父親とか、旦那とか
息子福山に学んでもらいたいことがある。
それは、男として、どうあるべきであるかである。
子供の頃から、父親を超える男性はいないのではないと考えていた。
何でもできて、頼りになる父親だったからである。
それが、アパレル会社の社長を見て、考えが変わったことがある。
アパレル会社の社長は、甲子園球児で、たくさんのお金を稼ぐ、存在の大きい人だった。
社長の下で、経理事務をやっていたのであるが、初めて父親を超える男性だと思って、夢中になって観察し始めた。
その頃、もう結婚をしていて、その社長がのたまうには、うちの旦那は、アジフライにふさわしくないと。
なんで、そんな平凡な男と結婚したのかと社長はのたまう。
まあ、社長は、アジフライの出身高校の学歴を見て採用したし、アジフライの仕事に対する評価もあっての発言だった。
しかしながら、その社長には、欠落したところがあり、やっぱり父親の方がすごいという話になった。
それは、家庭における父親としての役割が欠落している問題であった。
確かに、社長は、たくさんのお金を稼ぐし、仕事に対するパワフルさは、目をみはるばかりであるが、父親は、父親としての家庭での役割も完ぺきな人だった。
晩年、父親は、いつまでも父親のままで、ずっと生き続けるのではないかと思っていた。
父親本人も、ずっと今のまま、ずっと生き続けるのではないかと思っていたと思う。
でも、最後まで父親は、頼りになる父親で、子供であるアジフライを支えてくれたことには、変わりなかった。
そんな父親の背中と旦那の背中が、最近、ダブるような気がしてきた。
旦那とは、昔、言い争いが絶えなかった。
家計を握っていた時に、結婚当初は、十分な収入があったのであるが、転職を重ね、収入が減り、家計が苦しく、旦那に相談すれど、「働いているんだから、これ以上の事は無理。」と、結論の出ない言い争いだった。
そんなこんなで、アジフライが持病を発症してから、家計を旦那が持つようになり、アジフライの気持ちの負担は、減ったのだけれど。
旦那は定年を迎え、年金をもらいながら、今でも働いて、家計を支えている。
家族の為に、雨風をしのぐことが出来る暮らしを旦那は、守ってくれている。
人生は、マラソンのようなものである。
父親や旦那の背中は、尊敬に値するものであると認識する。
将来、息子福山にも家族が出来るであろう。
「もう、無理。」
「や~めた。」
などと、投げ出さず、家族の生活を守り抜く、ただ、それだけは、変わりなく働き続ける、強い男になってもらいたいと思う。
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