息子福山の努力知らんのよな
昨日のnoteを書いていて、そういえば、指定校推薦をゲットした高校時代の息子福山の努力している姿って、知らんのよな。
このnoteを書き始めて、4年目。
ちょうど、3年継続したパートを辞めたタイミングだったんです。
そうなると両親の介護が始まったのが、8年前。
その前は、WEB制作の職業訓練校に通っていたので、息子福山が中学校を卒業してから、息子福山の動向は、ノータッチだったんです。
母親は、全面的にアジフライを当てにきます。
自分が友人たちと旅行に行く時は、父親の面倒をまかすし、
祖母の介護を始めることになった時は、平日に祖母をお風呂に入れたいから手伝えと、正社員を辞めた過去があります。
アジフライの犠牲の上に成り立っていることが多かった記憶です。
なので、父親に介護が必要になった時も、5千円を渡され、実家に通ってくるようにという母親の目論見に反抗して、念願のパートに出ました。
40歳で持病を発症して、年齢的にも最後のチャンスであった念願のパートでした。
次の年、父親が救急車で運ばれ入院の後、母親の末期がんが見つかり、パートをしながら、週の半分を実家、残りの半分を自宅の生活をしていたので、息子福山のことを気にするような余裕はありませんでした。
母親がこの世をさったのが、息子福山が高校生の時で、その後、1人で父親の介護をすることになり、パートも続けておりましたので、息子福山が頑張っている様子を見ることもありませんでした。
息子福山が高校3年生の時、父親の容態も落ち着いていましたので、やっと進路のことを知ることとなります。
もちろん、高校の懇談会や進路説明会には、出席は、しておりました。
指定校推薦では、上から2番の位置の大学の指定校を選んでいます。
1番の大学も枠が空いていたのですが、息子福山の望む学科ではないし、学費も高かったので、知名度はあるが、強く息子福山には進めませんでした。
アジフライの知らないところで、高校受験を失敗した息子福山は、奮起して自分で指定校推薦を勝ち抜いたのです。
なぜ、息子福山の大学を口にしなかった理由は、卒業できなければ価値がないと思ったからでもあります。
学年の7割が文系の中で、理系大学の価値もわからないであろうというのも理由ではあります。
どの子も大学進学するにはドラマがあって、全ての子の努力を認めているので、大学がどこであろうと、嘲笑うことはないです。
ただ、勿体無い選択をした親子のことは、残念には思います。
ただ、それだけ。
母親は、特に、子供の進学を自分の手柄のように自慢して、他人の子を貶す材料にする人も多いですが、なんでですかね。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。