おしりもとんぼも美しく、いのちはかわいい。
先日、篠田桃紅さんの美術展に、友人と行ってきた。
あくまで僕個人の感じ方なんだけども、桃紅さんは『書』という枠を超えて、『線』というものを書いて描いて掻いていると、思う。
どんな作品か見てみたい方は、どうぞっ↓
桃紅さんの線を見ながら、その友人と、美術館内を一時間ちかくまわり、その後、車で数十分のところにある神社に行った。
話は変わるけれど、おっぱいとかおしりとかって美しい。
女性の横顔の顎のラインとか、うなじとか、骨盤の上にできるえくぼみたいなのもとても美しい。つばめの細く長い翼も美しい。乙女椿のぷりっとした丸みも美しい。川の流れも美しい。夕日に煌めく遠くの空の雨も美しい。
神社で、ああ、桃紅さんは、筆で、こういうことを書こうと描こうと、していたのかな。と、僕は思った。
大地や大空から生み出される沢山の線は伸びやかで迷いなく、力に溢れていて美しく、それでいて静かで、とてもうるさい。
猫の背中は柔らかく固くて温かく伸びやかで強い。優しい弓みたい。
長い冬の眠りから目覚めた新芽の線も、柔らかく強くて美しい。ずっと辛かったのに愚痴一つなし。
神社には滝が在って、滝壺に入るとたたりがあるらしく、僕は少し下流の水を触っていた。この神社の御祭神は、川の神様、瀬織津姫。
今回、水を触っていると、女性の声が聞こえた。
わたしはとめぬ
わたしはながし
ひかりもつちもみずもわたしたちはとめぬ
おまえたちはとめようとするが
わたしたちはとめぬ
その言葉についてしばらく考えていた。
そして僕なりに思ったことがある。
それでも僕たちは、この体に押し込められたいのち。だから、だからこそ留めたい。あらゆるものを一度自分のものにしようとしてしがみついたり、つかみかかったり、すがりついたり、にぎりしめたり、抱きしめたりしたい。
それがおそれからくるものだったとしても。
おそれもしゅうちゃくも、結局かわいい。結局、いのちはかわいい。僕たちはかわいいちっぽけなものだから、留めようとしてしまうのだ。いのちをやってるから。
表現するって、中のものを表に現す行為であり、そして心を音や形に留めるという行為だ。
いのちはなにかをとどめたい。
だから表に現したい。
ということで、とある表現し続けるとある友人がとあるnote始めました!
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