ダブルバインドをする側の気持ち

私自身もダブルバインド使いだったと言う気付き

 月半ばに風邪をこじらせて、2、3日ほぼ寝たきりだった。
 このご時世なので念のため部屋を隔離し、結果的に0歳の赤子の面倒は突然!全て!夫にお願いすることになったのだった。運がいいことに、たまたま風邪を引いたのが金曜の夕方からだったので、夫に丸投げしたのは土日月の3日のみで済んだ。
 しかし、幼い赤子がおりながら不覚にも体調を崩してしまったという猛烈な罪悪感があったし、とにかくワンオペ中の夫の心身の状態が心配だった。無理してるんじゃなかろうか、せっかくの休日なのに。当然疲れているだろう、話を聞く限り自分の食事はちゃんとしたもの食べてないみたいだし……。一刻も早く回復して、自分がお荷物になっているこの状況を抜け出したかった。
 火曜の朝も、朝起きた赤子に夫が対応してくれており、私が起きて慌てて居間に行くと、すでに離乳食をあげ始めてくれていた。
 今日は夫は大事な会議があったはず。だからもう仕事に向かう支度をしなくては。私の方はというと、まだ喉も痛いし鼻水は出るけど、とりあえず熱は下がっている。今日は省エネモードで私が面倒を見れる感じがする。
 そう判断して、夫に声をかけた。
うん、(まだ喉痛いし鼻水出るけど)熱下がったわ!(いつもの6割くらいの節電モードで乗り切れば今日の日中くらいなら)もう大丈夫だと思う!(だから夫よ、家にいるときはあなたのパワーを期待してるからね…!)」
「あ、そう。じゃあシャワー浴びてくるね」
「…え?………あのさあ………………」
夫がそう言って席を立った瞬間、私の中で負の感情が嵐のように吹き荒れた。

  …あなたは良いね、私が戻って来た途端、自分だけの生活リズム、生活モードで動けて…。というか、私も全回復したわけじゃないのに、「まだ体調悪いのに、見てくれてありがとう」みたいな気持ちはないの?それともあなたみたいに毎日毎日大げさに体調不良、疲れたアピールしないと分からないってこと?私のアピールが控えめすぎるから伝わってないの?でも、そんな疲れたアピール、私にはできない…。図々しいし、大変なのはみんな一緒なのに、自分ばっかり楽をするのは気がひけるもん。夫は、そういうの憚らずアピールするし、実際に体調の悪い私にはありがとうとかの声掛けもないし…やっぱり私のことなんか全然大切じゃないんだな。

私の不機嫌を察した夫は、またダイニングテーブルに戻ってきた。そして結局、離乳食をあげ終わるまで席についていてくれた。そして、私との話に付き合ってくれた。(※「あのさあ」の後の膨大な「………………」は、私が自分の気持ちを何とか理論的に、攻撃的にならないように相手に伝える言葉や抑揚を一生懸命考えている間で、他者と言いにくい話をするときに頻出します)
 その時の会話の内容は割愛するが(私も必死に頭をフル回転させながら気持ちを伝えているので、なんて言ったか、なんて返ってきたかエッセンスしか覚えておらず、文章に再現できない)、この件を通じて、私はとんでもない事実をやっと自覚することができた。

 そう、毒親ガーーーと自分の母親を詰りながら、私も歴としたダブルバインド使いだったとのだ。

 私は、「うん、熱下がったわ!もう大丈夫だと思う!」と口では言いながら、いざ夫が「あ、そう。じゃあシャワー浴びてくるね」と大丈夫な私に赤子を預けて自分のタスクに戻ろうとすると、「…え(私の羞恥心的に耐え難いので以下略)」と不機嫌をあらわにし、それを禁止したのだ。言ってることとやってることが真逆。正にダブルバインドのお手本のようなコミュニケーションだ。
 夫からしたら、「え?大丈夫って言ったじゃん……??なぜ不機嫌??」頭の中ははてなでいっぱい、困惑以外の何者でもなかったはず。いやぁぁぁぁぁぁぁ。夫よ、すまない…。もう穴があったら入りたい。だってこれは、自分が母親にされた中で最も忌み嫌っていたコミュニケーションの在り方だったのに。まさか自分が、“する側”になっていたとは。

 せめてこのタイミングで自覚できたことが救いだ。赤子に同じようなコミュニケーションをしてしまう前に、なるべく意識して矯正するしかない。

ダブルバインドする側の心情がわかった!

