見出し画像

SNSに向いていない

今回はSNSやネットのこと全般について思うことを勢いで書いてみます。

うまく話を終結させられるかな…見切り発車ですが本題へ。


本名アカウントは随分前に消しました


今の小学生、中学生たちはスマホが身近にある子が多いのかもしれませんが(スマホも呼び慣れない、携帯っていう)

私が本格的に使い始めたのは高校〜大学。大学の途中でスマホに移行していった世代です。

LINEもスマホになってから使いはじめたのでそれまではメールが主流。サークルでの連絡手段もメーリスとか使っていました。(懐かしい…)

なのでSNSで何か友達とトラブルになった経験もないし、悩んだ経験もありません。


それでも社会人になって少し経った頃

私はSNSを辞めました。


1番の大きな理由は

「自分が思うように投稿できなくなったから」


友達の投稿を見るのは本当に楽しいし、なかなか会えない友達の近況を知れるのはとてもありがたい。

でも自分の投稿を見る友達がどんな状況で、何をしているのか全て把握しているわけではないので

「この投稿流したら嫌な思いする人いるかな…」

「この写真あげていいのかな…」

と悩むようになり次第に更新頻度も減っていきました。


友達と出かけた内容について投稿するときも

「もしそういう投稿をするなら友達と出かけた日、全部やらなきゃ。やらない時があっちゃだめだ」

と思っていました。そんなキマリはないけれど。

ないけれど

もし普段そういう投稿をしているのに、ある一時だけ投稿がなかったらそれだけで友達を不安にさせてしまうんじゃないか?と、どうしても思ってしまって。


本来SNSは楽しむためのものであって、いろんな世界に繋がれるし可能性も無限大だけれど、基本は自己満足の世界でいいはず。

だからそんなに周りのことは気にしなくていいはず。

でも気にしない、というのが私には無理でした。

そんな「絶対やらなきゃ」観念に縛られてやる必要はない。


さらにSNSは徘徊し始めると結構な時間を食うので、当時教員でバタバタしていた自分は

「その時間を他のことにあてるべきだ」と思うようになりTwitterやFacebookを辞めました。見るのも辞めました。(Instagramは最初からやっていなかった)


