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♯1『イン ザ・ミソスープ』を読んで考える。自分は優しい人なのか?

本の解説、というよりも何を読んでどう感じたかを残していく備忘録的なゾーン。

今回読んだのは村上龍先生の『イン ザ・ミソスープ』。
超アバウト解説をします。


『イン ザ・ミソスープ』
1997年発売、村上龍先生の作品。
新宿、歌舞伎町を舞台に、アメリカ人のフランクが凄惨な事件を引き起こす。日本人の危機意識のなさ、無目的で生きることへの危険性。そんなことを伝えているんじゃないかなと思った作品です。


平和ボケしている日本人に対して警鐘を鳴らしているかのような作品で、共感しかない。
自分の意志で「NO」と言えた主人公だけが救われた存在になっている。自分の考えを持って発信する、ということの重要性を感じた。

味噌汁=ぬるま湯=日本

読後はこんな感想になった。
これが良いことなのかどうかで言うと、分からない。
本書籍の中には、警鐘的な側面が多いが、他にも考えていきたい点がある。
例えば下記。

国土が戦場(沖縄など除く)になったことがないから「日本には他の国にない優しさがある」というニュアンスの文章があった。
「ぬるま湯」だからこそ生まれたものもあるのではないか。

確かにと思うのは、日本人はお人良しが多い印象で、人情に熱いような気がしている。企業回りをしていても、商品の良さより訪問回数で受注が決まってしまうこともある。利害関係は大事なんだけども、それよりも恩義的な面を重視している人が多いのではないか。(親切と恩義人情は分けて考える、ややこしくなる 今度考える)
だから日本の経済が伸びていないという要因にもなってしまうのだが一旦置いておく。人付き合い的な面で言うと、「良い人・優しい人」が多い。

良い人、優しい人、概念はまあ人それぞれ。

あらゆる利害関係、損得勘定を放棄して人のために率先してなにかできる人。こういう人が優しいのではないかと思う。

日本人は優しいのか?

いろいろ考えてみるが、最近はそうでもない気がする。
外国人の日本に対する印象は総じて良くて、口を揃えて「日本人は優しい」と答える。けれども、困っている外国人を自分から助けにいくなんて人はあまり見たことがない。(偏見もあるのですみません)
あくまで何か聞かれたら答えてあげるくらいのスタンスである。各個人の考え方に寄るけど、別に本質的に優しくはない。
一見優しそうに見える人の多くは、面倒に巻き込まれたくないからうまくその場をやり過ごすために穏便にすませているようにしか見えない。
(ひねくれてしまっております)

自分は優しいかどうか。昔ほどではないのが現実である。

地方出身者あるあるなのか、とにかく人のために優しくしなさい、困っている人がいたら助けなさいと言われて育ってきた人間である。
東京に来てそのまま過ごしていたら騙され続けて生きていけないのが現実である。
駅前の募金を募る外国人、マルチ商法など人の善意を踏みにじる存在が多すぎる。そこまでいってなくとも、ビジネス世界のメリットデメリットを考えなければいけない世界線は自分の心を疲弊させている。

気づけば余裕のない人間がうまれてしまったなあと。

おもてなし精神

外国人が日本人を評価してくれている1つに「おもてなし」精神はあるかと。
語源の由来の1つに「表がないから裏がない=裏表なくあなたに接しますよ」というものがある。本当かは知らない。
ウソだとしてもこの考え方は嫌いじゃない。

「裏表のないおもてなし行為」
これができればなんか、徳上がりそう。
小学生の時のような悪を知らない純粋無垢な心を復活させれば、徳上がりそう。

話は戻るが、1997年に「日本はぬるま湯」と評されている。
いろいろググってみて、1997年は日本人の平均年収がピークだったらしい。
(へーという感じ)
そこから給与が下がって物価は上がって、ぬるま湯という状況は変わってなくても、当時より自分一人が生きるので精いっぱいになってきている。

とするなら、
「日本には他の国にない優しさがある」
この他の国にはない優しさって一人一人の余裕が減ってきた今は、もう失われてしまっているのかもしれない。ネットが発展した今、急激な情報量増加、コミュニケーションの加速が行われて忙殺どころの騒ぎではない。
心にも時間にもゆとりがない。

ともすれば、日本の良さはどこにあるのか。
考えていこうかな。他の国にはない優しさ、外国人とそんな喋ったことないからどうやって知ればよい?

裏表のない人間関係を今から新しくつくるのは難しい、と思っている。
まずは周りの小さい人間関係に、少しばかりのホスピタリティ、無理のないおもてなし精神で向き合っていくことから「本当の優しさ」を徐々に取り戻していきたい。

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