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白いスーツケースと私〜感謝を込めて〜

なんとなく、綴りたくなった思い出話。
徒然なるままに書いてみようかな。
全然結末が描けていないままに書くので、ちょっとドキドキ。

以下の記事でも書いた通り、3月末から、身の回りの「断捨離」を少しずつ始めた。

基本的に、ワクワクした未来を描きながら、スッキリした気持ちで進めていたけど、ひとつだけ、ちょっと名残惜しいような、切ないような気持ちがしたものがあった。

そう、タイトルにある「真っ白のスーツケース」だ。

慎重で怖がり屋な私が、初めて「海外で生活する」チャレンジをしてみた2013年から、昨年コロナ禍で日本に帰国するまで、約7年間にわたって、私の大冒険を支えてくれた。

「もしかしたら、また海外に出るかもしれない」

きっと、心のどこかにそんな期待があったし、「ラストチャンス!」と思って再スタートを切った海外生活を、やむなく切り上げざるを得なかった未練もあって、なかなか手放せなかったもの。
でも、1年間日本であれやこれや、自分なりにチャレンジしてみて、もう海外に戻ることはないだろうと、ここへ来てやっと心が固まったことで、思いきって手放すことにした。

そこに至るまでを、ぼんやりと振り返ってみようかな。

2013年夏 韓国・ソウルから冒険は始まった

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*当時通っていた大学で。懐かしい写真…まだ残っていたとは!

幼い頃から英語に興味があった私は、なんとなくずっと「海外」に憧れていた。
大学時代に何度か「留学したい!」と思ったものの、親の反対を言い訳に、踏み出せないまま、大学の4年間が過ぎようとしていた。
*「言い訳」と気づいたのは、随分後になってからだが、結局当時は「怖かった」んだと思う。

そんな私は、地元が好きで、地元で就職しようと就職活動を進めていたが、最終的には全国転勤がある総合職で内定をいただき、翌年からほぼ100%の確率で長年暮らし続けた実家を離れることが決まった。

ちょうどいいや。
一度、短期間でも親元を離れて生活する経験をしてみよう。
ここで思い切って留学、行こうかな。

そう思ったものの、やっぱり英語圏に行くことに対しては、語学面での不安がぬぐい去れなかった(※)。
であれば、その時点で少しは話せる韓国語を伸ばしながら、(あまり実感はないけど)自国で生活する経験をしてみようということで、韓国・ソウルに3週間、留学することになった。
※英語圏となると、自分で留学費用を捻出するのが難しかったのもある。韓国は提携大学への留学だったため、往復の飛行機代のみ工面できればよかった。

タイトルの白いスーツケースは、このときに買ったもの。
どこで買ったのかは、もう全然思い出せないけれど・・・(苦笑)。


当時はそもそも飛行機が苦手で、離着陸は毎回手に汗かいてたし、一人で海外に出たこともなく、ワクワクよりも、怖さや不安の方がはるかに勝っていた。
通っていた大学の語学堂でも、休み時間に少し席を外すだけなのに、毎回肌身離さずバッグを持ち歩いていて、「心配し過ぎだよ!」って先生やクラスメイトから笑われたなぁ(笑)。
でも、このときの一歩が、間違いなく後に繋がっている。

一番印象深いのは、授業が午前中で終わったら、毎日のようにソウルの街を歩き回って、いろいろな経験ができたこと。
当時スマホもなくて、一人では地下鉄にも乗れない私を、長期留学でソウル滞在歴が長い日本人のクラスメイトが、嫌な顔ひとつせず、あちこち案内してくれたのが本当にありがたかったなぁと、今振り返っても思う。
おかげで、新しい発見や成長がたくさんあって、気がつけば、海外生活への不安や恐れはどこへやら・・・毎日が刺激的で、本当に充実した3週間になった。

きっと、ここで海外生活が「ツライ」とか「苦しい」と思ってしまっていたら、その後また海外でチャレンジしようなんて思わなかったはず。
本当に、当時たくさん助けてくれた友人たちに感謝でいっぱい・・・!


そんな風に、3週間の留学生活を楽しみ尽くして、ちょっと名残惜しい気持ちとともに、白いスーツケースは私と一緒に、日本に戻ってきた。


2016年  やっぱり諦められない気持ち

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それから3年。
予想通り、実家を離れて一人暮らしをしていて、お部屋も狭かったので、大きなスーツケースは実家のクローゼットにしばらく眠っていた。

一方、私自身は、「いつか海外関連の部署で働きたい!」と、忙しい合間を縫って、英会話学校で少しずつ英語のBrush Upを図る日々を過ごしていた。その過程で親しくなった3人の友人が、英語圏への留学経験者。
友人たちの留学時代の思い出話を聞いていると、「やっぱり英語留学がしたい!」という思いがふつふつと湧いてきた。

でも・・・長期で仕事を休むのは難しいし、会社を辞める訳にもいかないしと、断念しようとしていた。
そんなときに思い出したのが、フィリピン留学に行った同期の話。
改めて調べて見たら、なんと、1週間から行けるではないか・・・!!

