風の世界に出会うまで
こんにちは、ぺんぎんです。
突然ですが、私はいま「風の世界」をこの世界で実現させるための活動を行っています。
私は「風の世界」と呼んでいるのですが、これは”すべての人の中にある内なる世界”のことで、人によっては花畑のようであったり、宇宙のようであったり……到達した方々はさまざまな言葉でその世界を表現されています。
このすべての人の中にある、つまり誰の中にもある世界のことを、私を含めたほとんどの人は忘れてしまっていて、忘れてしまったがゆえに、本来の自分というものがわからず、自分がどうありたいかどう生きていきたいかがわからず、いまの悲しい世界の仕組みの中で苦しんでいると、私は考えています。
私は、ひとりでも多くの方が、自分の中にあるあの素晴らしい世界を思い出し、自分で自分の人生を生きていけたら、この世界も優しく美しく素晴らしい世界に変わると思うのです。
私は、あの「風の世界」を思い出したばかりです。
そしていま、あの「風の世界」 が自分のなかにあった喜び、辿り着いた喜びを表現し、お伝えしていきたいと考えています。
今回は、「風の世界に出会うまで」ということで、私が風の世界に辿り着くまでの経緯やそれらを振り返ったいま思うことを記事にしています。
そして次回の記事では「風の世界に辿り着いたあと」何が起こったかについてお伝えしていく予定です。
風の世界で生きる、彼女との出会い
私は5年前、33歳の頃に前の夫と離婚しております。
長らく彼との価値観、倫理観のズレに悩んでいましたが、子供のこと、仕事のこと、親のこと、すべてを考えると本当に別れるという選択をして良いものか、悩んで、いよいよ話を切り出した後も決めかね、さらに1年くらい状況が動かない期間が続きました。
そしてその頃、たまたまある人にお話を伺う機会があり、そのお話の中に気になるものを見つけました。
いま自分の周りで起こっていることや、感じている苦しみというのは、私自身の「潜在意識」が起こしていることなんだ、という話です。
たぶんこれはもう、スピリチュアルが好きな方や、セラピー・コーチング・コンサルなどなど、その界隈の方々の間では「はいはい、潜在意識ね」といわれるくらいの、よくある展開だとは思います 笑
が、私はその時にはじめてそういった話を聞き、惹かれるものを感じ、解決する糸口になるならばと、その考え方や領域に興味をもちました。
そしてそのあとしばらくは、それを教えてくださった方のところに通ってみたり、他のセラピーやコンサルなどに通ってみたり、果ては起業塾やヘルスコーチなど、とにかくその領域への理解が深まりそうなところで学んでみたりしました。
そして、その過程でご縁があり、私は彼女と、わたげさんと出会いました。3年くらい前のことです。
わたげさんはその頃から、お花、鑑定、ヒプノセラピーをサービスとして提供されている方でした。
いま思い出しても不思議なことですが、直接お話を聞いたり文章を読んだりする前から直感的に、素敵な方だな、可愛いな、と思っていて
それでホームページなどはのぞいてみたものの、ちょっと当時の私では書いてあることを理解することができませんでした 笑
ただ、わたげさんに会いにいき、サービスを受け、一緒にいる時間が増えるごとに、自分を取り巻く環境・状況が、徐々に、しかし確実に変わっていきました。
元夫だけでなくそれまで一緒に仕事をしていた方との別離、そしてずっと価値観が合わなかった両親と距離を置くことにもなりました。
しかしなぜ、こんなにも自分を取り巻く状況が変わるのか、当時は全くわかっていませんでした。
いま思うと、わたげさんの様々なサービスを受けたり、そばにいることは、私にとって風の世界を思い出すための準備期間だったのだと思います。
最近になってわかったことですが、「風の世界」は一度思い出すことができたとしても、社会に、世間にいるうちに、すぐ忘れてしまうものなのです。
わたげさんの稀有なところは、彼女は社会の中で生きながらも、ずっと風の世界のことを忘れずに生きているということです。
自分の中心にいるということ、肩の力を抜きリラックスするということ、
彼女から人としてのあり方が、言葉ではうまく表せない何かが、私に伝播していって、風の世界に辿り着く、思い出す準備となったのでしょう。
