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モモヱ


モモヱは明治の生まれだったかと思う。

昭和、夫の藤太郎と出会う。

というか、見合い結婚させられる。


モモヱは字が読めなかった。書けなかった。貧しい家の生まれで、小さい頃から働いていた。

結婚をしても貧しかった。貧しい中でも、はじめての子供に恵まれる。恵美子と名付けた。はじめての子供。その娘の誕生を喜び、育てる。

しかし、三年後の昭和11年。

恵美子はただの風邪で死んでしまう。

両親がちゃんと気づいていれば助かったはずの、ただの風邪だった。

恵美子の死後、5人の子供に恵まれる。

次男を忠雄といった。

忠雄は、20代で見合い結婚をする。

相手の名前は、偶然にも、恵美子といった。恵美子は、3歳の時に結核で母を亡くしていた。

モモヱは、嫁の恵美子をとても可愛がった。最初の娘の生まれ変わりのように、可愛がった。実際、モモヱの娘の恵美子が死んだ昭和11年に、恵美子は生まれている。

嫁姑問題など1度もなかった。母親のいない恵美子はモモヱを慕い、モモヱは恵美子を労った。

忠雄と恵美子の間に、香織という娘が生まれ、そして香織には、寛貴という息子が生まれた。


ある夏休み、寛貴は曾祖母のモモヱと話す。


ねぇ、ひいばあちゃん、なんで文字ば読めんと?

学校行かしてもらえんかったけんね。

ずっと休みやったと?

仕事ばしとったと。

名前ば書けんと?

名前は書けるばってん、ほかの文字は知らんとよ。


寛貴は、妹と一緒にあいうえお表を作って、モモヱにプレゼントした。




モモヱは、歩けなくなった。立てなくなった。介護が、必要になった。

恵美子がモモヱの介護をしているところを、寛貴は見つめていた。

恵美子が体を拭いてあげている。

モモヱの浅黒く日焼けした肌。夫の稼ぎだけでは家族を養えなかったから、男たちに混ざり、二十代の頃からトンネルを掘ったりした。文字が読めず、学校にも行っていない、手に職が無かったから、男たちに混ざり、力仕事をするしかなかった。だから皮膚はどこまでも浅黒かった。モンペを穿いて手ぬぐいを頭に巻いて、土に汚れた顔を拭う。


モモヱの乳房は、片方なかった。若い頃に病気で摘出されたから。

体を拭くために、恵美子が服を脱がせると、モモヱの片胸からはいつも、丸めたチラシが出てきた。介護される身になっても、紙の乳房を作っていた。

紙の乳房は、カサリと軽い音をたてて、いつも床に転げ落ちた。寛貴はそれを拾う。ベッドのわきにそっと置く。とても軽い。そして、ほんの少しあたたかかった。

体を拭いてもらったあと、モモヱは引き出しからティッシュに包んだ千円札を寛貴にあげた。モモヱはもうしゃべれない。



モモヱの葬儀。骨になったモモヱを10才の寛貴は見つめた。人が仰向けになった、骨の形。骨を箸でつまむ。ツボに入れるとカサリと軽い音がした。モモヱは、もうしゃべらない。


モモヱが平成に生まれていたら、もしかするとトンネルは掘ってなかったかもしれない。

いま、僕がこれを書いているスタバで、清潔な香りのする香水をつけて、ラテを飲みながら、好きな小説を読んでいたかもしれない。

好きな音楽や、好きな服や、好きな髪の色や、クロワッサンや、スマホに囲まれて、恋愛を楽しんでいたかもしれない。

男性店員に声を掛けられたり、友達と待ち合わせをして、会社の愚痴を言い合っていたかもしれない。

モモヱは、望んだおしゃれや生活はできなかったかもしれないし、出来たのかもしれない。それは、わからない。とにかく、モモヱはラテや香水には縁がなかった。

でも、チラシを丸め、胸の窪みにそっと詰め、最後まで自分の守りたい一線は守り抜いたように思う。モモヱは、女でいたかった、んだとおもう。

トンネルを通ると、寛貴はたまに、モモヱを、思い出す。

そして、スタバでモモヱの事を書いている寛貴は、文字の読み書きが出来る事でさえ、当たり前ではなかったことに気づく。

それならば、その言葉たちは、文字たちは、人の心を包んだり、楽しませたりすることに使いたい。

人はいづれ、カサリと音を立てる。




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