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妹に、「出産に立ち会ってよ」と言われた日のこと。

海のそばで育った。

波が止まらないのが不思議だった。
いつ止まるのか、その瞬間が見たくて、僕はいつも波打ち際にしゃがんでいた。

海って、常に音がある。
風、波、砂、魚が跳ね、海鳥が鳴き、
繋いだ船の縄が軋む。
けれど、すべての音が偶然消え、なんの音もしない瞬間もある。
そんな時、周りを見渡す。
今、時間止まらなかった?
と、そんなふうに感じる。


兄と妹というのは、いろいろを気を使うことが多く、子供の頃は、嫌がらせや口喧嘩や手足喧嘩なんかはしょっちゅうのこと。昔は火曜日と日曜日にサザエさんが放送されていたけれど、それ以上にしょっちゅうのことだった。

でも成人すると、あまり顔を合わせなくなるせいなのか、逆に仲良くなったりする。

妹が23歳ぐらいのとき、彼女は妊娠した。
相手は外国人。
ふたりはめでたく婚約した。

けれど、同じ母親と父親から生まれた僕ら兄妹でさえも価値観の違いでサザエさんの放送頻度以上に喧嘩する。
ならば、赤の他人で、そして違う文化圏の外国人と結婚しようというのであれば、サザエさん以上の意見の相違は考慮しなければならない。
福留功男さんのズームイン‼朝!ぐらいの頻度で喧嘩することを承知しておかなければならない。

妊娠中、彼と彼女は揉めに揉め、その喧嘩が耳たぶくらいの柔らかさになったころ、
彼とは別れる、と彼女の中で決まった。

あの日僕は、バイオハザードシリーズのなんかすごく画質がいいやつがやりたくて妹の家を訪れた。すると、バラの花束を持って、泣きそうな顔をした妹の彼が、玄関に立ち尽くしている。

なに、どうしたん。

あ、お兄ちゃん、あの、あいつ別れるって言ってる。子供おろすって言ってる。どうしよ、お兄ちゃん。

え?そうなん?喧嘩したん?(謝罪花束だったのか。)

うん。うちの国と風習違うから、それで喧嘩になった。どうしよ。

え、そうなんや。まぁとりあえず刺激してもあれやけん、あんまり顔出さんほうがいいかも。どっかドライブでもしてきたら。

彼は車で出掛け、僕は家のチャイムを平成教育委員会のパネラーのように連打する。43回目くらいで、妹が出てきて、

「もう!!しつこいったいきさん!そげんとこが嫌いって言いよっちゃろ、あ、なんよ、お兄ちゃんやん。何?」

「バイオハザードシリーズの画面がすごいいい感じのやつさせていただきたくて参上しました。」

「は?今日は無理。帰って。」

「いやでもその、私、はるばる歩いて参りましたし。」

「今あいつと喧嘩しようと。もうあいつとは別れる。」

「子供どうすんの。」

「おろす」

「ふうん。そっか。とりあえず、じゃあ、鍵かして、車の。」

「は?なにすると?」

「とりあえず貸して。」

僕は鍵を借りて妹の車のエンジンをかける。

「乗って」

「は?そんな気分じゃねーし。」

「はよ。はよして。漏れる。」

「は?何が漏れるん?なんなん?どこいくと?」

「知らん。いいけんはよして。漏れる。はよ乗って。ああぁああ漏れるっ。」

妹はぶつくさいいながら助手席に乗る。
僕は車を走らせる。

どこいくん?
知らん。
は?なんなんまじで。
漏れる。
わけわからんし。

車で30分ほどの浜に来た。昔、母親と3人でここに来て潮干狩りやわかめ拾いをした場所。

なんなん?なにするんここで。

わかめ拾い。

は?

わかめ拾い。

なんで?

わかめがあのように打ち上げられておりますので。さあ。

いやいいし。

漏れるけんはよして。

漏らせばいいやん。

はよ。


妹はまたぶつくさいいながら車を降りる。そして、磯に打ち上げられたわかめを、一緒に無言で拾い、ビニールに入れていく。前日は風が強かったから、めかぶたちが耐えきれずに、

ばぶちーん!ばばぶちーーん!ばぶちぃん!

