インドのひとたちとわたくし。(159)ークリニックよもやま話
東京に住んでいたとき、足の肉離れでしばらく近所の整体に通っていた。平日から近所の高齢者が集ってきていていつも賑やかである。若くて愛想のよい男女の整体師を揃えているのも理由があって、みんな聞き上手なのである。院長よくわかっているなと思った。
インドのクリニックでも、やっぱり顔なじみになるひとがいたりする。
いつものように横になって指圧をしてもらっているときに、頼んでいた宅配のひとから携帯に電話が入った。横になったまま電話に出ると、午後のスロットを頼んだのにもう到着していて、アパートメントの前で、門のカギを開けてくれと言っている。今、出先だから無理、午後2時以降にまた来てくれと何度も言うが、なにやら興奮しているらしい相手には伝わっていない。見かねた指圧担当のアビシェクが、私の手からスマホを取り上げて電話に出てくれた。そのまま診察室の外の廊下に出て、なにごとかヒンディーで喋っている。思ったより長く何やら話してから戻ってきた。
曰く、駐車場に停めてあるバイクの下に置いたので、27番地の家のひとに聞いてくれとのこと。「27?うちは20番地だけど」。するとカーテン越しの隣の寝台にいた患者さんやクリニックのひとも巻き込んで、配達担当者が何と言っていたのかで話が盛り上がり、我が家の住所番地は、たちどころにその場にいる全員が知るところとなった。
27番地が正確にどこなのか知らないのだけれど、診察室にいた全員の「まとめ」としては、うちの近所であることは間違いないのでまず番地を探せ、そこの親切な『アンティ(おばさん)』に頼んでおいたから、駐車場のバイクの下に荷物が見当たらなければ、27番地をピンポンしてみたらよい、とのこと。
帰宅して家の周囲を見たら、27番地はウチの真向かいのアパートメントだった。最上階のミノは知っている。ほぼ毎朝、大量の家族の洗濯物を干しに出てくる彼女とバルコニー越しに挨拶する仲だ。パーキングのすぐ上の階には老夫婦とお世話係の男性、それにゴールデン・レトリーバーが住んでいる。前の通りをうろうろとしていたら、髪をひっつめにしたそこの奥さんがバルコニーに出てきて声をかけてくれた。ゲートの鍵をあけてもらい、バイクの下に置いてあった包みを無事に回収する。それまで挨拶したことはなかったが、これで顔見知りが増えたのはよいことだ。
翌日のクリニックで、昨日と同じメンバーに顔を合わせたので、荷物回収の件もお礼とともに報告しておいた。今日は患者さんのひとりが、ホーリー前日ということで、伝統菓子の箱を持参しており、技師や私たちにも「ハッピー・ホーリ!」と言いながら、指ですくったターメリックのシロップを頬やおでこに塗りつけていった。帰りがけには彼女が置いていった菓子箱から、焼き餃子のような見た目の揚げ菓子『グジヤ』をひとつもらって食べてきた。美味しいけれど、ひとつまるまるはお腹いっぱいである。ナッツやドライフルーツをたっぷり練りこんだ具材を餃子のように包んで揚げてある。恐ろしくてカロリーは知ろうとも思わない。伝統菓子の専門店はこの日、道路沿いの大きな看板を掲げ、店の前にテーブルを出して山盛りにしたグジャを用意し、ハーフキロ(500g)だの1ケージー(1kg)だのという単位で売りさばいている。帰りにお土産に買って帰ろうかと思ったが、どう見ても10個以上は箱に入っている感じなので、申し訳なくて2個とか3個だけちょうだいとは言えなかった。
別の日は隣の寝台で膝の治療を受けている大柄の男性と受付兼雑用係の男性が一緒にスマホの動画を見ながらきゃっきゃと笑っている。何かと思ったら私にも見せに来てくれて、それはお隣ウッタラカンド州のローカルニュースかなにかの動画で、土手に野生の虎が3~4頭うろうろしている。よく見ると虎の真ん中に男性がひとりうずくまっているのだった。ええーっ。一頭が男性の肩にかぶりついた、ように私には見えた。「食べられる、食べられるよ!」と思わず叫んだが、スマホの持ち主は「大丈夫だよ」とげらげら笑っている。結局、どういうニュースだったのかはわからずじまい。
狭い診察室で一緒に寝そべっていると、なんとなく仲良くなっていくものらしい。
ヒンディーでの会話になると私は入ってはいけないが、『エレクション』やら『PM』、『カシミール・パンディット』などの単語が切れ切れに聞こえるので、わりと政治的な話題も普通にみな、「床屋談義」のごとく話しているという印象である。
‐ インドの知識人が映画『カシミール・ファイル』を不快に思う理由( Times of India, 26th Mar. 2022 )
( Photos : In Delhi, 2022 )
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