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愛されている確認行為

昨日書いた記事からまた派生して

私が性の強要をされた(と感じる)相手は、当時付き合っていた元恋人。「嫌だな」と感じながらも、私は拒否することをしなかった。拒否することを知らなかった。

「処理するためにいるように感じる」と伝えたことがある。それに対して彼は、「ぺんのことが好きだからしてもらいたいと思うんだよ」と言っていた。

まぁ、それも間違いではない。と思いたい。

でもそれを言われたところで虚しさが消えることもなく、私は行為の後によくハグを要求した。ただいちゃいちゃしたいわけじゃなくて、ハグをされることで得られるあたたかさを感じたかった。それと、「ありがとう」という言葉も。

その時点で私は、「彼が好きだからしたい」という愛情ではなくなっていたんだなと思う。してあげてるんだから「ありがとう」ぐらい言ってよ。そんな感じ。「ありがとう」さえなくなったら、それはもうただの道具として見られてることになる気がして辛かった。

「拒否しない私」が決定的な拒否をした日。そのまま別れ話になった。いろんなことがすれ違ったり積み重なったり、お互い無理をしていたのはわかっているから、ただのきっかけだったのかもしれないけれど、私には今でもそれが付き纏う。

あぁ私はそれ用だったのかな、なんて。そうは思わなくていいはずなんだけどね。でもタイミングが悪かった。

彼はもしかしたら、「自分の欲求を受け入れてくれる」ことで「愛されている」と感じようとする人だったのかもしれない。わからんけど。

今の私は、私のなかにある感覚と重ねることでしか人を理解できない。全く同じじゃなくても、昨日の記事に書いた、私にとっての生理と男性のなかの性欲を重ねて見るとちょっと理解できるような気がしたように。

私が彼にハグを求め、ハグによってあたたかさとか自分が受け入れられている安心感を求めたように、他にも諸々の試すような行為をしたように、それが彼にとっては性行為だったのかな。

過去にある男性が「俺は避妊をしない。避妊をせず受け入れてくれることが愛だろう」みたいなことを言っていた。それに関してはちょっと頭が弱いなと思うけど、でもそういう感覚も理解できなくはない。

買い被りすぎで実際はただ利用されてただけなのかもしれないけど。だってその人のこと、何もわからないんだもん。お互いの核の部分がわかるような話なんてしたことがないから。本当に歪な関係。

こういう「男」と「女」を考え始めてから、薄れ始めていた元恋人の存在がまた色濃くなってきて、ちょっと(いやだいぶ)しんどい。だから時間をかけたい。だから今じゃない。今はそれほどの余裕はない。

今日はそれから離れて、漫画でも読み倒そう。

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