見出し画像

消えた四月を忘れない。

セーター1枚で近所にふらっとコーヒーを買いに行けるような暖かい日も増えて、いつもの帰り道にある梅の木が満開になっているのを見つけた。

目が覚めるような原色ピンクの花びらは、まだ開いたばかりの完璧な造形をしていて、「少し立ち止まって」と言わんばかりだったのでしばらくそこで観察した。

マスクで香りはよくわからず、外して近づいてみるとほんのり甘酸っぱい香り。
マスク生活で意識してなかったけれど、鼻がつまっていることに気付いてちょっとドキリとする。

そういえば最近、空気の匂いも夕方の薄暗さからも、季節が猛スピードで春に向かっているのを感じる。
「二月は逃げる、三月は去る」という言葉どおりに行けば、四月はもうすぐそこだ。

✳︎

去年の四月のことを思い出す。

初めての緊急事態宣言が出て、毎年予定していたお花見もいくつか無くなって、2020年の四月は終わった。
ただただ、未知のウイルスに怯えながら、窓の外の四月を見送るような日々だった。

外は気持ちいいくらい暖かくて、人間側の事情などおかまいなしにあちこちに予定通り桜は咲いていて、その自然の力が頼もしいような、なんだか滑稽なような気もした。
せっせと季節は巡って、咲いて枯れて。
わたしたちだけが亡霊みたいに立ち止まっていた2020年の「消滅した四月」。

本当に何にもない四月だったけど、たぶんずっと忘れられない四月になるんだろう。

✳︎✳︎

話が飛ぶけれど、わたしは一年のうちで四月が一番好きだ。

というか、お花見がすごく好き。
京都にいた頃は、学生時代の先輩後輩同期が集まるお花見を毎年開催していた。
四月の一週目の日曜日、同じ場所でやろうと決めていて、わたしはいつも一番乗りでその場所にビニールシートを敷き、缶ビールを飲みがら誰かがやってくるのをわくわくと待った。

初めは3〜4人しかいなくても、夕方になる頃には20人以上の顔見知りがそこにいた。
一年のなかで、その日にしか顔を合わさない人もいたし、そこで知り合った人もいたし、ずっと来ていた人が恋人を連れてきたり、生まれたばかりの赤ちゃんを見せにきてくれたり、それぞれの一年の時間が一瞬で埋まる大切な時間だった。

川のそばの定位置で、橋の向こうからやってくる友達に、おおげさなくらい大きく手を振って、桜の下で再会する。
そんな未来永劫続くと信じていた習慣も静かに途切れてしまった。
さびしい、また絶対やりたい。
四月の一週目の日曜日、満開の桜の下、わたしは同じ場所に座っていたい。

理想を言えば、知り合いが知り合いを呼ぶ100人くらいのお花見をしてみたいという野望がある。
東京でもそれをやってみたい。
桜と暖かい日差しとそれぞれが持ちよった美味しいものたちで乾杯したい。
誰がきてもいい。
ちょっと意地悪な人も、飲みすぎちゃう人もみんなウェルカム。


今年の四月はどうなるだろう。
祈るように日々を過ごしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?