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6/19日:人工知能にはモチベーションと意味を。

人間らしさを考える観点の1つとして、人工知能(Artificial Inteligence)との違いを考えることが挙げられるだろう。

数年前に出版された本だが、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という本がある。

この本の著者は、「東ロボ君」という東京大学の入学試験に合格できるAIを作る研究をしていた方で、AIや数学に関する知識のない一般層の人々にもわかりやすく書かれているため、おススメである。

この研究者がなぜ「東ロボ君」を開発していたかというと、それは、AIの限界を知るためだったと言う。つまり、人間にできて、AIにできないことは一体何なのだろうか、ということを追求しようとしたのだ。

AIや数学に関する知識がない人々の中にも、人工知能に過度な期待を抱く人がいるようだが、実際には人工知能は万能でも何でもない。

人工知能は、ただの高性能計算機に過ぎないのだ。

確かに中身は複雑でブラックボックス化しているものも多いが、所詮は何かのデータをインプットすると何がしかの変換を経て何がしかのデータがアウトプットされるという、いわばただの関数である。

性質としては、中学高校の数学で習ったy=f(x)で表される、あの関数と同じだ。そんなものが人間を全く代替するわけがないのだ(少なくとも現時点では)。

ただし、人間のある種の能力をほとんど代替できる性能は持っている。それは、複雑でかつ論理的な高速演算だ。この性能を使って、多量のデータを読み込ませ、望みのデータを吐き出させるために、内蔵された関数を最適化すること、これがいわゆる機械学習である。こうした多量のデータ処理は、到底人間には不可能であるし、機械にやらせた方が遥かに効率が良い。

では、人間にできてAIにできないことは一体何か。

それは「意味を考えること」である。

詳しい内容は冒頭に紹介した書籍に譲るが、これが一番重要なポイントである。AIはあくまで計算機にすぎないから、入力されたデータの意味など考えず、単なる計算の結果だけを吐き出すだけなのである。

これに人間が対抗するとすれば、「どうすれば意味のある結果が得られるか?」「この入力データと出力データの意味は何か?」と問うことなのだ。

そしてもう一つ、本書とは関係ない点として挙げられるのは、人間は電気ではなく、「モチベーションで動く」ことだ。

どんなに性能が悪かったとしても、内発的なエネルギーであるところのモチベーションが枯れなければ、人間はいつでも立ち上がることができる。

何かに挑戦することも、何かを勉強することも、それをうまく成功させるためにはモチベーションが全てだ。

人工知能の観点からすると、人間らしく生きることとは、「内発的モチベーションによって生きること」と、さまざまな情報・思考・行動の「意味を問うこと」なのだ。

私は人間らしく生きられているだろうか。

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