って千切れてたくさん打ち上げられている。

「ねぇ、この根っこのなんかうねうねしとうやつ食べれると?なんかきもいっちゃけど。」

「めかぶ。それを茹でて刻んだらとろろみたいになる。」

「え?そうなん?ミキサーでやったらいいと?」

「うん。ざく切りにして、茹でて、白だしとかと一緒にミキサーかけたらご飯にかけてお召し上がり頂けます。柚子胡椒や七味なんかもプラスすると良いです。」

「あ、ところでさ、妊婦に寒空の海、わかめ拾わせるって鬼畜の所業と思うっちゃけど。」

妹は笑う。
それじゃあ帰りましょうか。漏れそうですし。
車に乗る。


帰りの車の中で妹は、はなした。
何が嫌だったか。
どんな気持ちだったか。
いかに悲しかったか。
国際結婚への不安を、泣きながらはなした。

家に帰り、体が冷えた妹に、わかめスープを作って食わせた。彼が、ただいま、と帰ってくる。

「お兄ちゃんがスープ作ったけん、あんたも食べたら。」

妹は彼に言う。うん、と彼は言う。
そして彼は、小声で僕に、お兄ちゃんありがとう、と言う。

くそうっ。
バイオハザードのなんか画質いいやつできんやった。僕はとぼとぼ帰る。




それから半年以上経って、
大阪に引っ越した僕に、妹からの電話があった。すぐ帰って来て!と言う。

きれいで近代的な作りの産婦人科に妹は居た。妹は、明日が予定日で生まれそうやけん、お兄ちゃん立ち会って、とって。
と言う。とってとは。

「とってとは?」

「ビデオで撮って。」

「俺が?なんで?何を。」

「いいけん撮って。出産シーン。」

「妹の秘部ばなんでアップで撮らないかんとよ。」

「誰もそんなアングル指示しとらんし。ナースの人たちにも先生にも許可もらったけん。頼むよ。」




そして翌日、本当に妹は産気づき、カメラ回してと僕に言った。女優かこいつは。
そのうち、おじいさんやおばあさんや、おばさんやおじさんや、妹の夫や、母などが駆けつけて来た。妹の部屋が記者会見みたいになっている。女優だ。情熱大陸っぽい。そしてそのうち、陣痛がひどくなってきた妹は、カメラ止めて!!と言って全員を部屋から追放した。


大阪からはるばる来てる!

The 不条理!


カメラマン兄は考える。
ドキュメンタリー番組だったら、カメラ止めて!!のあとは、カメラ下向きにして音声だけのシーンあるよな。それのほうが緊迫感あるし、なんか、そう、なんかその映像、プロっぽい!

がらがらがら

僕はカメラを回して、下向きにしたまま、部屋の中にそっと入る。頭の中で情熱大陸流れてる。唯一母親だけが妹のそばに寄り添って、背中を擦る。母同士の何かがあるのだろう。知らんけど。

3時間後、妹は分娩室へ一歩一歩歩き、自ら分娩台へ座った。家族は分娩室の外で待ち、僕はカメラを持って分娩室へ入る。

僕の母と妹の夫は、妹の手を握り、泣きながら声をかけている。

母親は、「頑張っとうのはわかるばってん、それでも頑張んなさい、お母さんやろ!頑張んなさい!」と、搾り出すように言う。

妹は無言で何度も頷き、
泣きながら呻き、力み、吠え、泣く。

僕は冷静で的確な動きのナースと医師の様子や、妹の涙や汗や、医療器具や、夫や母の手元、顔、彼らの震える足元を撮していく。

夫の不安そうな顔。
何もできない悔しそうな顔。
励ます顔。
呼吸法を一緒にする必死な顔。



母の、娘の痛みに共感する顔。
何もできない悔しそうな顔。
祈りの顔。





ナースが妹に、声がけする。

頭が見えましたよー!きれいな頭ですよ!
まあきれい!まんまる!
いいですよ!うまいですよー!
さあもう少し!
もう少しだけいきみしょうか!
あ、お名前ってもう決まったんですか?もうお顔と肩が見えてきてますよ!
はるとくん?はるとくんって言うんですか?可愛いですねぇ!
はるとくん、もうすぐお母さんに抱っこしてもらえるからねぇ、お母さん頑張ってるから、はるとくんも頑張ろうね!
じゃあおかあさん、もう少しですよ、息を忘れずにね!
お父さん、一緒に呼吸法してあげてくださいね、よし、ほら、もう少し!
お母さん!
お子さんの名前、呼んであげて!




がんばってえええぇはるとおおおおお

泣きながら、妹は子の名前を呼ぶ。




羊水が滴る音。
機械の電子音。
ナースや医師の声。
母や夫の励ましの声。
赤ん坊が羊水を吐き出す音。




音が消える。





臍帯に繋がれた赤ん坊が、光を浴びる。
この世の空気を、胸いっぱいに吸う。
皆がその子に釘付けになる。





そしてその子の最初の吐く息で創られる泣き声が、院内に広がった。
たくさんの鐘が街中に響き、海を渡るみたいに。

汗だくの医師やナースたちも花のような笑顔で、妹も母も夫も、泣いて笑う花のよう。
拍手が響き、外にいた笑顔の家族が分娩室へなだれ込んできて、お疲れ様やおめでとう、や、ありがとう、やたくさんの言葉の花が咲いた。
はるとはひとり泣いている。





海の波は、いつ止まるんだろうと、幼い僕は波が止まるのを待っていた。


人は1日に3万回息をするという。
その息は、生まれてから死ぬまで、ずっと続く。

息が始まるとき、
息が止まるとき、

その時まわりには、涙やことばや花があふれる。

波は止まらないけど、僕らの息は、必ず止まる。

そして今日、あなたは 息 している。




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書家の友人の、

「息」

という作品から、何か書きたいと思い、自分の経験をお届けいたしました。

おはよう!











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