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学問・研究する意味20220506

デザインという分野は社会に関わりのある学問分野だから、研究者になろうとならなかろうと、私のやってきたことは社会に還元するべきではないか。

そんなことをもうが、それが辛い。

縁浪君と結婚して、話が通じる人と一緒に暮らす様になって、
仕事や研究の中で道理の通じない人たちや理不尽な出来事に沢山耐えることがあって、
こんなに疲れるなら家に引きこもって家族とだけ接していたい、と思ってしまった。

デザインという研究分野で博士課程まで研究させてもらって、国の予算で仕事ももらって、それまで社会に還元できる様に、地域に還元できる様に頑張ってきたが、それも疲れてしまった。

私は何のために仕事や研究、デザインを極めていくのか、提供していくのか。

興味の根源だった「地域」に嫌気が差して、力が出なくなってしまった。私は何のためにやっていたんだろう。何の蓄積にもならない。きっとまた新しい方法が考え出されて、なくなって、また新しい方法や流行が生まれて。
それまでの地域の蓄積も、人材の蓄積もなかったことになって、今あるものや人は更新されず、膠着化して、未来の人たちにとっては足枷になっていく。

私のやっていることに意味はあるのかな、明らかにしたいことに意味はあるのかな。

博士研究がんばったとして、私は研究者になりたくない。少なくとも、今のデザインと社会学の間で、やりたくない。

根本的な解決になり得ない、デザインの仕事もやりたくない。虚しい。対処療法にしかならない。

社会学の中で重要なのは、そうした視点を持った上での、結局経営学ではないのか、資金調達や事業スキームが作れることではないのか。

経営学の勉強がしたいのかな。でも何のために?
私はもう社会に関わりたくない。組織も作りたくないし運営もしたくない。

縁浪君を家で支えることだけに注力していたい。
もしくは新たに迎える家族のために。
家族という組織運営だけやっていたい。

それがひと段落して、もう満足したら、次は社会に関わっても良いと思うが、私はもう疲れてしまったなぁ。

研究するモチベーションが湧かない。
五月病というより、自分の進むべき研究領域に疑問が湧いてしまって前に進めない。

といっても、わかるためには進むしかないので、嫌々ながらも今は進むだけ。

おわり

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