SNSを辞めてから


すごくスッキリした!とか何かが変わった!とか大きな変化は特になく。

「SNS徘徊していた時間を勉強時間」に、とできたわけでもなく普通に何もせずダラ〜っと過ごす時間もたくさんありました。

それでも「SNSを更新しない、見ない」と決めてからは気にすることがひとつ減ったので気持ちは楽になってたと思います。


友達と会ったときに必ずしも写真を撮らなきゃいけないわけではないし、本当に仲のいい友達は直接会うのでその時に近況を聴けるのが嬉しい。

むしろ直接会って話す時に

「SNSで投稿してたから知ってると思うんだけど…」

「あ、ごめん、見逃してた、見てないかも」

というような会話もなく

「SNS見てなくて何も知らないや!」と言い切れるのはすごく楽だった気がします。


夫ももともとSNSをすごく使う人ではなく、私より前にSNS断ちをしていた人なので夫婦間のズレもなくありがたかったです。


イラストエッセイアカウント開始


そんな私もまたイラストアカウントとしInstagramやTwitterを始めることに。最初はやはり少し抵抗があったのですが

「実際にあっている友達ではないからそこまで気にしなくていいだろう」

「絵を発信できる貴重な場だと割り切ろう」

という感じでスタートしました。


なので最初の頃は本当に無言フォロー、無言いいねをするだけのドライな感じだったと思います…。すみません…。


続けていくうちに、いつも見てくださる方の温かい言葉に励ましてもらったり

「見てくださる方がいるから続けられるんだな」

「直接会っていなくても画面の向こうにいるのは対ヒト、対友達なんだな」

と改めて感じるようになったり。

軽い気持ちで始めたアカウントだけどここでの出会いを大事にしたい!と次第に思うようになりました。


でもでも

そう思い始めるとやっぱり気になることが増えてくる!笑


「コメントするならお世話になっている人みんなにしたい。でもできない。」

「お礼イラストとかお祝いイラストをみんなに渡せるキャパがない。まず自分の絵をあげる自信がない」

などなど。ほんとSNS向いてないですよね笑


なので一旦そういう気持ちの整理ができなくなった時に一度コメント欄を全て封鎖したり、みなさんへのコメントもこの期間はできません!と宣言したり。

そうした方が楽だ、と思う自分も正直いました。


今は


イラストアカウントを作って数年経ったのもあり、自分のスタンスがはっきりしてきたのかすごく楽にSNSと付き合えるようになりました。

別に周りはそこまで気にしていないんですよね。

「コメントしたい!と思った時にすればいい」

「時間がある時に反応すればいい」

「すごく誰かを傷つけるような投稿でなければそこまで考えすぎなくてもいい」

そういうものなんだ!と思って楽しめています。

もともといろんな方々の発信を見るのは大っ好きなので、依存しすぎないように気をつけながらSNSには向いていないけれど発信は続けていきたいな〜と思っています。

(フォロワーさん、お絵かき仲間の方々、こんな私と繋がってくださっている皆様、本当にありがとうございます。こんなやつですが…今後ともどうぞよろしくお願いします。)

本名アカウントは多分もう作らない!キャパが広いわけではないので、今のイラストアカウントで十分!


SNSとの付き合い方


いや…この話を書こうと思ったのは「今の学生たち、悩むこと多すぎないか!?」と感じたから。


自分が学生のときももちろんそれなりに悩みはありましたが基本は部活でのトラブルなどの「直接的な悩み」

今はそれにスマホ、LINE、SNSなどの「間接的な悩み」がすごく増えているんじゃないかなあ、と。


ただでさえ直接話してもうまく伝わらず、すれ違ってしまう年代なのに、それがスマホ上の文字面だけになったらハードル高すぎますもん。

集団ライングループとかになったら激ムズすぎますもん。

多感な時期のSNSの刺激が強すぎますもん。

自分は30のおばちゃんだからかどうしてもそう思ってしまいます。


なので今SNS、ラインなどで悩んでいる学生がいたら「その世界に縛られず、全然距離をとっていいんだよ」と伝えたい。

「親から制限かけられてさ〜」などと他の人のせいにしていい。

「距離をとる」という行動がまた難しいんだとは思いますが、とにかくその世界にどっぷりと浸かる必要はない!

あくまでSNSは生活のごく一部だ!

LINEの内容、ネットの内容は全て正しいわけではない!

それがなくてもなんとかなる自分でいてほしい!

と思っています。


子どものスマホとの付き合い方


詳しい今の子どものスマホ事情を調べたわけではないのですが、きっと自分でスマホを持つ年齢はかなり下がってきていますよね。

自分が教員をしていた時にもそれはすごく感じていました。


そして詳しい内容は書きませんが実際にLINEでのトラブル、SNSでのトラブルはめちゃくちゃあります。

クラス単位、学年単位でのトラブル全然あります。

もう避けては通れない道なのかもしれないとさえ思ってしまうほど…。


そしてそういうLINEのトラブルの最終的な解決場所はやはり学校になってしまうんですよね…。


一昔前だったら直接保護者が話して終わっていたことも、今は連絡網がないこともあってかほぼ全て学校が解決場。

クラス単位になると授業を潰してまで聞き取り調査などを行い、実態把握、子どもへの指導をする場合がありました。

(大切な義務教育の授業なのでやる内容は頑張って考えますが、その間見てくださる代わりの教員などはいない場合が多いので、ほぼ自習。)


その問題に関係ない児童もいるのに授業を潰してまで問題解決しないといけない。

しないといけないのはわかる。

指導するべきなのもわかってる。

でも学校管轄外の内容が多すぎて、授業を潰してまでやることなのか!?と思ってしまうことも正直ありました。


昔は放課後に児童を残して話をすることができたのかもしれませんが、今は一斉下校、施錠をしている学校が多いので放課後の時間も使えないんですよね…。

本当に隙間時間がない。

各家庭で解決してくれ、と投げるのは違う気がしますし、実際学校抜きで解決するのは今の時代難しい。


決して、一切使えないようにするべきだとは思いません。

ゲームなども同様ですが、どんな年齢でも切り離すのではなく正しく付き合う方法を伝えていくことは大事だと思っています。

それでも最低限まだ未熟だなと思う年齢のうちは

ネットやアプリ取得のフィルターをかけるのが当たり前の時代になってほしい

LINEでの会話に参加していないとだめ!という考えにならないのが当たり前になってほしいな…。


小学生のうちにスマホを持つ、持たないに関わらず

ネットとの付き合い方

ネットを通した相手への思いやり

はもっと学ぶべきなのかもしれません。(学校でも各家庭でも)


