「努力すれば」は嘘。だが、尊い。
努力。
私がこの世で一番好きな言葉です。私が一番得意なことです。
努力をすれば不可能はない。
さあ、どうでしょう。
私は、小学校三年生の時にスラムダンクの宮城リョータに憧れて、バスケットボールを始めました。
始めてから一日も、バスケットボールを触らなかった日はありません。神に誓えます。朝から晩まで、バスケットボール、バスケットボール、バスケットボール。あんなに、手からも心からも離れないものはありません。
中学も高校もそこまで強くはなかったが、私の圧倒的な努力量は私を学校のNo.1に押し上げるには十分でした。
それでも、県レベルでも無名の選手だったので、大学受験をするほかありませんでした。
「全国レベルでバスケットボールがしたい」
そう思って、選んだ大学は最難関私立大学。
私の成績は中堅私立高校で学年ビリから5番目。当然E判定。残り期間半年。絶望的。ビリギャルも顔負けです。
結果 = 方向 × 努力
この方程式は真理だと思っています。とてつもない努力。これは誰でもその気になればできます。僕はここにかなり秀でていました。
しかし方向、つまり、努力の仕方もしっかりと探らなくてはならないです。PDCAサイクルと呼ばれますが、目標を決め、時間などから逆算して計画を立て、実行し、少し経ったら進捗をチェック、そして改善を繰り返すのです。この力が本当に結果が出るかどうかをわけます。
バスケットボールでの挫折を幾度となく経験してきたことから、大学受験の時にはこの力が身についていました。
PDCAをまわしながら、圧倒的に努力をする。
それによって、成績は受験前最後の模試でE判定から見事なJカーブを描きA判定へ。そのまま、二学部の合格を勝ち取りました。
つまり、努力だけではダメなんです。
しかし、結果を出せれば報われるわけではありません。
そんな風に入ったバスケットボール部。
周りは、インターハイ優勝校のキャプテンに国体選手が二人とそうそうたるメンバー。先輩には、年代別日本代表も。
そんな環境で、
「必ず、大学トッププレイヤーになってやる」
と思っていました。
本気で。
と言うのも、私は、結果を出すための方程式を知っていたから。
入部当初は135回だった20mシャトルランも、夏には160回でチームNO.1。ウェイトトレーニングもチームトップクラスの成績。
もう一度言います、ここは全国トップレベルのチームです。
四年計画で見れば、ほぼ間違いなくこのチームでも試合に出ることができていたはずです。なぜなら、PDCAも回せていたし、マンガの主人公がやるような努力量は当たり前にやっていたからです。正直、壮絶でした。
しかし、私は四年生になった今、コートに立つことはありません。
怪我もしていません。いたって健康です。
ではなぜか。
ヘッドコーチに、半強制的に学生スタッフにされてしまったのです。
私は、批判精神の塊です。衝突もしました。なぜなら、私の計画では必ず試合に出られる選手になっていました。間違いなく。
でも、意見は通りませんでした。バスケットボールは受験勉強とは違い、チームスポーツです。受験勉強はE判定の奴が勝手に頑張ってても勝手にやってくれという感じです。でも、チームでは客観的にみて、選手よりスタッフにしたほうが良い、となればできる限り早くスタッフにしたほうが良いと考えます。
社会もチームです。この社会にいる以上、他人や環境は無視できません。僕のように、どんなにPDCAをまわして、圧倒的に努力をしても、道が閉ざされることはあるかもしれません。
だから、努力をすれば不可能はない、については反対です。
でも、私は努力は尊いとも思うのです。
私があの時、選手をやめていなければ今頃、コートに立っていたでしょう。あの時やめさせられたことは、今でも悔しく思うことがあります。でも、間違いなくチームは今より弱かったでしょう。なぜなら、私の努力のノウハウを活かした練習を実施することにはなっていないからです。私がコーチとして、今のような充実感を得ているのは、私が誰よりも努力し、挫折をし、立ち上がり、挑戦してきて努力のノウハウを手に入れたからです。
大志を抱き、努力は異常な量してみてください。天才でなければ、挫折をします。でも、「努力」を最大限していれば、「もっとやっておけば」とかの言い訳が消えます。そして、「方向」を試行錯誤し、次のレベルにいけます。「方向」を見定める為に、勉強をするんです。
もし、競争社会で頂点を目指したいならば、努力をしてください。おそらく、報われるはずです。
僕は、競争社会が得意ですが、今の社会は苦手です。
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