見出し画像

映画制作を通した、地域とのコミュニケーションを語る③準備編

前置 この記事では私が以前体験した、地域での映画制作を通したコミュニケーションの取り方をまとめていこうと思います。知り合いがほぼゼロの状態から地域に住みつつ、1ヶ月間かけて、ゼロから映画を制作した記録のまとめです。少し、旅日誌、制作日誌的な要素もありますので、地域交流に興味ある方、映画制作をしてみたい方、旅好きな方、制作の裏側を見たい方など、いろんな方にみていただければと思います。

チーム結成

私は制作チームを作るべく、仲間を探し始めることにしました。

東京へ帰ってからすぐ、映画系の友人の一人がカメラマンと呑むんだけど来る?とお誘いがきました。そのカメラマンのことは何も知らなかったけど、なんとなく一緒にやるんじゃないかな、という予感がしました。予感通り、タフネスでアクティブな面白そうな方で、今回の企画の説明をしたところご参加いただけることになりました。

そして、制作スタッフとして、アルバイト先の飲食店で働く友人や後輩に声をかけました。(映像系の知り合いが全然いないのです・・・)

「1ヶ月、島で暮らしながら一緒に映画を作ってほしい」

普通の人は断る案件。しかもノーギャラ。それでも、私はこの企画にものすごく自信を持っていました。

絶対来たら、人生で忘れられない体験ができる

あの素敵な社務所に滞在しながら、きれいな海と山と島の人たちと交流しながら島で1ヶ月暮らせるなんて、なかなかできる機会じゃない。だからきっと同じように、わくわくしてくれそうな人がいるはず・・・。

結果、6人集まりました。CM現場で働く助監督、大学の後輩であるカメアシさん、カメラマンの知り合いの録音さん、大学の後輩は制作、元演劇部の後輩はキャスト・制作として。

自主映画団体KISOJI結成です。(その頃木◎路で働いてたので)


お金がないから

まずお金がない。

なにぶん予算は私の数ヶ月分のアルバイト代しかありませんでした。(この頃にクラウドファンディングがあったら・・・)

一番大きな額はレンタカー代。島では車移動が必須でしたが、レンタカーを1ヶ月借りるとなると大変な額です。そもそも私はペーパードライバーでした。

なのでまずは、父に1ヶ月車の運転練習に付き合ってもらうことにし、頼み込んで実家の車を持っていくことにしました。

みんなで1ヶ月暮らせる分の食料を買い込み、カメラマンにお借りした機材を乗せ、スタッフの女子3名で深夜の東京を出発しました。

寝不足でハイになりながらも、翌朝の境港から出るフェリーにぎりぎり滑り込みました。(なんせ1日に1、2本しか出ていないから焦る)


西ノ島・再来

お昼頃、西ノ島町・別府港についた私たちは、半年ぶりに再会した宮司さんに港まで迎えに来ていただき、おすすめの食堂へご飯を食べにいきました。


食堂の目の前はオーシャンビュー。(漁港)
どこにいても、すぐ近くに海が在る。すごい幸せ環境だなァ。

そして焼火神社へ。

あの時はタクシーだったけど、この時は自分の運転。山道は木や石が落ちてたり、大雨の次の日は滝ができてたりして、なかなかハードで楽しいです。

社務所へ到着。

これから毎日この景色が見れる。

ちなみに、社務所は海抜452mの焼火山の八合目あたりにあります。
今度は夏なので、マムシも出るでしょう。

これから1ヶ月、毎日たのしい登山生活のはじまりです。


余談

社務所の台所がめちゃでかい。学校の調理実習並。
社務所に着いたら、まずはここの調理器具の整理からはじめました。

ちなみに社務所はいまは誰も住んでおらず、宮司さんは山の麓に住んでいます。それでも宮司さんはほぼ毎日空気を入れ替えに、社務所へ通っています。大事にされてるんだなぁと思うと同時に、すごい体力です。

よろしければ、サポートお願い致します! 頂いたご支援は、今後の映画制作費に使わせていただきます。