プロフェッショナリズムを形作る言葉 ②
ラグビーワールドカップは南アフリカの優勝で幕を閉じましたね。
ラグビーの試合なんてまともに見たことがなかった、にわかファンですが、あれだけがんがん全力でぶつかっていけるというのはすごいことだなあ、と思った次第です。
南アフリカ × ラグビー というと、私はどうしてもネルソン・マンデラを思い出します。
マンデラとラグビー
南アフリカの統一の過程で、マンデラがラグビーを活用したことは比較的有名なことのようです。詳しくは、下記の映画を見てみて下さい。今回のワールドカップを契機に割と皆さんこの映画に触れられているようです。
人は変われるのか?
研修の過程で、なかなか上司からの要求に応えられず、結構苦しみました。
ある「理想像」があって、常にそれと比べられているような気がして、そして、それが自分が目指して入るものと何か違う気がするのだけれど、やはりそれに向かって努力するのが善なのではないか?と。この分野で生きていくと決めたのは自分なのだから、、、と、堂々巡りから抜け出せず、それでいてその堂々巡りの中でモチベーションは落ち、、というジレンマでした。
「変わらねばならない」という何か強烈な強迫観念みたいなものにつぶされていたのだと、今となっては思います。
思えば小さな頃から他人の要求を満たすことに時間を費やしてきていたような気がします。「長男だから」、「医者になるのだから」、と、それを理由にいろんな可能性を否定し、自分の中にあるshouldにしばられ、それを満たしていこうとする。普通それってつぶれるよ、と言われたこともありましたが、なんとかこなしてきてしまった、、というのも事実かも知れません。
リーダーシップ関連の書籍も読みあさりましたし、自己啓発の本もいくつ読んだかわかりません。「変わるための方法」、「リーダーになる方法」を探し続けていた気がします。
そんな中出会ったのが、この詩でした。
インビクタス(負けざる者)
私を覆う漆黒の夜
鉄格子に潜む奈落の闇
どんな神でさえ感謝する
我が負けざる魂に
無残な状況においてでさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ血を流そうとも
決してこうべは垂れまい
激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが長きに渡る脅しを受けてなお
私は何一つ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私は我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ
職場に行くのが辛くて辛くて、毎朝出勤した駐車場の車の中で、10回ぐらい
" I am the master of my fate, I am the captain of my soul."
と呪文のように唱えてから出勤していました。物事をどう捉えるか、辛いと思うかは自分が決めるのだ、"変わりたいかどうかも自分が決めたんだ" と。
being
ツライ時期にこのフレーズが、私自身を支えてくれたことは間違いありません。すがるように唱えていましたから。
ある事象をどうとらえるか?
それの意味づけを決めるは自分、その意味づけの結果展開される事実に対応する責任があるのも自分、「忍耐」の方法論としては有用ですが、やっぱり息苦しいなあと最近は思っています。
今はもう少し広い視野でこのフレーズを捉えていて、「そもそも自分ってどうありたいんだっけ?」「それって自分のありたい姿なんだっけ?」というシンプルな問いに変わってきています。そうすると、その軸に沿っていることはする、沿っていないことはしない、という構造になりますが、「じゃあ、自分の軸って何だっけ?」という問いに向き合うことになります。
自分の軸に投げてみて、自分の軸を確認する作業、結局そこなんだなあと思っています。
それを教えてくれた本をいくつかご紹介しておきます。
皆さんにとっての軸って何でしょうか?
https://www.amazon.co.jp/dp/B07W9752HC/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
小児科、小児集中治療室を中心に研修後、現在、救命救急センターに勤務しています。 全てのこども達が安心して暮らせる社会を作るべく、専門性と専門性の交差点で双方の価値を最大化していきます。 小児科専門医/救急科専門医/経営学修士(MBA)/日本DMAT隊員/災害時小児周産期リエゾン