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3/16 【恋愛が上手くいくのって、結局女性の"漢気"なんじゃないか。】


28年生きてきて、そこそこ恋愛をしてきたつもりだ。
恋愛というのは一言、いや1時間、いやいや1日語り尽くしても正解なんてものには辿り着けず、それぞれのカップルの形が存在し、その形は唯一無二なものだ。

傷つき、傷つけ、浮き足だってしまうくらい幸せな瞬間もあれば、なんでこんなにも分かり合えないのか悩み苦しむ。喜怒哀楽がこんなにも頻発する人間のシステム?は、恋愛関係以上にあるのだろうかと思ってしまう。多分これは人間同士の距離感が関係していると思っていて、家族関係の次に恋愛関係はその距離が縮まる。

付き合っているのだから、距離が縮まりきってる方がいいじゃん!常に一緒にいたいよそりゃ!って、20前半くらいまでは思っていた。会えば会うほど良い。単純接触が多ければ多いほど関係が上手く行くと、ある意味自分に言い聞かせていたのかもしれない。

結婚したら、同棲したら全て上手く行く。なんてことは残念ながら無いって気付いている。距離感が縮みすぎた故のバグ。幸せだけを想像してしまったバグ。夢が無いとか、そんなこと言うなよとか、そういった言葉が飛んできそう。だが、至って冷静だし、恋愛は燃え上がる炎をあげてすぐに焦げてしまう心配をするよりも、じっくり弱火でコトコトいった方がいいじゃんって話である。


と、自分だけがこんなことを言っていても上手くいかないのが恋愛である。
相手がいるのが恋愛という行為であり、僕のこのnoteを読んでこんな男あり得ない、論外だと言う女性もいることでしょう。まあ、それはそれ。ドライだから恋愛に消極的ということではなく、何度も失敗してきた経験が今の自分の恋愛観を形成しているのだと思う。

そしてもう一つ、今の彼女の"漢気"が、自分をまた1段上に引き上げてくれた気もしている。女性の漢気とはどういうことか?文字のままなんだけど、懐の深さ、余裕、信頼。これがヒシヒシと伝わってくるのが、自分にも余裕を抱かせてくれているんじゃないかと思える。男っていつまでもだらしない生き物なんですよ。


自分がハイスペなんぞ1ミリも思わないし、彼らを引き合いに出すのは烏滸がましいことも分かっている。ただ、どうしても共感せざるを得ない。目立つ男性の側には、その男性をも上回る漢気や余裕を持ち合わせた女性が伴走しているイメージ。人生をやっていく上で必要なのは、過剰な目にみえる愛よりも、目に見えない寄り添い、そしてその寄り添いの距離感と強度の把握なのでは無いかと。これはお互いに言えることではあるが、女性にこの余裕があるというのが極めて重要な気がしている。


こんなことをつらつら書いてきたものの、半分は付き合ってみてからの運もある。親が子を、子が親を選べないのと同じで、付き合う前の男女というものは、猫の皮を被った、いわばポジ要素しか見えない段階で付き合うというゴールを目指す。そして、そこはゴールでなくスタートであり、先の見えないレースを伴走してやっていくことになるので、全てが上手くいくなんてことは不可能だが、男女ともに漢気を持った余裕を培っていけるような伴走ができるといいなと思っている。

1人では、走れないからね。いい距離感で、伴走し合える関係を目指そう。


サポートしてもらえたら、いつか還元できるように頑張ります。