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目標設定ミューズ

人の目標設定を手伝ったり、それに向けて伴走するのってムズいよね~って話。

うちの娘、保育所年長のときからダンス教室に通ってる。
といっても、リズムにあわせて楽しく体を動かそう!という内容のもので、芸能を目指すとか、そういうガチ系のヤツじゃない。と聞いていた。

なんでダンスにしたかって言うと「プールは着替えとか前後の時間かかりそうやし~柔道は平日中心で先生が体育会系やと怖そうやし~www」でも子供の身体を動かす系の習い事をさせたい!という私のめっちゃくちゃエゴイスティックな理由だった。

幸い、先生との相性よく、娘のクラスの好きぴ(男子)も一緒に通うことになって楽しくよろしくやっていた。
年1回の発表会なんかは、かわちい~!かわちいい~!!!!みたいなかんじで親も楽しくよろしくやっていた。

ただ、娘は次の年は就学するため、小学校クラスに入ることになる。
発表会のとき、次入るであろう低学年クラスのダンスの仕上がりを見て驚き、おののいた。

(やべぇ・・・レベチだ・・・)

キレッキレの動き、またチームとして息のあったパフォーマンスに目を奪われた。
そして残酷なことに、学年があがるほど、1クラスの人数は減っていき、まさに”精鋭達”と言えるような上手な子、ダンスが好きで好きでたまらなさそうな子が残っていると感じた。

これは先生好き~好きぴと会えるの楽しい~だけでは続けるのは厳しいのではないかと思った。
かといって、無理に続けさせるつもりもなかったので本人に意向確認をした。

今後は教室に行くのが楽しい、だけでは続けられないと思うこと
家でも練習しなければついていけないレベルだと思うこと
自分は楽しいだけで良くても、もしかしたら周りが許してくれる環境ではないかもしれないこと
を説明し、それでも続けたいかと問うと、彼女は迷いなく続けると返事をした。

それから間もなく、低学年クラスでのレッスンがはじまったが
言うて娘は家で練習しないし、上達する様子はなかった。
お互いがダンスを披露して、意見を述べ合うというシビアな時間があり、
そこでは娘に対して容赦ない言葉が浴びせられることもあり、親としても心苦しさを感じていたが、本人がヤル気にならなきゃどうしようもない。

というところで秋、いよいよ次回の発表会に向けての課題曲の練習がはじまった。

親が見ていても(いや、先生の節々の動き、首の動き、どうなってますねん)
というくらいレベルの高い内容で、娘はもちろん、他のメンバーもまぁまぁ、というか全然出来ていなかった。

去年の発表会ではすごい完成度で披露していたツワモノたちであっても、タジタジの様子なので、ポテンシャルが高いというよりは結局練習の積み重ねなのかもしれない、と思った。

そこで私は考えた。どうしたら娘が練習をするようになるのかと。

そして自分の幼少期の経験や、社労士受験生時代の経験を踏まえて考えてみることにした。

まず、私は幼少期エレクトーンをやっていたが、練習がすこぶる嫌いだった。
椅子にしがみついて泣くほど嫌いで、母がよく私を毎日怒鳴りつけては椅子に座らせ、あと何回あと何分とノルマを課したものだった。

なぜ練習が嫌いだったか思い出してみると、私は(決まった曲を演奏するのではなく、創作して好きなように弾いてみたい)とずっと考えており、練習がひどく退屈に感じていたのだった。

今思えば、基本が出来ていない人間が創作など出来ませんよ、と思うのだが
幼少期の自分は気付くはずもない。

私は社労士受験生時代、陥りうる不安や負のスパイラルについて、あらかじめ金沢先生(大原)がアナウンスしてくださったお陰で
(あ、みんな陥る思考なんだ・・・!)
(じゃあ、そうならないように回避しなきゃダメなんだ・・!)
と冷静になれて、とてもありがたかった思い出がある。

であれば、娘にも言語化して伝えた方がいいと思った。
娘は、自分で考えた!と言って、ダンスとも言えないクネクネした動きをよく見せていたので(それする時間あるなら練習しろや!)と思っていたが
ああ、私と同じタイプか
と思い、こう伝えた。

「自分でダンスを作りたいという気持ちはわかる。お母さんも昔そうだった。だけど、基本を学ばなければ、ダンスにはこういう動きがある!と知らなければ、新しいものを生み出すことはできない。なので、自分でダンスを作りたいと思うなら、今、先生が教えてくれていることを精いっぱい吸収しなさい。今、やっているダンスをまず頑張りなさい」

私に似て物分かりがいいので、すぐにクネクネすることを辞めた。

やっと練習するようになる(私が夜、決まった時間にタイマーをかけた)が、2、3回練習する日もあれば1回でやめてしまう日もあった。

でも私はそれでいいと思った。

自分が親にノルマを課せられて嫌だったし、
社労士受験は、しんどい日は1問解くだけでいい、毎日やることが大事と言っていたので
毎日やればそれでいいと思った。

私は的確なフィードバックとほどよい褒め言葉で伸びるタイプだ。やれやれ!と一方的に叫ばれるだけではどうにもこうにも続けられないのだ。(親への恨みがエグい)

しかし、先生の動きは親がみても(いや、どないなってますねん)というようなもので、もちろん教えることも出来なければ、ご意見述べることなど到底できないのだ。

私は昔から熱心なジャニヲタ(旧ジャニーズが好きな女)なので、アイドル論は熱語りできる。
なので、娘を推し、いやあえて”担当”と呼ばせていただく。担当として見たときに、
仮にグループ内でも踊りがイマイチなポジションなんだと思うと

