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インドのひとたちとわたくし。―(154)『嘘』と『適当』

 そのひとには前にも会ったことがある。

 たいへんに恰幅のよいシーク教徒の紳士で、長い上着の、全身白づくめの伝統的な衣装姿で二人掛けのソファをひとりで占拠しているさまは、言ってはなんだが、スターウォーズの『ジャバ・ザ・ハット』みたいだった。
 ゴアに広大なカシューナッツ農園と加工場を持っていて、インド全土に加工品を卸している。最上級の巨大なカシューナッツを、塩味でローストしただけでなく、マサラ味やブラックペッパー味、わさびマヨ味などでコーティングした、さまざまなバリエーションを開発していて、これはなかなかに美味しかった。
 日本に輸出できないかと持ち掛けられ、ナッツ専門の商社などにあたってはみたものの、日本のスーパーで販売されているおつまみのカシューナッツは、もっと小粒のを東南アジアから安く輸入していて、値段がまったく引き合わなかった。あんな高級カシューなど需要がそもそもないのかもしれない。
 
 次に会ったら今度はカラフルにコーティングした粒チョコレートの詰め合わせをくれた。金色の小さな馬車の荷台に粒チョコがぎっしり詰められたギフト仕様だ。これまた日本でどうかというのである。似たような商品を日本のどこかのネットで見たらしい。
 日本のチョコレートの品質は、素人の私でもわかるほどに高い。こちらの高級モールに札幌の有名チョコ店が支店を出しているが、日本人駐在員はもちろんのこと、グルメなひとたちの間で大人気である。
 小さな馬車に積まれた粒チョコは、食べてみたけれども、くちどけも、甘さとコクの加減も物足りない。子どものころに食べた安いチョコの味だった。残念ながら、日本の口の肥えたお客さんが満足できるような味ではない。
 問題はそれだけでなかった。もらったチョコレートはしばらく紙袋に入れたままキッチンに置いていて、夜中に何気に袋の中をのぞいて仰天した。極小の赤アリが大量に中からわらわらと発生してきていたのだ。コヤツらがどこから来たのかはわからないが、袋ごと処分せざるを得なかった。チョコ自体の衛生管理か、包装の問題かは不明のままだ。

 そのサンジェイ・カンナ氏が、私たちの会社が資金繰りで苦労しているのを知り、支援してくれると言う。彼はもともとヴィッキーの古い知り合いなのだった。
 デリーとゴアで、いくつもの会社を経営しているのだが、コロナのせいで事業の見直しをすることになり、あらたな投資先として私たちを選んでくれるという。おお、なんとありがたい。まさしく救世主だ。
 ただ、これまで会ったときのカンナ氏は、英語をほとんど話さず、シャイなのかあまり目も合わせてくれなかったので、『有能な経営者』だと、面会のあとでヴィッキーがいくら力説してもあまりピンとこなかったことは事実である。将来の株式交換を条件にまとまったお金を出してくれるというのだが、こっちのビジネスモデルにはほとんど興味がないらしい。
 ほんとに『投資家』なのか、金利をあてにしただけの『金貸し』なんじゃないのか。むくむくと疑念が湧き上がってくる。ま、この際どっちでもいいんだけど。しかも今回、ヴィッキーは「彼は繊細なひとだから」と、自分ひとりで交渉すると言い張る。なあんか怪しい。このところのヴィッキーは、約束した納期が守れないこと、明らかに「できない」ことをいつまでも「できる」と言い張ることを私たちからさんざん責められているので、ここらで手柄を立てたいのである。そこは見え見えだ。
 とにかく今はまとまった資金が必要だ。ヴィッキーにはこの話をぜひともまとめてもらいたい。

 カンナ氏は、ゴアに所有する広大な地所の一部を売却することにしたのだった。買い手はすでに決まっているのだが、土地の名義変更がなかなか進まなくてキャッシュが入って来ないのだという。土地の総額は数億ルピーに及ぶらしいがこのご時世なので、だいぶんと値下げしたということだった。その売却金の一部をこちらに投資してくれるという話だった。
 不動産の取引にかかる手続きはなかなかに面倒なものらしい。パンデミックのせいで不動産登記の役所もストップしてしまったうえ、手続きを急がせるひとびとの足元を見た役人が、意地汚く高額の賄賂を要求してきている。デリーからの電話だけでは埒が明かないので、氏は今週またゴアに飛び、役人と直談判する。袖の下をいくばくか支払うつもりではいるが、先方が要求する「5ラック(1ラック=10万ルピー・1ルピー=約1.5円)」が法外なので減額に応じてもらうつもりなのだった。
 こちらとしては資金提供してくれれば、ゴアのごたごたのことはどうでもよいのだけれど。

