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「仕事がデキる」という言葉に感じる胡散臭さ

「仕事がデキる人」という言葉を聞くと、日本人ビジネスパーソンはその人に対して崇拝の念を抱くことでしょう。
仕事がデキる…
仕事がデキる
仕事がデキる…

でも、性格がひねくれまくり、歪みまくりの私はどうもこの「仕事がデキる」という言葉に対して胡散臭さを感じるのです。
ついでに言うと、「ビジネスパーソン」という言葉にも胡散臭さを感じているのですが、胡散臭さを感じつつ、ビジネスパーソンという言葉を多用してこのnoteの記事を書いています。

「仕事がデキる優秀なビジネスパーソン」
うさんくせぇ~

言葉にするのは難しいのですが、フワッとした印象を受けるんですよね。
仕事がデキる…。
そもそも仕事ができるか否かは職場環境、人間関係、業務内容が自分と合うかどうかなので、運ゲー的な要素が強いんですよね。

だから、「仕事がデキる」という考えを一般化するのは難しいのです。
それなのに、ネットなどで「仕事がデキるビジネスパーソンは〇〇」みたいな記事が氾濫しているものだから、さも「仕事がデキる」の共通項みたいなものができてしまっている。

で、みんながそれらの記事を読み、いかにも「仕事がデキるビジネスパーソン」風を装う。
結果、日本社会全体がバカげた茶番劇となり、「仕事がデキる」という言葉がさらに胡散臭くなる。

何を伝えたいのかよくわからなくなってきましたが、とにかく「仕事がデキるビジネスパーソン」は胡散臭い。
情報商材と同じぐらい胡散臭い。
それでもって、「仕事がデキる優秀なビジネスパーソン」が飲食店やATMの大名行列に並んでいたり、満員電車に乗り苦痛を感じつつ、読書をしていたら本当に面白いし、実に滑稽。

「仕事ができる優秀なビジネスパーソン」がGWやお盆など人がごった返す中、混雑した観光スポットに突っ込んでいたら、実に滑稽。

「仕事がデキる優秀なビジネスパーソン」も仕事以外は無能であり、資本家にこき使われるだけのただの雇われの身なのです。

「仕事がデキるビジネスパーソン」は仕事でたまったストレスを発散すべく日々ビールを飲み、つまらないバラエティー番組を見て、寝て起きて、長時間満員電車の中通勤をし、「仕事がデキる」風を装っているだけなのです(偏見)。

労働(会社)に傾倒し、「仕事がデキる優秀なビジネスパーソン」になると、胡散臭さが一層強くなっていきます。
胡散臭くなりたくなければ、「暇が多い優秀なフリーダムパーソン」(?)になりましょう。



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