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速読よりもゆっくりと本を読む時間を確保したほうがいい

今は本をとにかく速く読む、速読が流行っています。
本屋に行けば、その類いの本がたくさんありますし、多くの人が速読を習得すべく速読に関する本を購入しています。

速読が流行っている背景を考察すると、「現代社会はとにかく忙しく本をゆっくりと読む時間がない」ことが挙げられます。
仕事が忙しく、本を読む時間がないので、とにかくスピード重視で本を読まなければいけない。
それゆえに速読が流行っていると言えるでしょう。

でも、私は忙しさにかまけて本を素早く読んで、それで自己の欲求が満たされるのか?と思ってしまいます。

本というのは、時間がある中でゆっくりと読むことに価値がある
文学でも評論でも、時間をかけて読むことで、その内容を味わうことができるし、新たな発見もあったりします。
それなのに、忙しいからという理由で、せわしなくページをめくりまくり、重要箇所だけをピッキングして、読んだ気になるのって、あまり健全な感じがしないです。
というか、そんな読書スタイルだったら、読める本も限られてきます。
ページ数が少ない自己啓発系の本であれば、速読ができるでしょうが、文学系の本は読めないでしょう。

「忙しい」から「速読」するというのは、一見有益な行為に見えて、読書の可能性を狭めてしまうのです。
それだったら、
忙しさをなくして、ゆっくりと本を読んだほうがいい
忙しさに充足感を感じる生活を改善し、本を読む時間を確保すべき。
と、私は思っているのですが、現実はそうなっていない。

「速さこそ正義!」な社会になっており、とにかくスピードスピードスピードになってしまっている。
速さを追求することそれ自体は悪くはないですが、読書スタイルにも速さが持ち込まれた結果、十分に本を読むことができなくなっているのです。
したがって、速読というのは、「十分に内容を理解していないが、重要箇所だけは拾えている」という謎の読書方法なんですよね。

もちろん、読書量を増やすことで、自然と本を速く読むことができるようにはなりますが、現代的な「速読法」を実践してしまうと、それは忙しさにかまけて本を読むというなんとも味気ないものになってしまいます。

そのようなことを考えると、速読が流行りまくる現代社会というのは、ある意味、不健全な社会と言えるでしょう。
時間を確保したうえで、ゆっくりと本を読めばいいののに、忙しさに負け、速く本を読むという。

繰り返しますが、「速読法」にとらわれていると、読める本がページ数が少ない自己啓発系の本に限られてしまいます。
様々なジャンルの本を読みたければ、日々の忙しさに身を任せる生活を改善し、ゆっくり本を読む時間を確保したほうがいいのではないかと思います。

以上です。






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