自分語り 〜エンパスというギフト〜

共感能力が高いと辛いことも多いし、辛いほうが多いかな?と思うこともあるが、これだけはエンパスでよかったと言えるものもいくつかある。

■■ 多様性

幼いころから、世の中には多様な価値観があると知っていた。

差別偏見というのは、自分の気づかないところもあるかもしれないので全くないとは言い切れないが、私自身の中では限りなく少ないと思っている。

一定期間を親戚の家々で過ごすことで、父や母との生活を通じて学ぶことが絶対ではないこと、ひとりひとり価値観が違うことを知る機会があったからかもしれない。

でも、エンパスであるからこそ、私が多様性を当然のこととして受け止めているともいえる。

エンパスだと、目の前の(たまに画面を通して)人の感情や感覚を自分のもののように感じるので、自分の中にはない、違った感覚をまさに身をもって感じる。

私は全く気にならない、というような状況であっても、目の前の人が気にして落ち込んだり苦しんだりしていることがあったら、それは自分の苦しさになる。

例えば、最近、LGBT(とかLGBTQ)という言葉で、性的に多様な人たちの存在が知られるようになった。​

たまたま私は、このLGBTという言葉が世に出回る前からセクシャルマイノリティについて考える機会があった。

自分が当事者でない場合、次第に知識を得て理解して受け入れられるようになったとか、友人でいるから理解出来るとか、いろんな受け入れ方があると思う。

どんな人も、たとえ同じように見えても異なる感覚や価値観があってそれをベースにした感情がある。

他人の感情を自分のものとして受け取ることがあったから、私にとって、違いは違いでしかないというのが幼いころからあった。

だから、あらゆる多様性というのは、普通のこと自然なこと。

なぜ周囲の人が受け入れられないのか。それが分からなくて、むしろあとから知識を得て理解する必要があった。まさしく、LGBTのことについてもそうだった。

この感覚は、もしかすると私のちょっと変わっているところで、でも、以前から自分の中の真実として疑わなかった数少ないことのひとつ。(周囲の情報ばかり得ていることもあって、様々なことに対して確信が持てず自信がないのだ)。

でも、エンパスであることがわかってから、このしっかり握り占め続けている価値観の背景がわかった。

スッキリした。と同時に、これでいいんだ、とブレがなくなった。

■■ 広い世界

以前の自分語りで書いたが、両極端な父と母が、右から左からまさに板挟み状態で、エンパス強化選手(?)として成長してきた。

一歩間違えれば、窒息していたか折れて倒れて動けなくなっていただろうと思っているが、まさに強いエンパスゆえに、自分自身が自分だけの世界に閉じこもることを許さなかったような気がする。

エンパスは自分のための時間が不足しがちだ。そんな、圧倒的なじぶん時間不足のときは、どこかに閉じこもるなり、出ていくなりして、元の環境から離れるべきだと思う。

私にも一定期間そんな時期が必要だったかなと思うことがある。
ただ、私は環境から逃れるために閉じこもることも出来なかった。

その代わり、そんな環境から離れた。家出のようなことをした。

海外に出ていったのだ。

一般的には留学というし、当時は自分でも留学と思って留学したのだが、あとになって自分を理解するようになってから、あれは自分にとっての家出だったことがわかった(親のサポートは一切なかったので、私ひとりでこっそり決めて、行く直前に伝えただけだった)。

正直に生きることの辛さを分かったり、豊かそうに見えても、辛くて強がっている人がいたり、本当に様々な人がいることを肌感覚でわかっていた。みんな見てる世界感じる世界がそれぞれ違っていること、自分の世界が全てではないと知っていた。

だから、それぞれ違った誰もがどこかに居場所を見つけて、ゆるくつながってるってことでいいのに、と何となく思っていた。違った世界同士がつながってひとつってことじゃないのか?

かなり小さい頃からそんなことを頭の中で考えながら、自分の家と親戚の家とを見ただけでも世界が違うのだから、日本の外の世界はもっと違うのだろう、と次第に知りたい気持ちが勝っていった。確認しなくては、という使命感すらあったと思う。

そして、私はどこかに閉じ込もるよりも外に出ていくことを選んだ。

エンパスとしての人とのつながり方が、海外に目を向けさせたのだろうと思う。

今は少し整理して書けているが、当時はエンパスはおろか、自分が訓練所のようにいたことすら、認識していなかったので、ほぼ直感による判断だったと思う。

そして、これはあくまでも私の場合、ともいえる。

私は小さいころから飛行機好きで、かつ、食いしん坊なのだ。
しかも、いろんな人の家で過ごすことのほうが楽ということも知っていた。

こんな自分の資質も、海外に目を向けることにつながったのかなと思う。

ともかく、私はエンパスという能力を大きなきっかけのひとつとして、広い世界に出ていくことが出来た。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人とのつながり。

SNSがこれだけ流行ると、周囲の人たちの、わかりやすい、目に見えるつながりに関する情報が飛び込んできやすい。
そんなとき、自分をエンパスと思っている人は何とも言えない寂しさを感じることがあるかもしれない。

でも、ただ会うこと、集まること、たまること、だけがつながりではない。
誰かがある人に思いをはせたり、見えない心の絆があったり、エンパスのように目の前の人の感情を受け取ったり。

それだってつながりだと思う。

ただ存在するだけでいい。
本当にそれだけで人はだれかとつながっているのだ。

その大切さを感じられるエンパスだとわかって、これから伝えていかなくてはならないことがたくさんあるように思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?