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息子福山、中学生の時の話

今日は、不完全燃焼のお付き合いください。

クラウドワークスで、子育ての経験談のライティングのお仕事をみつけ、息子福山の事を書こうとしたんですけど、このnoteで書いている事ばかりで、やめたんですけど、やっぱり書きたいとその案件を探せど、もう二度と巡り合えず、不完全燃焼を起こしてしまいました。

なので、書きたかった事を今日、書きます。

我が家の食器棚のガラス戸は、ガラスがはまっていない部分がある。

それは、息子福山が中学2年生の時に、グーパンチでガラスに手を突っ込んで血だらけになり、瞬間、息子福山の頭を思いっきり小突いたという思い出である。

当時の息子福山は、中学から通い始めた進学塾の夏期講習と、中学の運動部の練習とで、へとへとな毎日を送っていた。

そんな中、アジフライの一言で、頭が沸騰した息子福山が、グーパンチを繰り出したのである。

それが、息子福山がこのあと、反抗期に突入する初日であったのだ。

進学塾で講師からいじめにあっていた。

配られてもいない用紙を無くしたと言われて、

息子福山から聞いた限りだと、これで2度目だそうであった。

その講師を息子福山は、すごく慕っていた。

その講師は、やる気をださせるのがうまかったのである。

我慢の限界だった息子福山は、進学塾を退塾する事となる。

息子福山は、「塾なんか行かなくてもどうにかなる。」が口癖だった。

2年の最後のテストの前日から息子福山は、高熱を出して、保健室でテストを受けたが、点数はとれず、2年の内申を失ったので、もう、その時点で、高校受験はあきらめた。

3年になって、息子福山は、個別指導塾に通い始めた。

反抗期はまだ続いていた。

息子福山の反抗期は、話をしなくなるのではなく、何かと話しかけてきては論破をしようとする。

そのたんびに論破合戦が始まって、最後には、息子福山が泣くという論破合戦であった。

高校受験をあきらめた個別指導塾の目的は、やり直しが出来るように基礎学力をつけてあげることである。

プライドの高い息子福山の高校選びは、神経をつかった。

課題を出さない為、内申が低いのに、偏差値だけはあるタイプでプライドが高い。

内申で合格できる低レベルの公立高校なんか、鼻で笑っていたので、当日点での賭けに出た公立高校の受験となった。

結果、公立高校不合格。

滑り止めの高校で、焦った息子福山は、奮起一転、

特に親は口出しをせずに見守るだけであった。

塾にも予備校にも行かずに、一人の力だけで、息子福山は指定校推薦を勝ち取って、大学受験で逆転をしたのである。

論破合戦は大変だったけど、

高校3年間、黙って見守るのは大変だったけど、

中学、高校と6年間の見守りは、間違いで無かったと思える子育てでした。


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