インドのひとたちとわたくし。(105)-Day 19 : おまわりさんに叱られる
こないだウェブ会議で話したサリータが、「することがないから、食べて、寝て、ドラマ観てる」と言っていたが、その通りのことを私もやっている。
通いの掃除のひとが来られなくなったので、午前中は家の掃除だ。こうなるとなるべく自宅にひとを入れないほうがよいと思うし、適当な運動にもなるからこれはこれで構わない。買ったままずっとほったらかしの「ハト除け」をバルコニーに設置したり、バスルームのタイルを専用洗剤で磨いたりしているとあっという間に汗まみれになる。
いったんシャワーを浴び、そのあとはゆるゆると昼食の準備だ。これまた普段は絶対にやらない、湯むきトマトをふんだんに使ったトマトソースとか、ピザ生地づくりとか、鶏ガラスープなど、面倒で時間のかかることをやっている。
先日、宅配を再開したと聞いたオーガニック・ショップにポークやエビの配達をネット注文したのが、予定日になっても届かない。店のスタッフのアンジュンからは「何時になるかわからないけど今日中には届ける」とテキストが来たのに。気づいたら翌日になってしまった。業を煮やして店に出向くことにする。
このさきの鉄道陸橋のところまで歩いて10分弱、陸橋を徒歩で渡ったところでリクシャに乗ればよい。オートリクシャは走っておらず、自転車の後ろに客の座る荷台をつけたリクシャのみが、車のほとんど通らない幹線道路を自在に走り回っている。
陸橋手前の社会保険事務所には、恐らく日雇い労働に従事している男女が、保険金をもらうために集まってきていた。陸橋前後にはいつも客を当て込んでたくさんのリクシャが停まっていて声掛けしてくるのが、今日はほとんどいない。たまたま客を降ろしに来た1台を呼び止める。普段ならマーケットまで50ルピー(1ルピー=約1.6円)というところだが、途中にある住宅地がゲートを閉鎖しているので、かなり遠回りしないとたどり着けない。帰りもリクシャがつかまるとは限らないので、言い値の200ルピーで往復させることになった。平時なら張り切って値切るところではあるが、今はこのひとも生活に苦労しているだろうからあんまり酷なことはできない。
ショップに行くと、ほとんど全員のスタッフが出勤していて、私のように宅配を注文した客の伝票を手に、各自が籠を手に持って商品をかき集めている。どうやら入荷が追い付いていなくて、目当てのポークは在庫がない。冷凍のエビと白菜、それからチーズなどを慌てて買った。アンジュンに聞いても、「ポークはいつ入るかごめんなさい、わかりません」という。
もう1軒、別の行きつけの商店に行って、ポーク・ソーセージとベーコンを買う。しばらくこれで我慢するほかない。
お気に入りのアイスクリーム・ショップも閉店中なので、6本30ルピーという信じられない安さのバナナを完熟させ、ココナツミルクと生クリームを混ぜてアイスクリームも自家製している。ピザ生地に手を出したのも、いつも宅配を頼んでいるピッツェリアが閉まっているからだった。
夕方、いつものように家の前の公園を30分程度、歩いたり走ったりするために外へ出た。デリーはすでに外出時のマスクが義務化されていて、違反すると警告されたり罰金を課せられたりすることになった。
この公園は、コミュニティ専用みたいなもので、たまに通り抜けに利用するひとたちもいるけれど、今は町内会が『部外者立ち入り禁止』の貼り紙を入り口に掲げている。だいたい同じような時間に、見たことのある顔ぶれがぱらぱらとやってくる。小さな子どもをお手伝いさんと一緒に連れてきて芝生で遊ばせる女性、二人揃ってウォーキングする中年の夫婦、孫娘のようなお手伝いのお嬢さんに手を引かれてゆっくり散歩する杖をついた高齢の男性などだ。
