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インドのひとたちとわたくし。(150)ー医療事情と保険のこと

  医療保険に入ることにした。

 春先に病院通いをしたとき、ついでと思っていろいろ検査を受けたところ、思いのほか費用がかさんでしまった。『世界の薬局』インドでは、薬代はびっくりするほど安いが、検査料はそこそこ高い。病院によっては「外国人料金」なるものを加算してくるところさえある。特段、問題がなかったのはよいとして、MRIやCT、PET などすすめられるままに受けていたらあっという間に1.5ラック(1ラック=10万ルピー:1ルピー=約1.4円)が吹っ飛んで仰天した。
 
 知り合いを介してエージェントにいくつか保険を見繕ってもらう。どれも年間3万ルピー(約4万5千円)ちょっとの保険料で数百万ルピーがカバーされる。適用範囲も広い。日本で、頻繁に上がる保険料を大人しく国に払い、さらに複数の民間保険にまで加入していた身からすれば、この金額は妥当な印象を受ける。とは言え、若手のホワイトカラーの給与1カ月分くらいには相当するので、誰でも気軽に払えるレベルではないとは思う。

 エージェントのアローラ氏に名前、年齢、住所、身長、体重などの基本データを送ったら、折り返し連絡があって、「この身長でこの体重はあり得ない」などと言うから面食らった。日本人としては普通ですよと言ったが、向こうは「これでは痩せすぎて病気を疑われる」と譲らない。いやいやいや、あなたがたインド人の肥満のほうがよほど不健康で怪しいでしょう。なにせいろいろな検査を受けるたびに検査技師から最初に聞かれる既往症が「糖尿病か?」という国なのだ。
 後日、確定されたデータを見たらなんと、6キロ以上、勝手に増量して記載されていた。まあ、いいけどね。高校生のときはそのくらいあったこともあるし。

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 保険の申請をしたら、あとは『テル・メディカル』、つまり医師による電話での問診を受けてくれとのこと。
 数日して電話が入る。この家のランドラインは、不思議なことに屋内にいると繋がりにくい。キッチンにいて電話を取ったら、慌てて通じやすいリビングのテラス際に行かなくてはならない。
 最初の電話は怒涛のヒンディー語で始まった。もんのすごい早口だ。「英語でお願いします」と言うと、これまたこちらのひと特有の『超』のつく早口。とても聞き取れない。「え?」、「もういちど言って」と言いながらテラス際へ移動する途中で電話が切れた。
 その後、数日、数回にわたって別々の番号から電話があったが、いずれも早口の英語が聞き取れないうちに接続がよくなくて先方から切られてしまった。断片的に「メディカル」、「ドクター」、「サーティフィケート」はわかったが、どのひとも、なにか前口上を述べているようにひと息にまくしたててくる。接続のせいで会話が途切れ途切れになってしまうから、業を煮やして向こうから切ってしまうのだ。恐らく、問診結果の出来高払いで契約している医者なので、面倒くさい相手と辛抱強くやり取りするよりは、さっさと次の顧客に電話したほうが効率がよいと思うんだろう。
 そのうち保険会社本体から「7日間以内にドクターとコンタクトできなければ、保険の申請がキャンセルになります」という、まことに事務的なテキストが来た。これにはちょっとへこんだ。このメッセージに直接の返信はできない。しょうがないのでアローラ氏に「回線の接続に問題があって、なのに皆さん辛抱ならずに電話を切っちゃうんです」と泣きついてはみた。
 いつ電話が来てもいいように、リビングのテラス際にあるソファの上に携帯を置いてじっと見つめながら待ってみたりしたが、そういうときほど電話なんてかかって来ないんである。さあ、困った。期限まであと2日となってしまった。

 そうしてようやく電話が鳴った。今度は私にも聞き取れる速度で話してくれるドクターだ。ああ、助かった。幸い通話状態も問題ない。「私は、ドクター・アニルです。保険会社からの依頼を受けてお電話しています。健康チェックの問診を行いますがよろしいですか。私がいくつか質問をするので、イエスかノーで答えてください。なおこの通話は品質管理のために録音されているのでご了解ください」。やっとわかった。みなさんこれを口上として最初に唱えていたのだ。もちろん、よろしいですとも。

 ようやっと電話での問診が始まった。身長と体重はエージェントが上書きした通りに答えておく。あとは既往症や常用薬、家族の病歴などで、日本のとあまり変わらない。今どきだなあと思ったのは、「1年以内にコロナに感染したか」と「ワクチンは接種済みか」という質問だった。
 問診は20分程度で完了し、数日して保険会社から日本で言うところの保険証書と被加入者カードがデータと書面で送られてきた。これでひと段落である。次からは病院や薬局の会計でこの被加入者カードを提示すればよい。これは便利である。財布に入れとこう。

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 インドは国民皆保険ではない。一部の公務員や極貧層のひとたちをカバーする政府保険はあるが、そこに当てはまらないひとたちが8割方だ。うち、お金のあるひとは民間の保険に加入するけれど、お金のないひとびとにそんな余裕はない。
 外国人対応のできるような都市部の大きな民間病院で、診療代が1回1,500ルピーかそれ以上かかる。公立病院に行けば診療と治療は無料であるが、付き添いで行ったことのある日本人に聞いたら、たいそう衛生状態が悪いらしい。公立のほうが民間より数もずっと少ないので、農村部だと病院に行くことすら困難だ。
 物理的な格差だけでなく情報格差も大きい。教育を受けていないと、そもそも政府の公的サービスが何をしてくれるのかを知らないからだ。
 インド政府が全力で展開しているコロナ・ワクチン接種でさえ、お隣UP 州の農村では、村人のひとりがワクチンを指して「あれは毒だ」という噂をばらまき、そのせいで医療スタッフが接種のため到着したとき村人たちは川に飛び込んで逃げ去ってしまったという、笑えない話をニュースで読んだ。ワクチン接種では、僻地へ行くほど男性より女性の接種率が下がっている。もともと外に出る機会が少ないうえ、唯一の情報源は、友人たちと交流できる携帯電話のWhatsApp のみ。そこでワクチンによって「生理が止まる」、「妊娠できなくなる」などの噂が駆け巡っているらしい。こういう状況もあるからワクチン接種がなかなか進まないのだ。

 パンデミック第二波での危機管理の失敗を受けて、大規模な内閣改造が行われたとニュースで報じている。第三波のリスクはまだまだあるのだから、頼むよ今度は。


ワクチンから逃れるため川に飛び込んだ村人たち( India Today, 24th May, 2021 )

予防接種ドライブに取り残された女性( The Guardian, 28th June, 2021 )
 

( Photos : In Delhi, 2021 )


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