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君はどんな医師になりたいのか?

実はこのNOTEは、医師以外の私の仲間も読んで下さっていて、「もう少し人となりがわかる記事もあってもいいのではないか?」という意見を頂いていました。記事を読んで下さっている方は、私についてどんな印象を持っておられるでしょうか。少々照れくさいですが、すこし自分についてお話ししてみたいと思います。

ある本との出会い

今年から大学病院に戻り、初期研修医の先生方(つまり大学を卒業してすぐの先生)とお話しする機会が増えました。必然自分の研修医の頃を思い返す機会も増え、良い刺激をいただいているとともに、つくづく自分は良い先輩に素晴らしい背中を見せて頂いたなあと感謝をしています。

今の研修医の先生方にとって、自分がそういう存在でいられているか、当時見せて頂いた「先輩の背中」は遠く、常に自省の日々です。そんなとき、ふと思い出すフレーズがあります。

「君はどんな医者になりたいのか?」

大学6年生の春先に見つけた本のタイトルで、正式には下記のリンクの通り、『君はどんな医師になりたいのか?』という本でした。

https://www.amazon.co.jp/%E5%90%9B%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B%E2%80%95%E3%80%8C%E4%B8%BB%E6%B2%BB%E5%8C%BB%E3%80%8D%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%97%E3%81%A6-%E5%B7%9D%E8%B6%8A-%E6%AD%A3%E5%B9%B3/dp/4260127020

実際には当時始まろうとしていた初期臨床研修制度の中、研修先の病院をどうやって見つけたら良いか?という観点から、研修先を紹介した本で、そんな哲学的な内容を説いた本では全くないのですが、、、、。
そのフレーズが頭にこびりついて離れず、研修先も決まった秋口、国試の勉強に疲れていたのか、結局中身については不要にもかかわらず、購入して机の前に飾っておいた記憶があります。

結果、この本のタイトルは、常に頭にこびりつき、怠けそうになったとき、つらいとき、うれしかったとき、折に触れて私の価値観を形成するフレーズのひとつになっていると感じています。

「いいお医者さんになってね」

なぜこのフレーズが、こんなにも気になったんだろう、と考えるときに思い出す一人の患者さんがいます。

私の大学では5年生の秋口から臨床研修(昔でいうところのポリクリ、学生が病棟の中で研修を始めます)が始まりました。初めて回った科は呼吸器外科で、肺がんの女性の患者さんを担当させていただきました。

担当といっても病棟に出たばかりの学生ですから、医学知識も不十分、人に聴診器をまともに当てたことはないという状況ですから、お話を伺い、症状について勉強させていただいたり、診察の練習をさせていただくことになります。当時のその患者さんの5年生存率が40%位と知ったのは、不勉強にも担当させていただいて数日後だったと思います。病気ではあるのですが、学生が担当させていただけるぐらいですし、比較的元気そうに過ごされていて、なんとなく手術をして元気になって帰って行くのだと浅はかにも考えていた私は大変ショックを受けました。なんにもできないのに患者さんを練習台にしていることにただでさえ負い目を感じていましたから、それをしってからは申し訳なくて申し訳なくて、ものすごく緊張しながら毎朝診察をお願いした記憶があります。

そんな私の雰囲気を察したのか、その方はこんなお話をして下さいました。

「今何にもできないのはあたりまえじゃない。私は何にもしてあげられないけれど、私のカラダで一杯練習して、いいお医者さんになってね。

と。思い出す度に今でも涙が出そうになります。すべての予後を話されていることはカルテから理解していましたので、その状況でこんな声かけをして頂いたことに衝撃を受けました。

本のタイトル「君はどんな医師になりたいのか?」はこの患者さんの「いいお医者さんになってね」という言葉と強力にリンクし、常に自分への問いかけになっているのだと今は思います。

子どもと家族と向き合う

医師になってからもたくさんの子どもさんや、ご家族に出会いました。氏に向き合わざるを得ない状況の患者さん、ご家族ともたくさんお話をしました。最終的にその場その場でどのような判断をし、どのような言葉をかけるのか、どのような話し方をするのか、正解はないように思います。患者さんはもちろんですが、私に対して批判的な上司・同僚もいましたし、また、逆に好意的に感じてくださる方もいました。
自分の中で軸をもち、常に「自分はどうありたいか?」という価値観に向き合いながら態度を決めていくしかないのだろうと感じています。そして自分がそれを評価し、その評価を心にとどめながら次に向かうしかないのだと思います。

このように考えるに付け、つくづく患者さんとの出会いが医師を形作る患者さんが私を医師にしてくれているのだと感じます。

研修医の先生方と

医学部に入る人たちの多くは、大学入試の小論文の練習をします。その中で言葉が上滑りしていると感じながらも、「病気でなく人を診る医療を・・・」「Cure から Care へ・・・」「全人的な医療を提供する・・・」云々云々、、、と書いてきています。

研修医の先生方へのfeedbackのなかで、「先生にとって具体的にどういう行動をすることが、小論文で書いてきた "全人的な医療" を提供することなの?」と意見を求めることがあります。多くの先生がめんどくさい奴だなあと感じているのを、感じますが(笑)

いろいろお話ししますが、結局最後は「自分がどういうお医者さんでありたいか?」ということなんだけどね、という結びになってします。そして、うれしいことにちゃんと受け止めてくれる先生もいることに希望も感じます。そんな先生には「ちゃんとその問いに向き合っていれば患者さんが教えてくれるよ」とお伝えしています。余計困惑した顔をしますが、、、

さて、私は背中を見せられているのでしょうか。自省の日々です。


小児科、小児集中治療室を中心に研修後、現在、救命救急センターに勤務しています。 全てのこども達が安心して暮らせる社会を作るべく、専門性と専門性の交差点で双方の価値を最大化していきます。 小児科専門医/救急科専門医/経営学修士(MBA)/日本DMAT隊員/災害時小児周産期リエゾン