生きるって虚しい

生死について書くので、苦手な方はここで引き返すことをおすすめします。これは私が生きる意味について考えた記録。

会社を退職してからもう半年が経とうとしている。体調も精神面も少しずつではあるけれど安定してきて、そろそろ働かないとと焦りもあって、仕事のことを考えるようになった。

でも、仕事について考え始めると、同時に仕事も趣味も生きてることも全てが虚しくてどうしようもなくなって、一日中泣き続けてしまう。

生きてることが申し訳ない。そう思い始めたのは、2020年の6月頃だったかな。


2020年1月、私がメインで担当していた海外旅行誌の仕事は、早々にストップした。メインの仕事がなくなってしまった私には、代わりに自動車関連の仕事が回ってきたけれど、それでも以前に比べれば案件の数は減っていて、広告の仕事は真っ先に削られるという事実を突きつけられた。

反対に、看護師である母と、学童スタッフである姉は忙しくなって、『必要な仕事』と『なくてもいい仕事』がはっきりしたように感じてしまった。

私がずっと頑張ってきた広告という仕事は、なくてもいい仕事なのかもしれない。むしろ、紙媒体はゴミになる。私はゴミを作り出していたんだ。車も、ちょっとデザインを変えたりちょっと機能を変えて作り続けて、売れ残ったら廃棄されて…。そんなものの広告なんて、本当にゴミだ。

そんな思考は止まらなくて、仕事だけに留まらなくなる。

百均やデパートに行っても、物に溢れるその場所は豊かでもなんでもなくて、ただゴミが並べられていると感じる。スーパーに買い物に行っても、ここにあるもののうちどれくらいがきちんと消費されるんだろう、どれだけ破棄されるんだろう、とどんどん虚しくなっていく。

私は生きている限り資源を使うし、ゴミを出す。それを申し訳ないと思っているのに、エアコンを使い、百均で便利なものを買い、スーパーで惣菜を買い、何着も服を買って、趣味のためにフィルムを使う。自分はこの便利な、物に溢れた世界に甘えて生きている。

広告の仕事に”ゴミを生み出しているかのようだ”と罪悪感を持ち、ならば”はっきりと人の役に立つように見える介護や医療の仕事”はと考えるのだけど、それはそれで人と関わることが怖くて進まない。こんなことを考えて働いてもいない自分が一番ゴミだ。

でも自分が今こうして考えてられるのも、大きな病気や怪我をしたこともなく、貧困な国で生きるのが精一杯という状況でもないから思えるのであって、そんな人たちから見たら今の私はどれだけもったいのないことをしているんだろう。

生きることが虚しいなんて、生きてて申し訳ないなんて、産んでくれた親に申し訳ない。自分は甘い。自分の思考が気持ちが悪い。


この思考を何度も何度も繰り返し、泣いては諦め、また考え、抜け出せなくなっていた。

それでもふとしたとき、ある答えが私の中で見えてきた。

結局生きることに、意味なんてない。唯一あるとすれば、子孫を残すことぐらい。宇宙から見れば、ほんの小さな細胞が発生して消滅するだけのこと。生きることを考えても、虚しいなんて当たり前。

だけど、だからこそ、主観で生きていくしかないんじゃないか。生きることに意味はないんだから、その時々で自分が楽しいと思ったり幸せだと思うことを求めていけば、それでいいんじゃないか。せっかく無意味なんだから、自分で好きに意味を見つけていけば。


これって当たり前のようなんだけど、一度思考にハマった私は抜け出すことが難しかった。そっか、主観か、と気づいたと同時に、この思考の根っこにある問題は愛着なんじゃないかというところまでつながった。

生きることが申し訳ない。これは、この地球だったり環境だったり動物だったりほかの人々だったり、全てが相手基準で考えている。自分よりもそれらが大事だから、自分の存在なんて、と思う。

愛着形成がうまくいかずに、自分は自分でいいんだという感覚がなく、自分の存在を認められている安心感がない。だから自分ではなく、相手が大事。自分を大事にできない。

私はその思考を持つ前、広告の仕事が大好きで一生懸命働き、恋人のことが大好きで彼と一緒にいることを大事にしていた。でも、2020年1月に仕事がなくなっていき、同年2月に恋人と縁を切った。私が大事にしていた、生きる意味になっていた大きな二つの支柱が、同時に消えてしまった。だからこの思考が始まるのも、無理はない。

ここまで自分なりにではあるけれど追求できたとき、少し救われた気がした。虚しさが消えたわけではないけれど、自分を大事にできればこの虚しさも包み込めるような気がする。


生きていることが申し訳ない。”生きているのが辛いから逃げたい”とは違うこの感情がどこから来るのかがわからなくて、ネットでたくさん検索したけれど、どれを見ても納得できなかった。「みんな一度は思うことですよ」「時間が経てば消えていきますよ」「恵まれてるからそう思う余裕があるんですよ」「家族を持てば感じなくなりますよ」

実は愛着の問題なんじゃないかと書いているものは見つけられなかった。だからここに残しておこうと思う。暗い記事を残すことをためらう気持ちもあるけれど、同じように考え続けている人のヒントになるかもしれないから。


最後に。仕事に優劣はないと思うし、便利なものもエンタメも全部全部、人々が考えて生み出した価値あるものだとも思います。それを批判したいのではなく、”こういう思考になってしまうときがある”という記録を残したいので、感じたありのままを書かせてもらいました。

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