そして、会社の飲み会でふらっと「フィリピン留学、行きたいんですよね〜」なんて冗談半分ぐらいの気持ちで言ったら、先輩がセブ留学の経験者だったことから、あっさりとゴールデンウィークにセブ留学に行くことが決まった。


当時は出張が多い仕事をしていたとはいえ、長くて3泊。
それに、飛行機を降りてからの待ち時間を短縮したいがために、機内持ち込みサイズのスーツケースしか手元になかった私。
ただ、このためにスーツケースを買うのもなぁと思った私は、「ちょっと大きいかも」と思いながらも、再び実家から白いスーツケースを取り寄せた。

今でこそ、どこに行くときでも基本的に「現地調達」と、余裕で構えていられるが、当時はとにかく心配性。
それに、東南アジアの国は初めてだった。

「〇〇がなかったら、どうしよう・・・」

と、たった1週間の滞在なのに、あれこれ詰め込み過ぎて、大きなスーツケースに半分ぐらいは荷物が詰まっていた記憶。
あちこちで「1週間なのに、なんでこんなに荷物多いの〜?」って言われてたっけ(笑)。
しかも、行ってみたら、意外と現地でなんでも手に入るという・・・!!


もう各所で何度か書いているが、このときが間違いなく、私にとって大きな転機。
その後のことも含め、以下にまとまっているので、気になる方はぜひそちらへ。

楽しい思い出とおみやげを大量に詰め込んで、またまた日本へ。
戻ってきたときは、「またいつか行けたらいいなぁ」ぐらいで、翌年から会社を辞めて、現地で生活するとは、まったく思ってもいなかった。


2017年〜2019年 山あり谷ありの海外生活

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*この写真は必殺…!笑
ハノイ時代、月1で通ったお気に入りの場所。

ここも、先ほど紹介した記事に詳しく書いているのと、一体どんな風に働き、生活してきたのかは、以下のマガジンにシリーズ化してまとめてあるので、そちらをぜひ読んでほしい。

2017年にフィリピン・セブ島でインターン、2018年にベトナム・ハノイで海外就職。
引き続き、白いスーツケースは大活躍!
2017年は7ヶ月間、2018年は約1年間、日本へは一切帰らずだったため、2回ともスーツケースは30kgを超える重さになっていた(もちろん、中身もパンパン!!)。

この頃ぐらいから、だいぶ「心配性で詰め込み過ぎる」現象はなくなった気がする。
ある程度、現地で調達できるもの/調達できないものの区別がつくようになり、この2年間でパッキングがかなり速くなった。
そして、「あるモノでなんとかする」力も格段に上がった気がする。

山あり谷ありの2年間。
とにかくいっぱい笑って、泣いた。
そして、その過程でたぶん、ちょっとだけたくましくなった。

今まで出会えなかったような方にたくさん会えて、それが何より素晴らしく、みなさんと過ごす毎日が本当に楽しかった。
そして、みなさんがたくさんチャレンジする姿を励みに、私自身もいろいろなことにチャレンジし、視野を広げることもできた。

1ヶ国目のフィリピンは楽しい思い出と名残惜しさとともに、2ヶ国目のベトナムは、楽しい思い出はもちろんだけど、「もう少しやれたんじゃないか」という不甲斐なさや悔しさとともに、それぞれスーツケースは私と一緒に旅を終えて、日本へ戻ってきた。


2019年秋  「ラストチャンス!」と思っての再出発

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海外就職の後、おもにはライター・インタビュアーをしながら、セブ・日本でトータル半年間ほど、次の方向性について模索する時間を過ごした。
その途中に、「旅するインタビュアー」として活動するという、新しい目標を見つけ、再びワクワク、イキイキ毎日を過ごせるようになった。

もともとは日本を拠点に、ときどき旅に出て取材をするイメージでいたが、嬉しいことに、セブを拠点にアジア各国で旅をしながら活動するチャンスをいただいた。

ただ、実際は嬉しくも、かなり迷った。
というのも、私はもともと、「20代は海外でチャレンジした後、その経験を活かして30代は日本で活動したい」と言い続けてきた。

当時は28歳。
自分のどこかで「30歳も間近だしもうそろそろ落ち着いた方が・・・」という声がある一方、「ハノイから戻ってきたときの悔しさや未練を残したまま、海外生活を終えるのはイヤだ!」という気持ちもあった。


結局、私自身のモットーである「やらない後悔より、やって後悔!」にしたがって、笑っても泣いても、これが「ラストチャンス!」と思って、私は再び白いスーツケースとともに、セブへ飛び立った。

写真の「夢セブ」で登壇し、多くの方々の前で「旅するインタビュアー」として夢を語るところからスタート。
翌日からタイ・バンコクへ飛び、半年間アジア各国を廻りながら、来る日も来る日も、海外で働くたくさんの方々を取材し、記事を書き続けた。

これまで旅行でも訪れたことのなかった国を訪れ、新しい刺激を得られたのはもちろん、本当にたくさんの素敵な方々にお会いできたのが何よりの宝物。
みなさんが頑張る姿に勇気をいただいたり、励みや刺激になったり・・・。
「応援したい!」と思う方々がどんどん増えていった気がする!