熱く熱く言葉が湧いてくるのだった。

「〇〇ちゃん!今のとこ、しゃがんで、顔とか触ると目立つからジっとしてたほうがカッコいいよ!足あがってるから、上手にみえるよ!その調子!!」

担当がMステで新曲披露、と同じ心境である。

もちろん根拠をもとめるように「ほら、先生はどうしてるかな?上手なお姉さんはどうしてるかな?そうやってるよね!」とレッスン動画を一緒に見て一緒に振り返った。

親子にターニングポイントが訪れた。
やっと毎日少しでも練習できた一週間明けのレッスン日
親が見ていても、おお・・・と思うほど娘は上達してみえた

親バカと思われるかもしれないが、あの日、娘に辛辣なフィードバックをしてきた、あの子よりずっと、娘はバリッバリに踊ってみせたのだった。

才能だけじゃなく、やはり練習が有用なのか
私は確認した。なによりレッスン後、上級生のダンスが上手なお姉さんに

「その調子で練習がんばって」

と声をかけてもらい、娘のモチベは爆上がりした。
その声がなかったら、そのあとも継続して練習を続けることは出来なかったのかもしれない。
この方向性で間違えてないんだ!と親子ともに確信を得た素晴らしい体験だった。

にしても
かろうじて続けているとはいえ

やはり1回だけで練習をやめてしまう日が続けば不安になるものだ。
熱中できるほどではないんだな~

なんかな~

例えばアイドルグループ××の、〇〇さんにあこがれて
〇〇さんみたいになりたい!だからダンスの練習も頑張るし、推しの曲で推しのマネしながらだと永遠に踊れる!

みたいな熱量があればな~うーん

など、勝手なことを思ってしまうのだった。
親の期待むなしく、娘は変な声でゲーム実況するyoutubeや、謎の韓国のお菓子を食べあさるyoutuberに夢中だった。

さて、月日は流れ、あっという間に発表会本番となった。
最初はかわちいかわちいだけで、小学生クラスに入ると足を引っ張るかもしれないという不安があったが
練習を重ねるにつれて(足を引っ張る程でもないかもしれん・・・)と思えるようにまで成長した娘。

舞台に立つその姿は勇ましく、全体で見たとしても
(浮いてない!普通!馴染んでる!他のこと一緒にバキバキ踊ってる!スゴい!!!!)
と感動したものだった。
浮いてない、という感想は親としていかがなものかと思われるだろうが
ダンスは素人が見ても上手い下手がシビアにわかるので、ついていけてない子が混じっているとそれだけで浮いてしまうのだ。
1年前、レベチ!と思ったあの中で、馴染んでいるのだからスゴいことではないだろうか。

と、本番中は思ったものの、後からその様子をビデオで見ると
やけに不安そうにキョロキョロしていたり
手に力が入らずふにゃんとしているところもあり
(舞台慣れしていないということが1番の理由だろうが)
まだまだ改善の余地アリだなぁと欲どおしく思ってしまうのだった。
(やっぱ1日1回の練習じゃ限界ありだな・・・)と。

私はアイドル論だけなら語れる人間なのだ。
「娘ちゃん、いいポジションで踊っていたよね。センターは1番上手い子。けど、その隣や、2列目だけどセンターとなりに見える位置にいたよね(裏センター)それってスゴいよ!
目立つ位置だよ!アイドルグループならいい位置なんだよ!!!」

人数多いグループだとどこで踊るとか誰とシンメとかで永遠語れるよね。

「まぁでもやっぱ、1番上手い子がずっとセンターやったね。ほんまに上手いもんね。納得やねぇ!あのお姉ちゃんみたいに上手く踊れるようになったらいいねぇ!」

「私、センターになる!!!!!!!」
そんなAKB的火のつき方あったぁ!!!!???

発表会が終われば、春はもうすぐそこである。
私たち大人は知っている、春は別れの季節だと。
娘はずっと言っていた「〇〇先生が大好きだから続けたい!」

年長のときから見てくれている先生だ。
その真っすぐな眼差しは、新卒の面接で、当初からお世話になっている人事部の〇〇さんがいるから、この会社に入りたいです!というような危うさを感じるものだった。

ただ、季節は待ってくれないのである。
泣きながら「私は〇〇先生がやめても、このまま続けたい…センターになれるまで続けたい・・・」と言い切った娘の横顔に、成長を感じた。
成長しきれないけれど、無理に自分を奮い立たせているようにも見えた。

私も好きなのだ、この先生が。
泣きじゃくる娘に「じゃあ人の倍頑張れ。人の2倍頑張らなければ、センターになれない」と笑顔で言う先生が好きだった。

目標設定と併走、今後は進学などでよりそのような機会が出てくるだろう。
親は勝手に期待してしまう生き物だ。
そんな自分がいるなぁと俯瞰しつつ、私は娘のためになることをしたい。
娘の目標設定に寄り添う女神(ミューズ)でいたい。
それもエゴかな。

ちなみに娘は「センター目指して」毎日何度も練習を重ねている。
センターというのがキャッチーで分かりやすくハマったんだね。
いつまで続くやら・・・見守っていきたいです。

さて最後に、タイトルを薬用せっけんミュ~ズ♪の節で読んでほしい。
なぜなら、それが言いたいがためだけに書いた記事だからである。

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