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1/27木:人の期待に応えるにはハーモニーを。

私は調和を好む性格だったようだ。

昨日読み終わった本には、「ハーモニー志向」という言葉でその特性が表現されていた。「ハーモニー志向」の人間は、周りの人の期待にはできる限り応えたいと思っているが、そのために、特に自分の意思を強く後押しする怒りや攻撃性を反射的に抑える傾向にある。周りの人たちを傷つけないようにしようと努力し、感じの良い親切な人だと思われているだろう。自分の欲望を後回しにすることも多く、素晴らしいチームワーカーであると言える。

自分の過去を振り返ると、「調和」「ハーモニー」というキーワードから、思い当たるエピソードがいくつかあった。

中学時代の部活の顧問の先生から部長に任命されたときや、大学のバレーボールサークルの会長になってくれと推す同期の声などは、私が周りの人間を強く引っ張るタイプのリーダーではなく、全体をうまく調和させるリーダータイプであることを買っていてくれたのではないか、と思う。子育て団体での運営委員を務めていたときは、青年集団を和やかにまとめることを無意識的に心がけていたのだと思う。

また、周りの人間の期待に応える、衝突を避けるという観点からは、周りの人間のことをよく観察し、その人が今何を望んでいるか、何をしようとしているかを察する能力には長けていると思う。子どもキャンプの炊事中に手が止まっている子どもや青年を見ると、何がわからなくて困っているか、がなんとなくわかる。日常的に、研究室の学生たちが動き出すときには、彼らが何をしようとしているかを予想し、なんとなく先回りして動くことができる。研究室の先生からは、なぜだかわからないが、「お前はどこに行っても大丈夫だ」と言われたことがある。

加えて、ピアノを弾くなら、人前でソロで弾くよりも、合唱の伴奏をする方が好きであった。私は絶対音感(の一歩手前)の能力を持っていることも相まって、ふいに音楽が流れると無意識的に鼻歌でハモってしまう。これらの例は、ちょっと質が違うか。

こうして、「ハーモニー志向」の特性の良い面を並べてみたが、そういう人間にも怒りの感情が無いわけでは無く、防衛戦略として、どうして欲しかったのかを言う代わりにムッとして相手と接しないようにし、相手との間に壁を作るような「受動的な攻撃」をすることがあるようである。幼いころから無意識的にこういう訓練を積んでしまうと、自分の願望がよくわからなくなり、自分自身の目標を定めたり、決定を下したりすることが難しくなるというのである。

心当たりがありすぎて、しばらくは書くネタが尽きなそうであるが、このような自分語りばかりしていてもしょうがないので、明日からは気持ちを切り替えて、もう少しマシなネタについて書いてこうと思う。

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