学校でのネットに対する教育


学校では長期休み前に外部から発信されている「ネットとの付き合い方」に関するチラシを配布することが多いのかな。

私がいた学校ではちょっと子どもたちがスマホ関連で不安定になってきたぞ…と感じたら、学年共通で個人面談などに保護者の方にチラシをもとにしながらネットリテラシーについてお伝えするなどしていました。

道徳の時間にも少しやったかな。


教科書会社さんによっても違うと思うのですが、小学校5年生くらいの国語で「メディアとの付き合い方」に関して学習する単元がある場合があります。

自分がいたある学校では国語を重点教科としていたので(学校全体で教員が力を入れて学んでいく教科)

どうしたら子どもがメディア(ネット)と上手く関われるようになるか

「情報は溢れているが全て正しいとは限らない」

「より正確な情報をキャッチしていくこと」

「ネットに出ている記事を鵜呑みにしてはいけないこと」

「自分なりによく考えること」

などなどこの学習を通して子どもに何を身につけてもらいたいか、いつも以上に深く考えながら授業をしたことがあります。


子どもは本当に素直なので上記の内容を理解していた児童が多かったです。

「すごいなあ、こんなところまで考えられるのか」とびっくりする授業の感想(児童)もありました。


それでも

「学校での学び」を「自分の生活」に結びつけて考えるのはすごく難しい。

簡単なようでなかなかできないものなんだ、とこの時痛感しました。


「これくらいならいいだろう」

「みんなもやってるから」

という集団の副作用が働いてしまうのも原因の一つですが


授業はあくまで客観的立場で吸収していることが多く、いざ自分が同じような状況になった時、主体的立場の話になった時

「この前似たようなこと学んだな!」

「これはよくないやり方だっていってたな」

と思い出すことさえ、難しいことなのかもしれません。


ネット、SNSの問題は本当に難しい。


情報過多の今


大人になった自分でも「情報と付き合うって労力いるな〜」と思います。

・自分が知りたい!と思った時に調べて出てくる情報

・人から聞いた情報

・テレビで流れるニュースやCMなどの情報


これだけでも結構いっぱいいっぱいなのに


・スマホで調べたら関連情報まで上乗せ(関連商品の誘惑半端ない)

・ついつい見ちゃうSNSからの物欲(1ミリもほしいと思ってなかったのに急にいいなあ〜と思い始める)

・意味のない他者との比較(比較してるつもりもないのに!気付いたら無意識に)

などなど…

本当に情報で溢れ返っているなあ、とふと思います。


でもそうやって「ふと」今の状況を見つめ直したり、今ある当たり前のモノ・コトに疑問を抱いてみたり。

そんな時間をほん〜の少しでもとれたら、情報過多の社会にグルグル振り回されはしないんじゃないかと。

自分の生活を客観的に見ていることになるんじゃないかと。

そんな風に感じる今日この頃です。


必要なものをネットで買おうとすると、どうしても「失敗したくない!いいものを買いたい!」とネットで調べ倒して時間をたくさん使ってしまうこともあるのですが

ネットじゃなく直接の買い物だったらこんなに比較しないかも…検索かけてビビッときたものを自分なりに愛用してみようじゃないか!

と変な自己流に走ることもあります(笑)

(調べるのが億劫になる!気付いたら数時間経ってゲーーってなる!ってのが本音です。)


…とにかくこの文章で宣言したいことは

SNS向いてないけど!でもSNSを日々使う生活になっているけれど!

私なりの付き合い方でいくぞ!

自分の人生の時間をネットやSNSに奪われるというより、むしろ自分が主導権握ってやんぞ!くらいの気持ちでこれからも楽しみたい!

という感じのことです😊


また長々と書いてしまった…もっとコンパクトにまとめられるようにならねば。練習練習…!

そんな練習に最後までお付き合いくださりありがとうございました!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?