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早稲田大学を中退した

もうだいぶ前のことだが、上京して1年ちょっとで早稲田大学を中退した。

当時自分が考えていたことや抱えていた感情を思い出すと同時に、社会人を経験したことで当時とは変わった視点を持った今の自分から見て、中退という決断はどうだったのかを振返ってみたい。



大学に入るまで

まず簡単な自己紹介。私は大学進学までの18年間、大阪で生まれ、大阪で育ち。小学校は公立に通い、家庭の教育方針から中学受験をして、中高一貫の私立男子校で学生時代を過ごす。

お金の話になると「ウチ貧乏やねん」と母親は言っていたので、ウチは貧乏~普通くらいの家庭だろうなと思っていた。けど今考えると、中学から大学まで私立に通わせられるし、かつ同じような兄弟が+3人いるし、実は裕福な家庭では?と大学入った時くらいに気付いた(ほんとに親に感謝)。

脱線したが、実は小学校は水泳とテニス、中高はサッカーとスポーツしかやってこなかった体育会系。社会にどんな仕事があるのかあまりわかっておらず、ぼんやりとスポーツ関係の仕事ができたらいいな!とスポーツ科学部のある大学を目指す事に決めた。結局は早稲田に進学することになるが、第一志望は同志社大学だった。

「ばやしさん、早稲田とか絶対無理っしょ!受かったら僕ら選手権大会まで部活続けますよ」という後輩の煽りを真に受けて、猛烈に勉強。結果、センター国語は80点(200満点中)だったが、数学と物理が良かったこともあり、センター併用を受けたら、まさかの早稲田に受かってしまう。

受験が始まる数日前、「同志社に受かったら、付き合って下さい」と塾が一緒で気になっていた女の子にも告白し、同志社合格にその時に持っているものを全てフルベット。 ※1回目の告白は見事にフラれた(笑)

数日後、同志社大学の合格発表があり2回目の告白。無事OKを貰い彼女と楽しい大学4年間を妄想していたが、一週間後の早稲田大学の合格発表。まさかの合格。気持ちは複雑だった。 ※その彼女とは半年くらい遠距離恋愛を続けたが、続く訳なく破局した(泣)

入学までの話はここまで。

大学に入ってから

さて、ここからが本題。

「大学ってすごい奴、おもろい奴の宝庫なんやろな」「先生もめちゃ賢くて授業も斬新で面白いはず」「部活とかサークルとかも楽しいんやろな」と大きな期待をしていた私は、夢と現実のギャップに苦しみ、入学半年で5,6回大阪に帰ることに(笑) 

サークルや部活など色んなコミュニティに一旦属してみるが、なんというかノリが合わない。ボケても突っ込んでくれない、冗談が真に受けられる、返しにオチがない。兎に角、大阪では喋り疲れるくらい人と話すのが好きなのに、東京では誰とも会話したくないと思うほど、コミュニケーション障害を発症していたに違いない。

コミュニケ―ションだけであればまだしも、部活動もサークルもほどほどに練習、飲み会は全力!みたいな打ち込んでいない中途半端な感じにモヤモヤが募る。授業も退屈だし、これが4年続く未来に焦りを感じていた。

真面目なところ、転部やアメリカか関西の大学への編入をけっこう真剣に考えた。しかし、親の了承が得られず結局は断念する。

そんな中、学外活動のアルバイトやインターンを初めてみるが、これが思いのほか楽しくて楽しくて。どんどん一日の中で大学に費やす時間が減っていった。

ここから、ある2つの些細な出来事が追い討ちをかけて来て私は大学を辞める。

1つ目は、ある日のバイト帰りのこと。

新宿のJR線⇄西武線にある高架下ですれ違う仕事終わりのサラリーマン達の目がめちゃくちゃ死んでいたこと。自分はこんな大人にはなりたくないな、仕事が嫌いなら働かなければいいのにな、などと思いながら、普段よくある風景が、この日のこの風景だけはなぜかインパクトがあり記憶に焼き付けられた。

