まちがいなおし

<かなり長文だし、気分が悪くなった時は、途中で読むのを止めることをお勧めします>

昨日、仕事を通じての友人と不妊治療について、ついつい話が盛りあがった。なかなか不妊治療がうまくいかず、転院を考えているという話であった。

私は、産後にホルモンバランス異常で、生理がないかきたかでついには若くして無くなりそうになった。更年期を早めることはよくないことだということで、ずっとホルモン剤を飲み、今は低容量ピルを服用している。

思い出せば、自然妊娠で子供を授かって、嬉しいはずなのに現実は厳しかった。母子手帳をもらって幸せな気分のはずなのに、待っていたのは厳しい「体重制限」だった。

今は、妊娠前のBMIから妊娠後に増えてもいい範囲の定義づけがされているが、今から15年前に妊娠した時は、妊娠前の体重から5キロ以内に抑えるようにと指導された。

私が妊娠したての時の体重は、身長166cm、体重53.5キロ。臨月時で59キロ。ちょうど5キロしか増えさせなかった。
今の基準では、BMIでの判定なので、7~10キロの増加は許されることになっている。

厳しい体重制限が、低体重の赤ちゃんを産みやすいという調査から、制限が変わったのだが、私の妊婦制限は地獄でしかなかった。

0.1キロでも増えれば「美味しいものを食べてきたのね」と看護師さんに言われ、尿検査でたまに体調がすぐれなくて糖がおりた時にも「あら贅沢ね」と言われ、ついには、検診時は食事を抜いて出かけた。

里帰り前に髪の毛を短めにカットしにいった時は、「あら、ぺんさん。妊婦さんなのに、どんどん痩せてるよ。大丈夫?」とさえ心配された。

里帰り出産で、子供を産んだけれど、産んだ直後にトイレで大出血をした時も、なぜか看護師さんに「こんなに血まみれにして」と叱られ、なぜ子供を産んでほっとしているのに、怒られるのかとついには産後うつを発症しかけるいことになった。

気づいてくれた助産師さんや先生方が、私の様子を心配してくれて、相談に乗ってくれたり、困っていることについて、いろいろと話を聞いてくれた。

しかし、退院してから、どうだったか?

ちょうど祖母が認知症を発症し、家では置いておけないと、即日入院になったので、家は私どころではなかった。

里帰り出産なんてするんじゃなかったと。

自宅に帰る前に、母乳学級というものに言ったけれど、食べ物についての指導を受けて、「産んでもまた我慢」とがっかりした。

自宅に帰ってからは、ワンオペ育児だし、食べ物の制限は出るし、ついに白斑ができて、母乳が詰まるようになった。

白斑とは、乳頭に白い点ができて、乳腺を詰まらせてしまう。原因はわからないけれど、ストレスや食べ物は影響していたかもと思う。

急なことだったので、里帰り前に通った病院に連絡をしたけれど、対応できる助産師がお産立会い中ということで、総合病院を受診した。すると、慣れていない看護師さんが対応して、痛い思いをするだけだった。

ついには、桶谷式母乳育児を指導している助産院を見つけたので、そこへ駆け込んだ。白斑は一時的には消えて、大量に母乳は出たけれど、翌日にはすぐに出現。そして連絡をして助産院を受診。保険適用外なので、1回5000円。その生活が1週間続いた。

ついには、お金が続かないということで、里帰り前に通った病院へ連絡をして、ちょうど母乳のつまりに対応できる助産師さんがいるということで、予約をして診てもらった。

助産師さんに「あら、どうしたの?」と声をかけられた途端、大粒の涙が出て、妊娠から出産後までの辛かったことを全部話した。

「そんなに辛かったのね。ごめんね。ごめんね。」ときつい体重制限のことや食事制限のこと、母乳育児が素晴らしいというその筋の世界のことについて、助産師さんが謝った。その助産師さんは、悪いことなんてしていないのに。

白斑については、赤ちゃんが母乳を吸うことで解消はされるらしいのだが、離乳食を始めていて、生後7ヶ月だから、そんなに母乳はいらないのだろうという、助産師さんの意見だった。

「思い切って、もうミルクに切り替えてみない?もう離乳食で足りてる。ミルクには抵抗はあるだろうけど、ストレスをためると、余計母乳は出ないから、思い切って止めよう」

と助産師さんの提案で、思い切って母乳を止めて、完全ミルクに切り替えた。薬で母乳を止めるのだが、完全に止めるまでが痛くて痛くてたまらなかった。

2週間ぐらい時間はかかったけれど、母乳からミルクに替えて、離乳食を始めた。すると、気分が楽になって、食事を気にすることなく、やっと育児が楽しいと感じられるようになった。

そして1歳が過ぎてから、妊婦の体重制限に関する規定が代わり、妊娠前の体重から割り出したBMIから増加してもよい体重が公表された。

私は、出産直前の体重はというと、妊娠前の体重から5キロしか増えていなかった。そして、子供の出生時の体重は、3380キロだった。

ということは、私への栄養はほんの少しは回って、赤ちゃんがほとんどもぐもぐしていたのかなぁと思った。

ただ、妊娠して嬉しいはずなのに、厳しい口調や嫌味をいう看護師さんには、かなり苦しんだし、悩んだ。

今は、不妊治療で来院するご夫婦が多くて、別階で不妊治療専門医と専門家で対応しているが、人気のある病院は、予約待ちだし、心無い対応をする病院もあると聞く。

少子化とは言われているけれど、産婦人科の段階で、不妊治療の対応がまだまだ遅れていて、心無い病院もある。保険適用についても、ある条件がつけば助成金はつくが、ほぼ実費。これでは、将来子供を育てていくお金の余力がなくなる。

そして、産科での対応次第で、妊婦さんや産婦さんのケアをしっかりしなければ、産後うつを誘発して、私のように、うつ病を本格的に発症するケースもあるだろう。

おじいちゃんやおばあちゃんとなる人への、赤ちゃんのお世話ができるようにと、病院側が教室を開いている病院もあるけれど、実際のところはどうかはわからない。

それと、私の母の時代は「妊婦は二人分の食事をしないといけない」という指導もあったので、里帰りをしてからは「もうそんなに出されると、病院で怒られる」と恐怖しかなかった。

「もういらないから出さないで」といっても叱られた。

「桶谷式は素晴らしい」と評価している人もいるけれど、私にとっては、我慢とお金が続くかの地獄でしかなかった。

でも、思い切って行った里帰り前に通った病院の助産師さんが、私のモヤモヤやイライラを全てぬぐいとってくれたこと、そして何も悪くないのに、謝ったことは、ありがたくもあり、申し訳ない気持ちだった。

かなり、産婦人科に対してきついことは書いたし、非難や苦しかったことを書いたけれど、私の異常に早く気が付いてくれた、その当時の主治医であり、今の担当主治医の先生、そして助産師さんの心遣いには感謝でいっぱいである。

そういう「心がある」先生、妊娠や不妊にまつわる医療制度の充実やケアには、国も自治体も、そして病院側も力を入れて欲しいと願う。

どこがどう「まちがい」でどう「まちがいなおし」すればいいか、考えて欲しい。

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