インドのひとたちとわたくし。(157)ー五十肩でも夜は空ける
「フローズン・ショルダーですね」
ああ、やっぱり。
整形外科医のアミット・アガルワル先生は、小さな肩の骨の模型を取り出して説明してくれる。「これが、肩関節を包む関節包。ここが委縮して固くなっているので、肩の可動域が狭いのです」。フローズン・ショルダーとは、要するに五十肩のことだ。
恐る恐る「それは加齢のせいですか」と聞いてみる。「いや、そうとは限りません。原因はひとつではないので」。なぜかちょっと、ほっとしたりして。
この三カ月ほど、右肩の前部が痛い。肩が痛くて腕を上に上げたりひねったり、後ろに回したりする動作が思うようにできない。いちばん困るのが着替えのときだったりする。ひどいときは夜、右側を下にしては眠れないほどだった。今はそれほどではないが、寝るときは右肩の下に枕を当てて、肩と腕が下がらないようにしている。
引っ越す前までよくお世話になったPSRI ホスピタルの整形外科では、年配の医師が厳かに「手術をおススメいたします」と言った。「手術しないとどうなりますか」、「治らないですね。よくなるのに非常に時間がかかります」。
ふええ、手術かあ。保険は下りるだろうが前に一泊入院で受けた脊髄の『生検』が、痛いばかりで肝心の不調の原因がまったく出てこなかったので、それ自体は先生や病院のせいではないものの、体験としては痛みばかりが記憶に残っているものだから、入院はまったく気が進まない。
どうしようか思いあぐねているうちに引っ越すことになり、別の総合病院を探して訪ねてみたFortis は、各地にチェーン展開している大きな病院で、数が多い分、医師の当たりはずれもあるだろうが、整形外科の筆頭医師であるアガルワル医師は、インドの医者の評価システム『Practo』で検索しても、ダントツで評価コメントが多いので信用できそうだと踏んだのだった。先生は、「手術の必要はありませんよ」とあっさり診断し、ステロイド注射で肩の周りをほぐし、2日後からクリニックで理学療法を受ければだいじょうぶ、よくなりますよ、安心して、と言ってくれた。眼鏡とマスク越しなのであんまり表情はわからないが、何ごとも大げさなPSRI のチームより、はるかに頼りがいがありそうだ。
ぶっとくて長い針の注射を肩に打ってもらい、2日間は安静に過ごす。そのあと水曜から理学療法だ。アガルワル医師は、自身の名を冠したクリニックを、もう少し我が家から近いところにたまたま構えているので通うのはそちらになった。
ほかにも総合病院のあるエリアだからか、周囲は脊椎や神経など専門のクリニックが軒を連ねている。
クリニックの施術室は、寝台が四つあって、私服だがプロフェッショナルらしい男性二人が患者の相手をしている。日本の接骨院みたいだ。
寝台に横になると、受付兼アシスタントの若い女性が、電気マッサージのパッドを肩に貼り付けてくれる。マスク越しにこちらの顔を覗き込んで、どこから来たのかを聞いてきた。「日本だよ」、「え?」、「ジャパン」、と言うと、彼女は「ジャア‐パアアン」と噛みしめるように繰り返し、「それ州の名前か」と聞いてきた。北東部のマニプールやナガランドの住民はモンゴル系で顔立ちが私たちとよく似ている。私の名前がインド女性の名にもあることから、たまに間違えられることもある。『ジャパン』は国の名前で首都は東京ね、と教えると「あ、 トーキョー」と、こちらのほうが通りはよいようだった。
電気マッサージのあとは、髭面の小柄な男性が「これは日本の先生に教わったメソッド」と言いながら、マッサージとストレッチ、指圧をしてくれる。自分のスマートフォンで動画も見せてくれた。確かに『コーチ式』という、日本人男性が開発した指圧メソッドが動画で紹介されていた。「インドにも教えに来た」と彼は言っている。おもしろいことに日本語ではこの人の情報がほとんど上がってこない。むしろ海外でよく知られているようだ。
押したり引っ張ったり伸ばしたりするマッサージを毎日1時間ほど受けるうちに、少しずつではあるが、腕が頭の上のほうまで上がるようになった。痛い思いをせずに着替えができるのと、髪を頭の上でまとめるのが苦でなくなったというのは大進歩だ。1回1時間のセッションが10回分チケットで3,000ルピー(日本円で4,500円程度)。1回限りだと350ルピーなので10回チケットのほうがお得だ。合計で20回くらいは通うことになるだろう。オート代が往復で200ルピーほどかかるので、1日500ルピー(約750円)の出費である。決して安いものではないが、健康には代えられない。
この一週間でデリーはずいぶん気温が上がってきた。昼間の日差しがきつくなり、日中は30℃を超えてきた。あったのかどうかもわからない『春』は、もうおしまいである。
一年ほど前から、胃、呼吸器、末梢神経と順に調子が悪くなり、それぞれに病名が判明して治療を続けてきた。病院通い以外はロックダウンもあってどこへも出かけず、買い物もすべてデリバリーに頼って済ませ、昼間も調子が悪いと、とろとろと寝たり起きたりを繰り返していた。もとからデリーには夏と冬以外に季節の移ろいはないし、世の中はパンデミックのロックダウンで死んだようになった期間が長かったので、何やら季節感もわかないうちに一年が過ぎ去っていたという感じだ。
一連の不調に、何ごとも大事を図るPSRI のドクター・チームのすすめで、PSRI MRT、CT、PET、生検とあらゆる検査をした結果、どうやら重大な病気は潜んでいないということはわかったが、6kg以上は体重が減ったので、相当、調子が悪かったとしか言いようがない。あちこち辛くてしんどかったのが、今は食欲も戻り、痛いのは肩だけになったのだからこれでも少しマシである。
年が明け、パンデミック関連のニュースが落ち着いてきたのと反対に、このところ連日、インドのニュースもトップはウクライナ情勢を伝えている。インドからウクライナに医学を学びに留学している若いひとが2万人近くいて、一部はこのあいだ帰国できたものの、インド政府の誘導があまり円滑でなく、いまだウクライナ国内に足止めされている若者も多いようだ。先日はそういう若者のひとりが爆撃の巻き添えで亡くなった。
武器輸入の多くをロシアに頼っているインド国としては、西側が主導する経済制裁に大っぴらに参加することはしないものの、PM が1対1でロシア大統領との電話会談に臨むなど、だからといってロシア支持一辺倒ではないところを世界に見せようとしている。
今のPMと彼のバックグラウンドである与党のゴリゴリの民族主義かつ新自由主義的な政策や理念には不安しか覚えないが、こういうとき絵になる存在感のあるひとがトップであるのは国にとっては幸いだと思う。他国のトップと見間違えることはないし、トップが主導して何かやっている感はおおいに印象づけられるからだ。
当たり前だけれど、体調不良で臥せっている間にも、世界は動いているのだった。
‐なぜインドはロシアを非難しないのか( BBC, 3rd Mar. 2022 )
‐デリー在住ウクライナ人、インド政府に支援もとめる( The Times of India, 7th Mar, 2022 )
‐18,000人あまりのインド人学生がウクライナに留学( The Hindu Business Line, 28th Feb. 2022 )
‐694人のインド人留学生がウクライナ、スーミで足止め( NDTV, 8th Mar. 2022 )
‐インドPM、ロシア大統領にウクライナ大統領との会談を進言( NEWS 18, 7th Mar, 2022 )
( Photos : In Delhi, 2022 )
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?