2つ目は、大阪に帰省した時のこと。 ※めっちゃ帰ってるな(笑)

地元の居酒屋に来たら、たまたま小学校の同級生が働いているお店。ちなみに向こうはこちらに気付いていない。同級生は中学か高校を卒業した後に、進学せずに一生懸命働いていて社会に価値を返している。一方、自分は裕福な家庭に生まれたというだけで大学に行っており、日々やりきれていないし、誰に何の価値も生み出していない。


「よし大学辞めて、働こう!」

自分だったら学歴なしでも大丈夫だろうという根拠のない自信だけ持って、何も先のことを考えずに辞めていた。


大学を辞めてから

実は辞める前にインターンシップ選考を受けていた1社にだけ、雇ってもらえないか聞いてみた。けれど、卒業してからじゃないと難しいとお断り頂いたので、とりあえず学生の頃からバイトしていたSTARBUCKSで引き続きバイトとして働くことにした。

大学を辞めて半年間はほんとうにお金がなかった(笑)

単身赴任してきていた父親の1Kの社宅に居候させてもらい、何とかお金を貯める日々。半年後、1人で1Kだと家賃賄えないくらいの収入だったので、大学の同級生とルームシェアを始めた。色んなバイトを掛け持ちしたりしながら、貧乏暇なし生活が始まる。

(~時は流れ~)

ここから、そんなこんなでヒルトンホテルに雇ってもらいバーテンダーになり、その後はリクルートに雇ってもらい営業をやっている。ちなみにリクルートに入る前はリクルートの名前しか知らず、怪しいITベンチャーかなんかだと思っていた(笑)


そして、今振り返って

長くなったがここからが伝えたいこと。


兎に角、東京に上京した私は、慣れない環境に適合することができなかった。

「面白くない関東の人が悪いのであって、私の方が笑いもコミュニケーションも分かっている」を筆頭に、「自分は変わらない、社会が変われ」と思っていた。簡単に言うと社会不適合者だった。

そうやって変わらない現実から逃げた結果、行きついた先が「仕事」だった。

仕事にはルールがある。ルールは至ってシンプルで、顧客が求めているモノを他よりも提供できれば、選ばれて生き残る。仕事においては、この土俵に立つ人(法人も含む)である限り誰しもが、選ばれるために常に高みを目指さなければならない。高み(理想)を目指すと現状と必ずGAPがうまれ、問題となる。

この問題を解くのに私は苦がないし、むしろ好き。自分の役目・強みだと思っていて、それが顧客に喜んでもらえる。

つまり、仕事という土俵においては、自分と社会が共存できる。それも、自分の核の部分を変えずに。しかも、仕事は自分の持て余すエネルギーを受け止めてくれる。むしろ、私のエネルギー量では全然足りない(笑)

もちろん目的・目標のために、自分の核以外の部分で変えることがある。けど、それはそれで新しい発見があり楽しい。例えば、人にはそれぞれ得意・不得意があり、それぞれの得意な事をやり、不得意なことをカバーできると、組織として人数分以上の成果が出る。

私はそういう風に仕事を通して、他者の考えや特徴を尊重できた。まだまだ未熟な部分ももちろんあるが。


結果、私は幸せだが、あくまで結果でしかないので、他の人には中退をお勧めしない。論理的に考えて大学を卒業した方が選択肢が増えて良いことが多い。将来自分の子供が中退など言い出したら絶対猛反対する(笑)。


まとめると、私にとっては自分の居場所(=役割を持てる場所)が早く見つかり、とても良かったと思っている。

大学を辞めて成功している、していないとかどうでもよくて。大学は行った方が良い、行かなくて良いとかでもなくて。


私が振り返って感じるのは以下。

人はなかなか変われない

だからこそ、置かれた場所(自分の役割)で咲きましょう


それでは、また。


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