 ショッキングではあるのだが、大きな収穫もあった。ダブルバインドする人間の心情がよ〜〜〜く分かったからだ。これをまとめられるのは、個人的にめちゃくちゃ成果が大きい。何度でも言う、ありがとう、夫…

①自分の中の多すぎる“べき”“ねばならない”に、言動をがんじがらめにされている

<自分の中の“べき”>
・体調を崩さないよう日頃から健康に気をつけて体調管理すべき
・特に、世話のかかる赤ちゃんのいる母親は風邪を引いてはいけない=健康でいねばならない
・みんな大変なのだから、自分の大変さを他者に主張すべきではない
・自慢は卑しいことなので、自分の働きや成果を他者に主張すべきではない
・家にいる妻は仕事に行く夫をサポートするべき
・母親は赤ちゃんと過ごす時間を何よりも幸せに思うべき
・何かしてもらったら「ありがとう」、迷惑をかけたら「ごめんね」を欠かさず言うべき

②“べき”と矛盾した自分を、内なる自分にフルボッコにされる

<“べき”と矛盾した自分の本音>
・風邪めっちゃしんどい、休みたい。妻が夫を〜とかじゃなくて、お互いに家族が体調不良の時助け合うのは当たり前じゃない? 
←内なる自分「体調管理できなかったお前が悪いんだろ。自分の役目も果たさずに他人に頼ろうなんて図々しい。図々しい上に役立たずなんて嫌われて当然」

・ゆっくり一人時間サイッッコー!!!赤子を自分が面倒見なくて良くて嬉しい、ずっとこうだったら良いのに、ダラダラするのもサイコー。風邪の時くらい世界の中心になって甘やかされたい、大事にされたい。
←内なる自分「赤ちゃんが可愛くないの?一緒にいたくないってこと?最低な母親だね」

・え、別にそれしてもらっても嬉しくないんだけど。
←内なる自分「人の厚意に感謝できないなんて心が貧しい証拠」

③“べき”を破る他者は、トンデモ非常識人間に見える

 当然、私以外の他者は、私の内心にある“べき”集も、それと矛盾した本音も知ったこっちゃない。その結果、他者は私の“べき”とは反する振る舞いを平気で行う。べきを守らない他者は非常識で、倫理観に欠けているように目に映り、自分だけが本音の通り振る舞えないルサンチマンが積もりに積もっていく…………。

④ブチギレる(ダブルバインド発動!!!)

 何で全人類のバイブル(※だと自分が思い込んでいるだけ)“べき”集を守らないの!?!?人として非常識すぎる💢💢💢💢💢てか世の中そういう奴ばっかりなんだけど!?!?!なんなん💢💢💢💢世の中くそ、人生くそ、生きてても楽しいことない!!私はだれにも大事にされない!!!わーーーーん(そして思考は暗黒世界へ…)
 他者からすると、私の中にそんな窮屈なバイブルがあることも、それを全人類が守らなければいけないものだと思い込んでいることも、それで苦しんでたり我慢したりしていることも全く知る由もないので、私の主張は青天の霹靂&ちんぷんかんぷんで意味不明。

 何だろう。結局全てのことが同じ結論へと行き着いていく感。私は、私を縛る幻想のバイブルを捨てるべきなのだ(おっ、なんかRPGに出てきそうな言葉の雰囲気…)。自己満足の行動自信として掲げるのはいいが、それは全人類の共通項目なんかじゃない。断じてない。
 そして、内なる自分をどうにかする!!こうして洗い出すと、こっちも思ったより喫緊の課題みたいだ。いやぁどうしたら良いんだろうね。何でこんな言い方きついんでしょうねこの人。私がなに言っても難癖つけてくるんですけど。困りましたね〜(*ノε` )σ

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