ひとりでやってくる男性の多くは走ったり、早足で歩いたりしている。さすがに走るひとはマスクはしていない。暑くてしんどいので私もマスクを外して少し走っていたら、ふだんは見かけない制服姿にマスクをした、いかつい警察官が手に長い警棒を持って6、7人、公園の中に突然わらわらと入ってきた。走っている私たちを呼び止めて、なにをやっているのか、どこに住んでいるのかと立て続けにまくし立てる。「夜の散歩です」と言うと、「マスクなしでか?」と、怖い顔で詰問されたので、慌ててポケットにしまっていたマスクを取り出して顔にかける。すぐ後ろから走ってきたやはりマスクなしの背の高い男性も警官に呼び止められた。その男性に注意が向いたのをよいことに、ほら、マスクしたからね、もう帰りますね、とヘラヘラして彼らの横をすり抜けて家に戻った。
やれやれ。マスクなしで運動するひとがひとりふたりではなかったので、夕方、暇にしてバルコニーから外を眺めている住人の誰かが通報したのかもしれない。
このところデリーではホット・スポットが立て続けに発生し、拡大を防ぐためその地区ごと『封鎖』してしまうという戦略がとられている。もう30カ所以上が封鎖となり、その地区の住民は、買い物にも出られない。食料は必須の品だけ、許可を持った配達のみが行かれる。我が家の地区はそこまでは行っていないものの、いつなんどきそういう状態になるかもわからない。今のうちに買えるものはなんでも買っておく、稼働しているデリバリー・サービスをチェックしておくというのが日課になってきた。
どこよりも早く国境と空を封鎖したインド政府の初動は正しかったと思うのだけれど、その後、国内で発生した出稼ぎ労働者の大量帰還と、宗教集会で発生したホット・スポットの問題に、特にデリー政府は対応が追い付いていないような感じだ。4月に入って感染者が急激に増えたマハラシュトラ州は、中央政府に先立ってロックダウンを4月30日まで延長することにした。デリーも同様だと思うがまだ宣言されてはいない。
ロックダウンは致し方ないんだけれども、気になるのは物流や宅配が滞っていることだ。店への商品供給は州をまたいだ移送が上手くいっていないみたいだし、宅配は担い手の労働者がみんな地方へ帰ってしまったため手が足りていない。こんな状況で地区ごと封鎖されてしまったら、ほんとうに食べるものに事欠く事態になりかねない。なにをどこまで優先して線引きするのか、判断が難しいのだとは思う。
個人的には酒の販売を早く再開して欲しいのだ。
皮肉なもので、経済と社会の活動がほぼ全停止の中、初夏の空はどこまでも青くて空気もきれいだ。猿も野ブタも元気である。冬の間、工業や家庭用排水で川面が白泡だらけになっていたヤムナ河もずいぶんきれいになっているらしい。酷暑になる一歩手前のこの季節に、このきれいな空を眺めながら冷たいビールが飲めたら幸せなんだけれど。
よく言われているように、インドはGDP に占める製造業の比率が他のアジア諸国に比べても低い。国の規模が大きいのと、『人口ボーナス』による豊富な労働力から「大国」に数えられてはいるけれども、生産性の低い農業従事者が人口の半数以上、組織化されていないインフォーマル・セクター、つまり日雇いのような労働力人口が85%を占めている。実はこういうひとたちが建設工事や安いサービス業を提供することで、大都市の経済活動が支えられているとも言える。今回、都市部にいた大量の労働者が帰還することでは、地方への感染拡大のリスクとともに、都市機能に必要な労働力を失ってしまうという恐れがあって、このあとのインドにどのような世界が待っているのかちょっと想像がつかなくなってきている。もしかしたら再度、社会主義的な揺り戻しが来るのかもしれないと思ったりする。新自由主義を信奉する友人たちはどうするんだろうか。
‐ デリーでマスクなしで外出し検挙されるひとびと( Hindustan Times, 10th Apr, 2020 )
‐ 酒類業界が酒の販売再開を政府に要請( Economic Times, 7th Apr, 2020 )
‐ パンデミックは資本主義の限界を露呈( The Indian Express, 11th Apr, 2020 )
‐ インドは85%のひとびとがインフォーマル経済に所属( The Guardian, 8th Apr, 2020 )
( Photos : Wild Life in Delhi, 2020 )
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