人狼ゲーム
人狼ゲームってやったことありますか?
あれってすごく考えさせられますよね。正しさの怖さと言うか、脆さというか。。
「お前のいってること論理的におかしいよ。もしかして人狼じゃないの?」
「いや違うって、、」
「いや、お前人狼だな」
------- 人狼チーム勝利 -------
「なんだよ違うのかよ、もっと弁明してくれよ」
よくありますよね、こういう展開。人狼ゲームって、ゲーム理論とか条件付き確率の応用で勝てる可能性が、かなり上がるらしいですよ。
でも、この状況って普通にやばくないですか?これって、冤罪とかと全く同じ構造ですよね。いや、むしろそのまんま。ゲームだから、リセットされるし、「なんだよ、もっと弁明してくれよ」とか言えるけど、現実だったらその人の人生をダメにしてしまうことだってありえますよね。
決して人狼ゲーム批判ではないんです。むしろ大切な気づきを与えてくれました。論理は現実を作り上げるということです。ことの真相におけるキーファクトが見つからない、手に入らなくても論理が作られてしまえば、人は納得します。本当に人狼じゃない人も人狼にされてしまいます。
すごく気持ち悪くないですか??
正しいことを導いているはずなのに、結果的に罪のない人を苦しめてしまう。現実世界では、痴漢をしていない人の家庭、職場をぶっ壊し、殺人をしていない人が人生を牢屋で過ごしたりということを考えると胸が苦しくなるばかりです。
わかっているんですよ。逆も然りだということは。
証拠が不十分で、明らかな犯人に刑を与えることができない、と言うことも。
でも、思ってしまったんだから仕方ないじゃないですか。論理って怖いねって。気持ち悪いねって。
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