見出し画像

デンプンが腐る匂い

2024.06.06
ぺぎんの日記#65
「デンプンが腐る匂い」


去年の秋に採れたジャガイモから、どんどんと芽が出てきている。

自分の家の小さな畑で採れたジャガイモ。
農家さんからお米を買ったときの30kg用米袋いくつかに、乾燥させたそれを、パンパンに詰めて保存する。

冬の間に料理で使うジャガイモは、全てその米袋から出してきて使う。

去年は豊作で、一冬を超えてもジャガイモはまだ沢山余っていた。

冬が終わり、だんだんと暖かくなってくる。
雪が溶け、朝の気温もマイナスまで下がらなくなって、春が近づいてきていることを悟る。

米袋に詰められたジャガイモは、春の陽気に呼応するようにどんどんと芽を出し始める。

芽が大きく出てきてしまったジャガイモから、優先的に調理していく。
冬の間に無くなってしまうと買わなくてはならないので、毎年少し余分に作るジャガイモ。
冬の終わりから始まるジャガイモとの追いかけっ子は毎年の恒例行事だ。

ジャガイモの芽が出ている所を普段より大きくえぐり取る。ボコボコになったジャガイモを、焼いたり、チンしたり、茹でたりして食べる。
いつも、この時期は、主食がジャガイモの生活になる。もちろんお米もパンも食べるけれど、夕食の主食がジャガイモ、なんていうロシアみたいな食卓はザラである。

さて、そんなふうに頑張ってジャガイモの芽を出すスピードから逃げ続けていた今年も、そろそろ限界が近づいている。
ジャガイモ生活が続いたせいでモチベが下がってきている家族。食べても食べても減らない、作りすぎたジャガイモ。
ジャガイモの皮を剥いて芽を取る作業も、むしろ、ジャガイモの食べられる部分を掘り出していると言っても過言じゃないくらいになってきた。芽の毒素がジャガイモの中まで侵食してきている。

人間の消費スピードが衰えるのと反比例するように、ジャガイモの芽は立派に伸びていく。

先日妹が、その芽を立派に伸ばしたジャガイモを見て呟いた。
「ジャガイモって土の中でどうやって根伸ばすの?」

それを聞き、我が家の畑担当、父が張り切る。
「じゃあジャガイモの水耕栽培やってみっか!」

2Lのペットボトルの上を切り取って、芽の出たジャガイモを水面に固定する。そうして始まった、父と妹のジャガイモ水耕栽培。
土の中に生えるものを水で育てて大丈夫なはずは無いのだが、まぁ根と茎・葉の観察をする分には十分だろう。

水に浸かったジャガイモは、シオシオと伸ばしていた芽から青々とした小さな葉を出し、水を得た魚、もとい水を得たジャガイモのように元気に伸びだす。根も少しずつだが下に伸びてきている。

その元気だったジャガイモから変な匂いがしてきたのは栽培開始から1週間が経った辺りだった。妹はもうすっかり興味を失い、窓際に放置されたペットボトルの水面には白く膜が張っている。

ふとした拍子に嫌な匂いがして、匂いの元を探した結果、そのジャガイモに行き着いたのである。

嗅いでみると、ジャガイモ特有の、デンプンが腐る匂い。
ジャガイモ以外で絶対嗅いだことのある匂いだと思って、匂いの記憶を探る。

あっ。

それは、ひいおじいちゃんを看取ったときの匂いだった。
介護施設の、ひいおじいちゃんの個室に入るといつもしていた、最期を迎える人の匂い。あの匂いを嗅ぐのが嫌で、あまりひいおじいちゃんの所へは行きたくなかった。

そっか。人もジャガイモも、最期はみんな同じ匂いになって死んじゃうんだ。

それが何かとても尊く、大きな循環の一部であるようにも感じたし、どこか悲しく、寂しいことのようにも感じた。

この匂いは嫌いだ。

それは不衛生なものに対して感じる人間の本能的な嫌悪なのかも知れないし、もしくは人の死と自然に結びついてしまうからと、私が頭で考えている嫌悪なのかも知れない。

どちらにせよ、今このデンプンが腐っていく匂いと向き合うことは何とも気持ちが悪くて、そのジャガイモは今も放置しっぱなしだ。

こんな匂いで、昔のことを思い出すとは思わなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?