その準備の過程で、いろいろな環境・状況の変化が起こったのではないかと私は考えています。
潜在意識を扱う難しさ、そして状態は伝播する
私は、前述の通り、わたげさんと出会う前にも、「潜在意識を扱う」とされる方々、いわゆるセラピストさんやコンサルタントさんの元に通っていた期間があります。
その中でいつも感じていたことは、「潜在意識を扱う」ということは、言葉でいうよりもとても難しいことなのだな、ということです。
私がお会いした方々というのは、自分がずっと苦しくて、それがセラピーとかコンサルとかで楽になったから、こんどは自分が提供する側になりたい、クライアントさんに提供してあげたいというケースがほとんどでした。
提供をはじめたのは善意、良かれと思って、他の人を助けてあげたいと思って始めていらっしゃる方ばかりです。
でもよくよくお話を伺ってみると、実は提供される方自身のしがらみというのは、本当の意味で、十分に解放されていなかったりするのです。
わかりやすいところで言うと、「人を恨んでは幸せになれません」と口では言いつつも、ご自身が親に対する恨みを手放せていなかったり…。
状態というのは伝播するもので、ご自身の無意識が解決されていない方からサービスを受けても逆に引っ張られてしまう、と私は考えています。
緊張しているとき、どんなに頭で考えて制御しようとしても難しいように
緊張した人の近くにいると、自分も一緒に緊張してしまうように
頭でどう理解したつもりになっても、無理やりねじ伏せようとしても、体の状態というのは素直なものなのです。
そして無意識の領域にしがらみがあると、この体の状態、感覚というのが一致せず鈍くなります。
自分の体から、本来あるべき状態がわからない、感じ取ることができない。
風の世界を忘れてしまっていると陥る状況のひとつです。
わたげさんが、私たちを風の世界に連れていけるのは、彼女が社会の中で生きながらも、ずっと風の世界のことを忘れずに生きているから
つまりわたげさんから常に発されている風の世界が、私たちに伝播しているからではないか、と私は考えています。
風の世界との出会い
私は、わたげさんのサービス『あふひ』を受けはじめて、3回目*に私の中の「風の世界」に辿り着きました。
*3回目と書きましたが、これは人それぞれのようで、2回目で到達される方もいらっしゃるようです。
「風の世界」に辿り着くためには、無意識の領域のしがらみが整理されている必要があります。
しがらみというのは、幼い頃の悲しい記憶であったり、生きる中で刷り込まれてしまった思い込みであったり、はたまた自分が生まれる前から知らぬうちに受け継がれているような因果であったりします。
例えば私は、すっかり忘れていた幼い頃の記憶や、聞かされたことがないはずの祖母の過去など、とにかく夢のような不思議な旅を続けながら、自分の体の違和感を整理をしていきました。
体の違和感、と書きましたがこの不思議な旅路に出るまでは、自分の体が固く鈍くなっていることには気がついていませんでした。むしろ自分は痛みに強く、体は丈夫で、健康そのものだと思い込んでいました。
私はこういった「私は大丈夫」という思い込みは、無意識の「変わりたくない」という抵抗であったりするのではないか、と考えています。
人間は誰しも、本来の、ありのままの自分で生きたいという欲求を持っています。しかし、変わりたくない、変わるのが怖い、なかったことにされたくない、という「思い」がそれを阻んでしまうのです。
「思い」に阻まれ、途中から来られなくなってしまう人、夢を見続けることを選ぶ人もいます。
私自身、風の世界を思い出した後ですらも、逃げ出して、投げだそうとしたことは一度や二度ではありません。
つまり、あの世界を、「風の世界」を思い出すことは自分がどうありたいか、どう生きていきたいか、生き方を自分で決めていくために必要な道だけれども、思い出すことそのものは答えでもゴールでもないのです。
「風の世界」に辿り着いてからが、夢を実現する旅路のはじまりなのです。
次回の記事では「風の世界に辿り着いたあと」どうなるのか、について詳しく触れていきたいと思います。
では今日はこのへんで。
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