 「今日もカンナ氏と電話で話した」、「カンナ氏は、今はゴアに滞在していて今週末にデリーに来るから、そこで会う」などと、毎週のようにヴィッキーが言っている。カンナ氏の土地の買い手はムンバイの高齢のひとで、マハラシュトラ州でコロナ第二波の兆候が出てきたものだから、家族がゴア行きに猛反対している。インドの場合、土地取引は売り手と買い手の双方が地元の判事の面前で宣誓、署名しなくてはならないらしいから、本人が行かないと話にならない。ふうん、それはたいへんだな。
 「カンナ氏は他でもない『俺』のために投資すると言ってくれている」と、ヴィッキーは力説するが、このころになるとこちらももう、話半分にしか聞きようがない。だってもう数か月が経過している。

 そのうちヴィッキーはふっつりとカンナ氏の話をしなくなった。やっぱり。大方、情のあるカンナ氏が「金が出来たら投資してもいい」くらいに言ったことを真に受けてヴィッキーは、私たちにしつこく聞かれるたびに「来月には」、「10月初めには」などと適当に言い繕って来たのだ。だって、ビジネスプランや契約書ドラフトすら見ようとしないなんて、投資家としてどう考えてもおかしいじゃん。しばらくして様子を聞いたら、ゴアで売却しようとした土地がトラブルでうまく売れなくなったらしい。カンナ氏の、事業とこれからの投資先を探していたという話自体は、嘘ではなかったと思ってるが、それ以上ヴィッキーとこの話をするのはやめた。

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 インドで事業を展開するにはパートナー選びが『鍵』だ、とどこのビジネス誌にも書いてある。それはそのとおりだと感じる。ころころ変わる法規制への対応や、役人への賄賂などだけでなく、一緒に事業をするパートナーが信頼に値するかどうかがわからない。というより全幅で信頼のおける相手などそもそも存在しない。「日本のひとは簡単に相手を信用し過ぎるのだ」とこちらのひとたちは言う。
 いざというときの柔軟性は高いのだけれど、緻密に計画を立てることは苦手。本人は『嘘』をつくつもりなど毛頭ないが、できないことを簡単に「できる」と言い張り、納期は守られない。「計画を立てることが仕事」みたいな日本人は、イラっとさせられることが多いだろうな。

 日ごろの付き合いが、勤め人ではなくて自己裁量のある個人事業主が多いせいか、いとも簡単に「よし、一緒に事業をやろう」、「一緒に投資しよう」と持ち掛けてくるひとたちは普段から、そこそこいる。こちらが日本人なので、簡単に日本のマーケットで商売できると思うひとも誠に多い。

 前に付き合いのあったジョシーもそのタイプだ。もともと技術屋の彼は、エアコンの内部に取り付けて冷房効率を上げるというオリジナルのアタッチメントを開発・販売していて、これを日本で販売できないかと相談された。
ううむ。日本のエアコンはみんなインバーターだからこの手の機能はビルトインされているし、家電の内部を素人のユーザーが勝手にいじるなんて、日本のメーカーはすごくいやがるでしょうねえという話をした。そうしたらジョシーは「じゃあ、ほかになんでもいいから一緒にできる日本向けビジネスをやろう」と言い出した。「なんでも」って、あなたねえ。「例えば?」と水を向けると、大きく両手を広げて「だから何でも、だよ」、ワハハと笑う。ジーンズにウエスタンブーツを履きこなす、見場よくおしゃれで陽気なおじさんなのだが、言うことは適当だ。
 「とにかく合弁会社を作ろう」と、相変わらず朗らかに続けるのだが、こういうのは要注意なのだった。土地登記が整備されていないこともあって、インドの会社にはとんでもない簿外債務が潜んでいることがある。インド政府は外貨を呼び込みたくて、外国企業の投資規制を緩和する傾向にある。が、デューデリジェンスでは絶対にわからないようなリスクも多いので、イチから新しい会社を設立登記したほうがずっと安全だ。それにしてもなにをやるのかも決まっていないのにいきなり合弁会社とは、ちょっと面食らう。

 中にはそうやって、ひと口1ラック(約10万円)などと言っては裕福なひとからお金を引き出して自分のものにしてしまう人間も実際に存在する。鷹揚なお金持ちを狙って、このくらいならいちいち訴えられない、どうなってるのか聞かれても「いやあ、手続きに時間がかかっていて」などと誤魔化せると踏んでいる。新規事業なんて嘘っぱち、その人物が騙しとったお金を使って高級ホテルで豪遊していたことも、私は知っている。

 ジョシーはそこまで邪なひとではないが、まあとにかく言うことが適当なのは間違いないので、それ以降のお付き合いには距離を置いている。

 「ひとを信用するな。俺の言うことも鵜呑みにしないでくれ」と、よき隣人でもあるシャァムなどは口を酸っぱくして言う。こちらもいちど手痛い目に遭っているから彼の言うことはよくわかる。
 いっぽう、約束が当てにならないということはつまり、積み重なる借金の返済を、ヴィッキーが『適当な』言い訳でもってずるずると先延ばしにしてくれているのも、これまた事実なのだった。

‐ インド合弁事業における訴訟リスク5つの分野( Pleaders, 11th Jul. 2021 )

( Photos : In Delhi, 2021 )

 


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