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ラグビーと国際協力 Rugby & Int'l Cooperation

パスが上手な人 Good Passer

ラグビー情報番組「藤島大の楕円球にみる夢」11月7日放送のゲストの元日本代表のスクラムハーフ(SH)後藤翔太さんの言葉にいい衝撃を受けたので、紹介したいと思います。よかったらご一読ください。

「ぼくのラグビー人生は、パスの研究にすべてを捧げてきた」という後藤さんからどんな話が聞けるのだろう?自分にもわかる内容かなぁ?と放送を聴いていると・・

「ラグビーは前に進みたいのにボールを後ろにしか投げられない。前に出られる可能性を信じてやっている」
「投げ方、軌道とかあるが、自分より後ろにいる次の人が自分よりいい状態になってもらうという思いが前提になっていないといけない」と後藤さん。ラグビーをする少年にまずそこを伝えると言います。

「自分がこんなに早いパスが投げれたとか自己中・独りよがりになってはいけない。受け手が自分より前に出られる状態になっていないとパスとしてダメ」これが基本だそうです。これってラグビーに限ってのことでしょうか?


藤島大さんと後藤翔太さん

共感とは? What is Empathy?

僕は大学を卒業後、縁あって国際交流財団で働き始めました。そのころのテーマは「国際交流から協力へ」でした。様々な背景の人たちが出会うなかで、他者の問題は自己の問題と捉える感覚”Empathy"をもとに、政府開発援助(ODA)ではできない援助を草の根レベルでやろうと様々なNGO/NPOの活動が盛んになっている時代でした。

まだまだ経験の少ない日本のNGOは西洋のNGOに学びながら、試行錯誤を繰り返し、自分たちのやり方を模索していました。経験や知識の足りなさを補おうと熱心になっていく中で、”なにができるか?”にフォーカスしすぎて視野狭窄になっていたように思います。資金も人材も足りないNGOはそれを求めるあまり、”なにかをしたい”というボランティア志願者に対して、「あなたは何ができる?何をしてくれる?」という質問を投げ、人をふるいにかけ過ぎでは?僕は感じていました。成果主義のあまり、新しく関心をもった人たちの動機を大切に扱う余裕がなかったのです。

緊急を要する事案に対しては、そのようなやり方もありかと思うのですが、一事が万事それではどうかと感じていました。試行錯誤を続けるなかで、「あのやり方でダメだ、このやり方こそが成果を出す」と新たな団体が生まれ、まるで政治のようだと僕は思っていました。会ったこともない海外の人を助けようと優しさを見せるも、目の前の人をぞんざいに扱う人の姿は僕の目には奇妙に映り、モヤモヤした僕は自分の考えをまとめたくて、タイで教育支援をしているNGOのスタディツアーに参加したのです。

水上マーケットに向かうところ

タイで学ぶ Learning in Thailand

スタディツアーはスラムでの図書館活動など現地の教育支援現場を訪ねつつ、タイという国を愉しみ理解を深めるものでした。参加者の年齢や背景も様々でTBSラジオのプロデューサーも参加されていました。一般の観光旅行よりもコストのかかるこのツアーに参加される方々はそれぞれの動機をお持ちで、僕は児童館で働く同世代の女性と悩みを話し合ったりしていました。

ツアー後半は参加者を4つのグループに分け、地方で行われている教育支援プロジェクトに関わる人たちを訪ねるもので、僕はラオスの国境沿いの村を訪ねることになり、ホームステイもさせていただきました。その訪問先で僕は大切な学びを得ることになったのです。

地元の人たちとの交流

受け手への心配り Caring for your receiver

僕がこのツアー最も印象的だったのは、タイの明るい未来を信じ、教育プロジェクトを進める現地スタッフのキラキラした目でした。

日本でいろんな偉い人達が知識をかき集め、「これが正しい、あればダメだ」といくら喧々諤々やったとしても、こうした現地スタッフがいないと結局は何も始まらないし、進まない。自分の国のために、子供たちの未来のためにと希望をもって笑顔で取り組む人あっての教育支援プロジェクトなのです。

日本にいる私たちがやっているのはあくまで支援。主人公は彼らなのです。このことを抜きにしては持続可能な開発などありえないと思ったのです。

支援をする側が最も大切にしたいことは、受け手への心配り。彼らが前に進むことこそが最大の関心ごとであるはずなのです。そこを離れて日本で「私の考えが正しい」と競り合っているのは、本末転倒のように僕には思えたのです。

繋がること Good Connection

冒頭の話に戻りましょう。

後藤翔太さんが、パススキルを教える前に「次の人が自分よりいい状態になってもらうという思いが前提になっていないといけない」ことを強調されることの大切さが、国際協力において苦い経験のある僕には沁みたのです。

国際協力の現場でも、協力の受け手を見ずに自己満足なパスを投げている人が少なくなかったなぁ、変な競争をしていたなぁと…。

人って何かをやり始めると本来の目的を見失うことがありませんか?

日々の仕事でもそう。「メールにCCを入れました。言いました。」で終わらせてしまって、望んでいた理解や協力が得らなかった・・なんてことはありませんか?仕事では投げ手にも受け手にもなるので、わかっているつもりでもこのことを意識したいなぁと僕は思っています。

人と共になにかをするのなら、つながるパスを投げて、トライを決め、共に喜んでいきたいものです。

「今度来るときは修行に来なさい」と言われました(;^_^A



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