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建築学生だった頃の話。「建築の見かた」が変わったあるイタリア人の言葉。

今回は、空間デザインにまつわる学生時代の話です。
自分のデザイン手法のターニングポイントの話。

建築。インテリアもそうだと思いますが、大学に入って勉強を始めると、課題、課題でものすごく忙しいんだけど、「建築の世界」に関わるようになったことがとても楽しくなります。

学部の1年の頃は、一般教養もあるので、まだ右も左も分からず、ただただ設計課題をこなしている程度。
でも、2年、3年になって来ると、だんだん楽しくなってきて、休み期間中や土日には友人や先輩たちと「建築旅行」に出かけます。

夕方、大学の授業が終わってから、先輩の車に乗り込み、夜を徹して東北へ。朝の5時に山形県酒田市の「土門拳記念館」に到着して、オープンまで車の中で仮眠。オープンと同時に、建築を見て、次の建築へ。
そのような弾丸建築旅行をよくしたものです。

しかし。
当時は「その気になってた」程度で、先生方には、「スケッチをしろ。とにかく手を動かせ」と言われていたにも関わらず、「写ルンです」(←デジカメのない時代)で「写真」を撮りまくり、雑誌(新建築)と同じような構図の写真をとって、自己満足に浸る。そんなことを繰り返していました。

「建築を見る」と言ってもどこを見ればよいのかも分からず、なんか有名建築を見て、「その気」になっていたんですね。

日光での出会い

ある時のこと。
全国を旅行していて、日光東照宮の近くにあるユースホステルに泊まりました。4年生の頃。
おそらく「明日は日光東照宮を見るぞ」という時だったのだと思います。
そのユースに、1人の外国人男性が泊まっていました。
話してみると、どうやらイタリアの方。
さらに話してみると(片言の英語で)、彼は建築家で、日頃は教会の設計をしているのだとか。
年齢は違えど、同業(?)ではないですか!
(学生と社会人ですが・・・)
と言うことで、嬉しくなって、彼に聞いてみました。
「日光東照宮を見て、どうだった?」と。
そうすると、彼はこう答えたのです。


「僕は1日中、日光東照宮を見ていた。初めは分からなかったが、次第に分かってきた」


この言葉が自分には衝撃的で、物見遊山で写真を撮っていたそれまでの自分が恥ずかしくなりました。


じっと考えて、考えて、考えて、考える。
そうすると、見えてくるもの。
雑誌と同じような写真なんて撮ってもしょうがない。
そうではなく、観察して、考えて、気になったところを記録するために写真を撮る、ということ。


そのことがあってから、建築を見に行く時は、むやみに写真を撮らず、まずはじっと考えるようにしました。
もちろん、当時は「納まり」など分かるはずもなく、当時なりに「空間の意味」を考え続けました。そのイタリア人のように。

「陶板名画の庭」にて

その後しばらくして、京都に行く機会があり(卒論・卒業設計は京都がテーマだったのです)、北山にある安藤忠雄さん設計の「陶板名画の庭」に行きました。
そこで、ひとり施設内(屋外のものですが)のベンチに座って、考えました。ずっと。おそらく3時間くらい。

そうすると、確かに見えてくるのです。
設計された空間の「意味」、そして「意図」が。

奥の滝は何のためにあるのか。
なぜ、はじめは直線なのか。
スロープと階段の意味は何か。
どう使い分けているのか。
なぜここに、この壁があるのか。

そこには、その空間を歩く人の心の動きをコントロールするように空間が設えられており、建築を構成するそれぞれの部位に持たせた設計者の意図がようやく理解できてきました。

おそらく、この空間を体験した人は、知らず知らずのうちに、設計者が意図した「気持ち」になっているのでしょう。

車の喧騒から、気が付かないうちに周囲は「滝の音」に変わっていて、知らず知らずのうちに、最深部の「最後の審判」(ミケランジェロ)に辿り着く。そこには、スロープと階段がうまく使い分けられているのです。
この日、この瞬間が「これが空間デザイン」なんだ、と初めて実感した瞬間でした。

この日以来、建築やインテリアの「見方」が変わりました。
いや、物事の考え方も変わった、と言っていいと思います。

すぐには理解できなくても、じっと考えて、考えて、考えて観察する。
分析すること。

そのことの大切さ。
そして、スケッチもする。

スケッチをする意味は、気付くため。
そして、自分のものにするため。

スケッチをすると、細部まで目が行き届くようになります。
そうすると様々なことに気が付くようになるのです。

このことが後に、ブースの集客方法を分析して体系化する、ということにもつながり、今に活きているんだな、と感じます。
人生の中でのターニングポイントは、さりげない時にも来るものですね。あの時、あのユースホステルに泊まっていなくて、あのイタリア人の建築家さんに会わなければ今の自分ではなかったかもしれません。

そのイタリア人さん。
実は、あの時、名前を聞くこともなく話が終わってしまい。
(我ながら愚かです・・・)
夜中、寝ながら「名前と連絡先を聞いておくんだった」と思い直し、朝起きてから探したのですが、既に旅立った後でした。
ですので、名前も、そして顔も今では分かりません。

そんな30年近く前の思い出でした。


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