かとスケジュール管理はスマホの方が便利なので、今後もスマホで予定は埋めて行くつもり。

一方、頭の中でぼんやり考えている事や、アイデア、何かの感想など、書き留めておきたいなという時、PCやスマホのメモ書きにしたためてもいいのだが、いかんせん、最近のPCやスマホは賢過ぎる。私が文章を打つ傍らでどんどん予測変換が出て来て、またそれらを学習して、予測変換に従って文章を書かされているような気持ちになる。
まあ、意味はそう大して変わらないし、予測変換で出て来た単語を並べて行くと、確かにそれなりの読みやすい文章には仕上がる。

ただそういう文章はやはり、読みやすい分、何かが決定的に欠けている。つるりとした肌触りの良い生地のように、文章全体を塊として捉えた時、引っかかりがないのだ。

時にゴツゴツとした、時にざらりとした、読んでいて、うっ!と引っかかって、気になる何か。たぶんそれらはきっと今流行りのAIが作り出そうとしても作り出せない何か。人間臭い、矛盾に満ち満ちていて、答えが出ない、ぐるぐる禅問答のような何かだ。
少なくとも私の頭の中は毎日、かなり禅問答のように何かが常に蠢いていて、どうもそれらが行き場を失っているようなのだ。

それらを引っ張り出して、文章に落とし込むのはやはり手書きの方が合うような気がして始めてみたというのが本音。上手く行くかどうかはやって見ないとわからない。

最初は日記以前に、自分の漢字能力がここまで落ちていることに落胆した。皆PCやスマホを常時触っている人ならわかっていただけると思うが、私達の脳みそから漢字を捻り出す作業は思っていたより難しい。何年もまともに手で文章を書いていないのだから、当然と言えば当然なのだが、これは実際経験すると、かなり凹むレベルである。

仕方がない。漢字をすっかり忘れた自分を認めようではないか。忘れたものは、再度インプットすれば良いだけである。

なんて格好付けて今は言えるが、この漢字が出てこない問題で、日記を挫折する人が多いと思うので、そこは潔くひらがなやカタカナで書けばよろしいかと思う。無理にスマホを持って来て綺麗な漢字を検索すると、脳がサボってしまうのだとか。誰に見せる予定もないただの戯れごとにそこまで美しいものを求めてはいけない。

また、後から読み返した時、最初の頃はこんな字が下手だったかー!とか、うへー!こんな簡単な漢字も忘れていたのかと大変自分の成長を感じられる良い証拠になるので、是非ともありのままに書き殴る事をお勧めする。

ともあれ数ヶ月これを続けていると、あら不思議。今まで書けなかった漢字も案外するりと出てくる、出てくる。そうすると文章自体も何だか息を吹き込んだように生き生きとして来て、自分が言いたかった事はコレだったのか!とか、ああ、言葉に落とし込むと案外大したことなかったなとか、いやいや、この見方はあまりにも一方的に過ぎるだろうとか、自分の中で一人編集者会議が始まるので面白い。

どこかで読んだ知識なので定かではないが、私たちの脳は考え事をする時にものすごい速度で次から次へと妄想がふくらんだり、結論づけたり、紐づいた情報に飛んだりしているらしい。それを手書きで書き留めることによってその速度を少し抑える事が、その瞬間は出来るらしい。確かに頭の中で考えている間はなかなか考えがまとまらなくて、モヤモヤしているのは脳の処理速度が早過ぎて思考が追いついていない状態なのかもしれない。

不思議と毎日五行日記を付ける事によって、メンタルが安定した。これは間違いない。妙にイライラしたり、不機嫌になる事が減った。毎日1日を振り返る作業をしていると自然に気分が落ち着くのかもしれない。手書きで自分の気持ちを吐き出して、受け止める作業を繰り返しているうちにそんな自浄作用が働いているかもしれない。

で、毎日、そんなに何を書く事があるのか?と思われる方も多いかも知れない。私も実はそのネタ切れを漠然と心配していた。
でもそれは全くの杞憂であった。
私達は毎日同じような日々を送っているが、1日たりとて、昨日のコピーのような日はない。毎日、お天気が変わるように、気分も変わり、目にする情報、耳から入る音楽、触れる何か、読んだ本、見た映画やドラマ、日々のニュース、友人や家族との会話、そして仕事場で出会う人たち、出来事。些細なことでもなんでもいい。毎日何某が感じ、洞察し、感想を持っている。
だからネタには困ることがない。
気分が乗らない日は一行だけにしてもいいし、逆に乗った日はノート片面びっしり書いても良い。後で読み返した時、ああ、この時は辛かったんだろうなとか、この時はこんな気分だったのかとありありと思い出せるきっかけになってそれはそれで趣がある。

さっきからおわかりの通り、この五行日記の読者は作者である私だけだ。熱心に読む読者と言ってもいいと思う。読み返すと、またそこに発見があるから、何度でも読み返してスルメイカのように何度も口の中で噛み続けるのも一興だろう。

私はこの五行日記をつけ始めてから、気持ちがあまりブレないようになった。不安に思う時、焦る時、何もかも上手く回らない時は確かにある。何をやっても何という言葉を発しても、あるいは発していなくても、なんだかギクシャクして歯車がカチリとはまらない日も多々ある。
それでも朝起きたら顔を洗うように、日記帳を開いて向き合う。
ただそれだけだ。

少しずつ、少しずつ、大きな氷の塊が溶けるように、私の脳はゆっくりと整って行く感覚を覚え始める。
それは最初あまりにも小さすぎて、目に見えない変化かもしれない。
一週間や一か月くらいでは感じられない緩やかな変化だ。
だが、数ヶ月して、漢字が案外するりと出てくる頃には何故だか気持ちがスッキリして、脳の中の散らばったフォルダ達が左端にビシッと並んでいるような感覚に陥る日が来るはずだ。

その感覚は例えはよくないが、ある意味麻薬に似ている。気持ちが整理される、脳が整う快感を一度でも知ってしまえば、脳はまたその快感を欲しがるようになる。

また、朝起きて白湯を飲んだらノートを開ける。書く。整う。
これの繰り返しが生活の中に組み込まれればそれほど苦にはならない。
っていうか、脳が欲しているので、ノートを開く瞬間には既にワクワクしている時すらあるのがなんとも不思議だ。

私はこの五行日記の他に「歩く」ということも定期的にやっている。もちろん運動不足解消、腸活という意味もあるが、これもメンタルを整えるには非常に効果的だ。よく歩くと不思議と思考が整理される。これは多くの著名人が歩く事をしているので、きっと科学的な根拠があるのだろう。

右を向いても左を見ても、なんだか毎日ぱっとしないし、ネガティブなニュースばかり流れて来る昨今、できる限り自分の脳を整えて、心穏やかに過ごしたいものだ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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