正直、来る日も来る日も、一人で部屋やカフェにこもって記事を書き続けることも多く、どこかに観光に出かけたり、外に遊びに出かけたり・・・そんな時間は、これまでの海外生活と比べたら、はるかに少なかったかもしれないし、他の業務も含め、大変な時期もあったけど。
目指す目標があって、好きなことができて、日々いろいろな方から刺激を受けられて・・・最高に充実していた。


2020年3月 帰国

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旅の終わりは、あまりにも急に訪れた。
そして、その段階ではこれが「終わり」になるとは知らず、「今は仕方がないけど、少ししたらまた戻ってこれる」と完全に思っていた。

2月末にインドを訪れたあたりから、新型コロナウイルスがアジア各国で猛威を奮い始めていて、今後の旅の予定をどうしようかと考えていたが、3月に入ると、途端に各国でロックダウンが始まった。
当時生活の拠点にしていたセブも、例外なく。
そこから慌ただしく準備し、帰国の途についた。

「今度こそは悔いなく海外生活を終える!」
そう思って頑張っていたけど、今回も再び「まだやりたいこと、やれることがあるのに・・・」と、そんな気持ちで終わってしまう。
そして、大好きだった仲間とも離れ離れ、簡単には会えなくなってしまう。
悲しいような、悔しいような、もどかしいような・・・。
飛行機が離陸するとき、いろいろな気持ちに整理がつかなくて、とめどなく涙が溢れていた。
そんな、なんとも言えない気持ちとともに、白いスーツケースは私と一緒に再び日本へ帰ってきた。

日本の空港に到着したときのことは、1年以上経った今でも鮮明に思い出せる。
いつもは多くの旅行客で賑わう、手荷物を受け取るターンテーブル。
その手前の掲示板は、普段なら各国から到着する飛行機の到着状況がたくさん並んでいるはず。
でも、そこに記されていたのは・・・私が乗って帰ってきた、その1便だけ。
こんなことはもちろん初めてで、何気にそこも驚いたし、ショックだった。

最初のうちは、「きっとまたすぐに旅に出られる!」という期待もあったからか、帰国後もとにかく明るく、前向きに頑張り続けた。
目標達成に向けて焦っていた私に、「今だからこそ、できることをやっていこう!」と言ってくれた友人の言葉も、かなり励みになっていた。

このあたり、詳細は以下の記事にて(こればっかりだけど!苦笑)。

ただ、残念ながら、しばらく待っても、全然海外に戻れる状況にはならなかった。
だからこそ、日本で再び新しい目標を探して頑張ろうと、1年間ひたすら走り続けた。


2021年4月 長い冒険を振り返る

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結局、あれから一度も白いスーツケースと旅をすることなく、この春、私はこのスーツケースに別れを告げることにした。

2013年から約7年間、私とともに冒険を続けてきたスーツケース。
母からは「だいぶ使い古しているから、買い替えたらどう?」と何度か言われ続けていたけど、私は「いいの、いいの〜!」と言って聞かなかった。
愛着があったし、旅をする度に思い出が増えていったから・・・。

いつもの癖もあるけど、書き始めると、どんどん懐かしい記憶が思い浮かんできて、まだまだ書き足りなかった・・・!
楽しい思い出も、ちょっと苦い思い出も・・・いろいろあったけど、今改めて振り返ると、すべて必要なことだったし、だからこそ気づけたことや学べたことがたくさんあったと思う。
なにより、8年前、期待と不安が入り混じったような気持ちで、白いスーツケースとちょっと冒険に出たことがきっかけで、本当にたくさんの素敵な方々と出会うことができた。
その出会い、そしてみなさんとの思い出・・・本当にすべてが宝物。

白いスーツケースさん、長らく私の大冒険を支えてくれて、本当にありがとう!!
これからは、今までの学びや経験を活かしながら、そして素敵なご縁や出会いを引き続き大切にしながら、また新しい冒険の旅に出ようかな♫

最近はそんな風に、思っています。


とりとめのない思い出話でしたが、最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!!




サポート、お待ちしております♫ みなさんとともに素敵な”旅”を続けていく力にしていきます✨